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朋あり、遠方より来たる

朋あり、遠方より来たる

                たんぽぽ教育研究所  大 崎 博 澄

 知り合いの小学校の先生から思いがけない連絡があった。「K先生が金曜日に来高されます。大崎さんに会いたいそうです」。はるばる愛知県からK先生がいらっしゃる。前回は都合がつかなくて不義理をした。一緒に飲めるのはこれが最後かもしれない。一も二もない。子どもに了解をもらって、行きつけの居酒屋を予約した。
 お会いするのは二年ぶりか、三年ぶりかなー。いつものとおり、満面の笑顔で暖簾を分けて入って来られた。肺がんの療養中だと聞いているが、顔色も血色もよく、若々しく、とてもお元気そう。とりあえずほっとする。お互いに笑ってばかりで乾杯する。
 K先生は永年中学校の理科の教員をしておられた。子ども達が人生を心豊かに幸せに生きていく力を身に付けるために、学校は子ども達にとって、勉強することも友達と遊ぶことも、楽しくてたまらない場所でなければならない。もちろん、教員にとっても。
いつも笑ってばかりいて理屈を言わない先生からお聴きしたことはないが、永年お付き合いしていて体感した、これがK先生の教育哲学である。
 K先生はいつも、どの子どもに向かっても、満面の笑顔で接し、楽しい授業を徹底して追究された。授業が楽しければ、子ども達はいきいきのびのびと意欲的に学ぶ。生きる。今、教育が直面している学力、不登校、イジメ、非行などの問題は、その中で自然に、根本的に解消される。
 残念ながら、現代の教育界ではこういう考え方は排斥されていて、K先生は万年ヒラ教員のまま退職された。今、学業の挫折や進路のつまずきを抱えて悩む若者達を、満面の笑顔で受け容れる通信制高校の校長として第二の人生を過ごしておられる。
 近頃、靴下を買っても、手帳を買っても、これが最後かな、と思う年齢になった。K先生はぼくよりさらに二つか三つ年上である。肺がんである。遠方に住んでおられる。どちらが先に逝くにしても、これが最後の乾杯になりそう。ぼく達は笑いながらハイタッチを繰り返し、杯をあげた。朋あり、遠方より来たる。これが飲まずにおらりょうか。
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名も無く貧しい詩人のつつましい食卓の話

