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たんぽぽの奇跡

野いちごの場所で・43・“たんぽぽ”の奇跡

                            大 崎 博 澄

 男の友情。
 あまりに古風な言葉で、まして敬愛する方に「友情」というような言葉を使うのは不遜なことだけれど、この人との出会いと、この人からいただいたご厚意を表現するのに、これより適当な言葉を今のところ見つけられない。
 2009年の秋、ぼくは高知市内のある会社の社長さんから一通のメールを受け取った。「四階の部屋が空きました。必要なものは全部用意します。すぐ来てください。」簡潔な文面に、熱誠があふれていた。
ぼくは山奥の百姓の子でこの上なく遠慮深く臆病な田舎者、だが、不思議なことにこの呼びかけに応えることになんの迷いも無かった。簡潔な文面にはそれほどの迫力があった。
 2010年4月、生きづらさを抱えて困っている人を助ける、という単純至極な旗を掲げた「たんぽぽ教育研究所」の開設というぼくの夢は、ぼくよりもっと純真無垢な魂の持ち主の熱意と後押しで実現した。
 その後こんなに長く、“たんぽぽ”が続くことになるとは予想外のことだった。ひとえに、文字通り物心両面で支え、健康の続く限り続けてくださいと、繰り返し励ましてくださった社長さん、奥様、お母様、社員の皆様のおかげである。
 「友情」はそれだけでない。ぼくは人生の岐路で二回、社長さんに助けていただいた。
 一度は、ひどいイジメを受けて、助けてくれる人もなく孤立している親子のご相談をお受けした時。誰でもいざとなると強い方になびく。弱い者は見捨てられる。そういう情況におかれた方に何もしてあげられないのが口惜しい。せめて一矢報いたい。ぼくはあることを決心した。ただ、これをやると会社にご迷惑をかけるかもしれない。社長さんに、その時は“たんぽぽ”をすぐに閉めますから、というメールを出した。返信はまことに簡潔。「なんのご心配もいりません。おおいにやってください。」奮い立った。
 もう一度は、ある社会福祉法人の役員を依頼された時。“たんぽぽ”の運営と、病気の子どもの介護と、主夫の仕事で頭が一杯のぼくには、とてもそんな余裕は無い。ただ、その法人が、二つの児童養護施設を運営していることが心に掛かった。名前だけでもぼくがいることで、傷ついた子ども達になにがしの支えになる場面があるかもしれない。社長さんに相談メールを送った。即座に返信があった。「こういうお話が来た時は体力の続く限り引き受けてください。限界が来た時は、あなたの目に適う人に正義のバトンを渡してください。」
 「正義のバトン」、生まれも育ちも違う、年齢もぼくより二十歳もお若いのに、このあふれるような正義感は何処から湧いて来るのだろう。しびれた。男の友情を感じた。これを奇跡と呼ばずしてなんとしょう。
 
 “たんぽぽ”のカウンセリング。
 ぼくはカウンセラーを自称しているが無資格である。なんの勉強もしていない。
 “たんぽぽ”にはかなり大きな本棚があり、そこにはカウンセリングに関係する書籍、資料がたくさん並んでいた。国分康孝先生から直接頂戴した膨大な著作集も、河合隼雄さんのご著書も多数、尊敬する高垣忠一郎先生の本もあるが、手に取ったことはほとんどない。“たんぽぽ”の仕事が忙しいという事情もあるが、時間よりも、ぼくに勉強をする心の余裕が無いことが最大の理由。
 ただ、人様の悩みや困り事をお聴きすることを始めておおよそ二十年、この一年か二年前から、なんとなく何かが分かった。言葉にするのが難しいが、どんな方がどんな話で来られても、怖くなくなった。カウンセラーとしての自信、というほどのものではない。とてもとても、そんな域に達したわけじゃない。
 ただ、あえて言葉にすれば、ぼくの使命は、クライアントさんが抱えている問題を解決することではなく、問題を理解すること。同じ立場で哀しみ、苦しむこと。そこまでで許される。そのことが分かった。そんな感じだろうか。
 おひとり、意思疎通がほぼ完全にできない精神疾患の方が時々飛び込んで来られる。この上なく小心で臆病なぼくが動じない。彼の論理不明の怒りや悲しみが、ぼくには手に取るように分かる。ぼくも同じ境遇だもの。そのことを彼に伝える術は無いが、彼の怒涛のような訴えをお聴きする時間は、ぼくの魂を清める時間になった。
 問題を解決することよりも、問題を理解することが大事。そういう“たんぽぽ”のカウンセリングに、ぼくは長い時間をかけてようやく辿り着いたみたい。これを奇跡と呼ばずしてなんとしょう。

 新しいコミュニティ、絆の再生
 世はまさに生き馬の目を抜く競争社会、格差社会。生きづらさを抱えた子ども達はますます増えていくだろう。生きづらさを抱えた若者達、おとな達がそこでもここでも呻いている。
 ぼくはある日ひょいと気が付いた。半世紀前には不登校は無かったなー。とすれば、不登校もイジメも虐待もひきこもりも発達障害も、この生きづらさの原因は、みんな同じ社会的背景、社会構造の変化、格差の無限大の拡大から来ているのではないか。
 格差が小さい社会では人々は自然に助け合う。格差が大きい社会では、哀しいことに憎み合い妬み合う。ぼく達が生きている社会は、豊かだと言われるが、格差の極端な拡大の結果、人々の心の絆はずたずたになった。助け合うことを忘れた群れの中で、人々はみんな孤立している。コミュニティの崩壊、人々の心の絆の崩壊、諸悪の原因はそこにある。
 しかし、世の中の構造を変えない限り、つまり、格差を小さくしない限り、群れの絆を取り戻すことはできない。それは限りなく難しい。
 希望はどこにもないのだろうか。
 ぼくは今、一つの仮説に心惹かれている。昔の地縁血縁で結ばれたコミュニティの絆は、もう取り戻せない。しかし、血の通う「友情」で結ばれた新しいコミュニティは構想できないだろうか。
 “たんぽぽ”にはまさしく、そういう新しい形のコミュニティがあった。困っている人を助けようとしているぼくを一生懸命支えてくださるたくさんの人々が、“たんぽぽ”に集ってくださった。こんな小さな人の輪が無数にできたら、世の中は変わるかもしれない。困っている人を助けることに生きることの意味を見出す人達の絆が世の中を動かすかもしれない。“たんぽぽ”にはその萌芽があった。これを奇跡と呼ばずしてなんとしょう。
 
 思い起こせば、どれもこれも“たんぽぽ”がもたらしてくれた奇跡。人生の晩年にこんな黄金の日々を与えてくださったたくさんの皆様に心よりお礼申し上げます。
 ぼくは今、子どもの介護、専業主夫をしながら、しつこく、ささやかな社会奉仕を続けています。“たんぽぽ”の奇跡を信じているからに違いありません。
 