野いちごの場所で・38・名も無く貧しい詩人のつつましい食卓の話

                                                       大 崎 博 澄

 高知新聞に月一回掲載される黒笹幾慈さんの「なんちゃって総合研究所」を愛読している。先日の「贅沢よりも居心地のよさ・サーファー文化取り込め」は黒ちゃんの豊かな教養に裏打ちされた「思想」が出ていて格別に面白かった。いわく、シンプルの先にある贅沢、貧乏だけれど貧乏くさくない生き方。納得。ぼくの貧乏くさいが融通無碍の台所仕事、究極の簡素な食卓は、もしかしたらそれに近いかもしれない。名も無く貧しい老詩人が営む台所、心を病む我が子と囲むつつましい食卓の話をしてみようか。
 晩年を迎えつつある日、ぼくは突然主夫になった。それから六年になるか、七年になるか、それとも八年になるか、もう忘れたなー。
 元来が臆病で気の小さい、この上なく弱い人間だけれど、そのゆえに、こういう運命の転変、突然襲ってくる人生の辛酸を受け容れることには子どもの時から慣れている。加えて、高校生の頃おふくろが数年間、寝たきりになり、極貧の家庭の台所を切り盛りした得難い経験がある。この経験は、十八歳で田舎から街に出て自炊生活をすることになった時にもおおいに役立った。この度もそう。つまりぼくは生涯、お金も料理の腕も無いままに、なんとか工夫して簡素な食卓を整えるように運命付けられているみたい。
 耳。何を隠そう、一年ほど前から、耳がほんの少し遠くなった。先日、思い切って近所の耳鼻科で診てもらったら、年齢相応の聞こえです、治療の対象にはなりません、とのこと。その耳で、子どもが語る今日一日の物語を懸命に聞きながら、二つの弁当箱を洗う。
 酒。洗いながら、愛用の小さなグラスに日本酒でも焼酎でもワインでも、ありあわせの酒を注ぐ。とるものもとりあえず一杯。すきっ腹で飲む酒が一番。
 酒、と言えば思い出す光景がある。五十年前の中村市。ぼくはまだ紅顔の美少年。その頃、やさしいおばあさんが経営する「まつば」という清潔な食堂でいつも夕食を食べていた。仕事帰りの土方のおんちゃん達が入って来る。「焼酎を一杯くりや」。「くりや」は幡多言葉で高知で言うと「くれや」。おんちゃん達は、かぼちゃの煮たのなどをつつきながら、グラスに盛り上がるように注がれた透明の液体をそろそろと飲む。これぞシンプルの先にある最高の贅沢。焼酎がまだ民衆の酒であった頃の話。
ぼくは先立つものが無いので、酒は値段が安くて、そこそこ飲めるものに限られる。日本酒なら白鶴の「まる」、焼酎なら行きつけのスーパーのオリジナル商品の麦焼酎、ウィスキーなら「ブラックニッカ」。ワインが楽しめるのは、北村さんが時々持参してくださるチリ産三リットル入りの珍品がある時だけ。真の酒飲みは酒をりぐらない。
 仕込み。台所仕事の手始めは、明日の二人分のお弁当の仕込み。仕込みと言っても、ぼくの作る弁当はシンプルの極み。お金と時間をかけないこと、野菜と動物性たんぱく質のバランスだけを考慮する。だから、仕込みは、明日の朝炒める野菜を洗って刻んでおくだけ。野菜の量だけはたっぷり。
 素材は季節によって多少変わるが、好物はしびれるほど辛いシシトウ、ほろ苦さが売りのゴーヤ。シシトウは生育環境のストレスで辛くなるという。シシトウにも生物としての本能、五分の魂があるのだ。だから辛いシシトウが好き。そのほかピーマンやインゲンなどの繰り返し。朝は刻んでおいた材料を醤油と鰹節でざっと炒めるだけ。美味しいよ。
 動物性たんぱく質は、塩鮭、塩サバ、タラコ、焼き豚、ウィンナー。サバは最近取れなくなって高くなったので食べられなくなりつつある。サバ好きのぼくはちょっと悲しい。
 弁当は一年中この組み合わせ。よく飽きないと思われるかも知れないが、ぼくも子どもも、この弁当でおおいに満ち足りている。年に一、二度、外の会議などでかなり上等のお弁当をいただくことがある。そのまずさに驚く。世の人はこんなまずいものを美味いと思って食べているのか。ほんの少し優越感にひたる。
 「お父さん定食」。我が家の食事は今、ダイエットモード。朝昼しっかり食べて夜は軽く、これが基本の思想。ぼくにしては手をかける朝食は「お父さん定食」と称する。
 一品は納豆。ネギを刻むだけ。二品は味噌汁。お碗二杯の水を小さな鍋に入れる。出し昆布一枚を鋏で四つに切って入れる。汁の実は、ミョーガを最上とする。そのほか、ゴボウ、豆腐、ワカメなど。ぼくの故郷のような貧しい山村では、味噌汁が主菜であった。あらゆるものが汁の実になった。ぼくのおふくろの昔話。深山幽谷に炭焼きに入った時、山小屋で炊く汁の実に困って、蕗の葉を摘んで入れたそう。さぞや苦かったろう。これは貧乏話ではなく、現地調達という究極の贅沢の話。三品は野菜。小松菜や大根の抜き菜の炒め物、ツルムラサキのおひたし、ニラタマなど。安くて栄養価の高いニラはぼくの頼もしい味方。四品は動物性たんぱく質。たまに肉類の塩焼きをする以外は、ハムかソーセージエッグ。
 お父さん定食はこの四品のみ。これも美味しいよ。その他に常備采として酢タマネギとジャコ。食後にはもちろん、四万十町のコーヒー店「淳」のコーヒーを淹れる。
 夕食。お父さん定食の仕込みが終ると、ようやく夕食の準備。その頃はもうぼくは酔っている。お酒は小さなグラスにおおむね三杯、一合五勺が目安だが、その日の子どもの状態、ぼくのストレスの度合いによって増減する。胸の痛みが沁み通る時は、ええい、知るか、これが飲まずにおらりょうか。いさぎよく酔いしれる。
 「野菜炒め」。最近の夕食の定番は、生食用に作った野菜サラダのオリーブオイル炒め。レタス、水菜、タマネギのスライス、シメジやマイタケ、人参の細切りなどを塩胡椒で炒めるだけ。冷たい野菜サラダが温野菜になり、体にもよく量もこなせる。これにコレステロールを下げるという触れ込みの豆乳ヨーグルトを添える。
 融通無碍。子どもが、ありがとう、美味しかったと言ってくれるとすべての苦労が報われる。食べたくない、食欲が無い、突然そう告げられる時はどうするか。詩人としての想像力が問われる時。貧しい台所の、数少ない選択肢の中で、脳味噌をフル回転させる。幸い、ぼくの想像力で、これまで、乗り越えられなかった危機は無かった。どうやらぼくは、詩人としてまだ枯れてないらしい。シンプルの先に、究極のぼくの詩がある。