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I  am OK という生き方

“Iam OK”という生き方



                           カウンセラー  大 崎 博 澄

 “たんぽぽ教育研究所”は、市民の皆様のご厚意のみに支えられた“よろず悩み事相談所”です。思いはただ一つ、困っている人を助ける。最近は発達障害や精神疾患、ひきこもりのご相談が増えていますが、昔も今も一番多いのは不登校に関わる悩みです。
 我が子の不登校を契機に、親子で出口の見えないトンネルの闇の中をさ迷った経験から不登校のご相談には格別の思いを込めますが、安直な解決策はありません。ただ、傷ついた皆様の話をお聴きする中で分かったことがいくつかあります。
 一つは義務教育制度。子どもは学校に行かなければならない、これが世間の常識です。義務教育制度は、子ども達に楽しく学ぶ権利を保障し、国民や政府にそういう環境を整える義務を課すのが本来の趣旨、その環境が整っていない現状では、世間の常識は本末転倒です。
 二つは不登校の責任。子どもが学校に行けなくなって様々な相談窓口を訪ねると、ほぼ例外なく、子どもの資質や家庭のあり方が指摘されます。これはつまるところ、不登校の責任を個人の問題に帰する考え方です。
 半世紀前、この国には病気や貧困を理由とするもの以外不登校は存在しなかった。勉強の嫌いな子ども、子を顧みない親は今と同じように沢山いたのに。不登校は今や、全国で数十万人以上の子ども達、若者達が苦しむ社会現象。個人の責任を問う考え方では、この矛盾を説明できません。この半世紀の間に起った社会構造の変化にこそ原因がある。不登校は社会全体の責任なのです。
 この二つの誤解が不登校の当事者を一層孤立させ、苦しめる要因になっています。
 さて、そんな情況の中で支援者として何ができるか。
 学校は否応なく大人社会を反映します。過酷な競争、経済格差、イジメの構造はそのまま現在の学校や子どもの世界に持ち込まれ、子ども達が健やかに育つ権利を侵しています。しかし、社会の構造を変えることはおいそれとはできない。
 支援者としては、学校へ行けるような条件を整える現実的な手立てを考えざるを得ませんが、それは対症療法に過ぎません。ぼくが密かに心を砕くのはまったく別のこと、より根本的な人間としての生き方の問題です。
 子ども達が、人並みに学校へ行けない自分はダメな奴、と思い込まないで、“Iam OK”、ありのままの自分を肯定する揺るぎない人生観を育くむこと。
 学校に行けなくても、勉強ができなくても、腕力が弱くてもOK。そんなことは人生に何の影響も与えません。極貧に生い立ち、まともな教育を受ける機会を得られずに人生を生きて来た人間として断言できます。
 弱さも含め、ありのままの自分を受け容れること、それは最強の生き方の出発点。ありのままの自分を受け容れることは、ありのままの他者を受け容れること、それは人間として最高の価値であるやさしさを獲得する原点。
 小さなものを愛する、人の痛みに想いを寄せる、そんな気持さえ持っていれば、人はどんな境遇に置かれても、心豊かに生きることができます。
 ぼくは今、難病を抱える我が子の行く末、自分の老い、四面楚歌の情況に置かれていますが、“Iam OK”という生き方、困っている人を助けるというライフワークを選んだおかげで、多くの皆様の温かい支えを頂いて、不思議な幸せを生きています。
 出口の見えないトンネルの闇の中をさ迷う君に、そのことを伝えたい。

幸せですか

幸せですか

                             たんぽぽ教育研究所 大 崎 博 澄

 おおよそ三十年ほど昔、十ヶ月間ご一緒に仕事をしただけですが、物忘れのひどくなったぼくがその方をフルネームで鮮明に憶えています。なにしろ、何を頼んでも気持ちよく引き受けてくれて、手早くきれいに仕上げてくれて、抜群に字がお上手で、淡々としたお人柄、一緒に働くのにこんないい相方は滅多にいません。
 一度こんなことがありました。まだ、パソコンの普及してない時代、例によってなぐり書きのぼくの原稿の清書をお願いしたところ、きれいに仕上げて、一箇所だけ空白のまま、遠慮がちに聞いてくれたのです。この字はこれでいいですか。ぼくの原稿の誤字に気付いてくれたのですね。いやー、すごい。最大級に誉め讃え、感謝したことでした。
 先日久し振りに、おそらくこれが人生最後だと思いますが、ある所から新聞掲載原稿の依頼をいただきました。子どもの人権がテーマ。これはぼくの一番書きたいこと。願ってもないありがたいことです。
 ところが、もっと思いがけないことがありました。なんと、依頼してくれたのはその方が勤めている団体。上司と一緒にその方が“たんぽぽ”に挨拶に来てくれたのです。三十年ぶりの再会。
 コーヒーを淹れながら、ぼくは一番気になることをあっさりその方に聞いてしまいました。「今、幸せですか」。遠慮のかたまりのぼくですが、歳をとると横着になるものですね。
 花も嵐もあった三十年だと思いますが、「幸せです」、昔と同じ、淡々とした答が返って来ました。
 真面目に働くいい人が幸せであることは何より嬉しいこと。ぼくへの原稿依頼の発案者がその方であったという裏話も、この上なく嬉しいことでした。
 久し振りに、渾身の力をこめて原稿を書きました。不登校に苦しむ子ども達へのメッセージ。彼らが誰かに「幸せですか」と聞かれた時、さわやかに「幸せです」と答えてくれる世の中を創ること、“たんぽぽ”のはるかなる悲願です。

小さなリンゴの木

小さなリンゴの木

                   たんぽぽ教育研究所 大 崎 博 澄


 集合住宅に住んでいる。年寄りには用心がよくてご近所付き合いの気兼ねもないので気楽だが、庭が無いのが植物の好きなぼくには少し寂しい。狭いベランダは鉢植えでいっぱい。数年前、日曜市で買った小さな実のなるリンゴの木もある。毎年花は咲くが、なぜか実はならない。
 リンゴの木は南国高知ではあまり見かけないが、リンゴはぼくにとって格別の郷愁を誘う果実。
 子どもの頃、風邪をひいて学校を休むと、お母さんがリンゴを食べさせてくれた。遠足の時は、お弁当にリンゴを一つ添えてくれた。紅玉という今では店頭でほとんど見かけない、やや酸味の強いリンゴ。リンゴはお母さんのやさしい思い出と重なる。
 ベランダの小さなリンゴの木は、今年、異常とも思えるほどたくさん花を着けてくれた。すると、その花を探し当てて、小さなミツバチがやって来た。この街のど真ん中にも、ひそかに野生が息づいているのだなー、と思うと嬉しい。ミツバチは一匹だけだったが、何回も訪れてくれた。
 リンゴの花が散ると、その後にいくつか、小さな口をプンとふくらませたような青い玉が
着いている。ひょっとしたら、と思って毎日気を付けて見ていると、間違いなくほんの少しずつ青い玉がふくらんでいる。何度も数えてみた。全部で七つ。
 毎年花が咲くのに実がならなかったわけが分かった。今年はあの小さなミツバチさんが授粉してくれたのだ。
 秋、青い玉が無事に大きくなって色づいてくれたら、お母さんにお供えしよう。来年も沢山花が咲き、ミツバチさんが訪ねてくれるように、リンゴの木にお礼肥えをしてやろう。ぼくはこの頃、いい年をして、なぜかとても元気がいい。
 生きることの意味を探して、多くの若者達がさ迷っている。誰かに見つけてもらうことはできない。自分で見つけるしかないが、ぼくの経験では、案外身近なところで見つかるような気がする。コツは、小さなものを愛する。人の痛みに想いを寄せる。

追悼・川島隆志先生

追悼・川島隆志先生

                                   たんぽぽ教育研究所 大 崎 博 澄

 “たんぽぽ”で子育てや教育に関わる様々なご相談を受けながら思うこと、それは、子どもにとって何が一番大きな幸せか、ということです。
 親の愛情に包まれて育つことはもちろんですが、学齢期の子どもにとって、生活の大部分を占めるのは学校、自分とフィーリングの合う先生に出会うことが、子どもの運命、幸せを左右する一大事ではないかと思いますね。
 ぼくは山奥の貧しい山村の、そのまた村一番の貧しい家庭に生い立ちました。親の愛情は十分にもらいましたが、寡黙でひ弱な性格、体力も乏しく、答を知っていても手を上げられないような子どもでした。あの頃は一クラス五十人以上もいましたし、ぼくのような子どもに声をかけてくれる先生は、小中学校を通じてひとりもいません。
 自分の将来を漠然と、兄さんや姉さんと同じように中学校を卒業したら大阪あたりへ働きに行く、やがて結核になって帰って来る、そんな風に考えていました。夢も希望もありません。
 でも、人生には本当に奇跡が起ることがありますね。
 中学三年の時、川島隆志先生という数学の先生が赴任して来られ、ぼくのクラスの担任になりました。貧しい家の子ども、勉強のできない子どもにも分け隔てなく声をかけ、肩を叩いてくれる先生でした。そういう先生に小中学校を通じて初めてぼくは出会いました。寡黙でひ弱、答を知っていても手も上げられないぼくは、川島先生に出会って奮い立ちました。苦手の数学が俄然大好きになり、後にも先にもこの一年だけ勉強がよくできる元気な少年になりました。
 川島先生はある日ぼくの家にやって来て、その頃家計を支えていたぼくの兄を説得し、隣村にある定時制高校に進学するお世話をしてくれました。それでぼくの運命が変わりました。
 毎年年賀状を出すだけの不肖の教え子でしたが、講演でいつも川島先生の話をするので、人づてにそれは先生にも伝わっていたと思います。半世紀続いたお年賀のやり取りが今年終わりました。でも、ぼくが先生を忘れることはありません。
 今年の大学入試センター試験の当日のニュースで、これで人生が決まりますから、という受験生の声が放送されていましたが、子どもの幸せや運命はテストの点数では決まりません。親も含めて、どんな大人と出会うか、それがすべてだと思います。
子ども達、若者達に素敵な奇跡を贈ることができる大人でありたい。川島先生から受け継いだ“たんぽぽ”の夢です。

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