「大丈夫だよ」

「大丈夫だよ」

                                             たんぽぽ教育研究所 大 崎 博 澄

 中澤社長さんの格別のはからいで、お仕事で来高されている成澤俊輔さんにお会いすることができました。
 全盲で、就労移行支援・就労継続B型事業所を複数運営する特定非営利活動法人Future Dream Achievementを率いる32歳の若者。
 お昼休みの短い時間をぼくのために割いて、40分ほど、怒涛のように思いを語ってくれました。残念ながら、こちらは感動と緊張で内容をほとんど覚えていません。が、彼の発するオーラは全身にあふれるほど浴びました。
 一つだけ憶えているのが、不安がいっぱいで事業所にやって来る障害者やひきこもりの当事者に彼が繰り返しかける言葉、「大丈夫だよ」。
 それは、様々な挫折や心の傷にまみれた彼らが、これまでの人生で一度もかけてもらったことの無かった言葉。
 成澤さんは、遅刻して来ない人には、遅刻していいんだよ、たまには遅刻しなよ、休まない人には、休んでもいいんだよ、休みなさい、あえてそこまで声をかけてあげるそうです。
 今日の午後、競馬場に週2日、土日の就労が決まった青年が喜びの報告に来てくれました。彼は馬が大好きで、牧場で働くことが最終目標、競馬場で働くのはその第一歩ですが、傷つきやすい彼の心は、喜びと不安がないまぜでかなり大変。
 福島正伸さんの「夢しか実現しない」も含め、様々に励ましや処世の仕方を伝授しましたが、どうもぼく自身も不安です。馬に関わる人達は、きっと心は優しいだろうけれど、気も荒い、言葉も荒いかもしれない。その人波でもまれて、彼は果たして持ちこたえられるだろうか。
 ふと、思いつき、成澤さんの専売特許を無断で拝借しました。
「大丈夫だよ」
 月曜日午後の面談の予約をして、彼はいい顔をして帰って行きました。これから毎週末、彼の大丈夫を祈ります。皆さんも祈ってあげてくださいね。

ヒュウマンウォッチング

野いちごの場所で・37・ヒューマンウォッチング

                           大 崎 博 澄

 桜の花の季節が過ぎると、お隣の幡多倉公園は一気にしたたるような新緑に覆われます。キジバトが一羽、木の枝をくわえて巣作りの場所を探しています。ヒヨが咲き残っている花の蜜を求めてやって来ます。スズメも新婚さんかな、楽しそうに緑の中を飛び交っています。
 小鳥を観察するのが好きなぼくは、事務所に双眼鏡を持ち込んで、仕事の休み(・・)で(・)にたんぽぽの窓から時々バードウォッチングを楽しんでいます。もちろん、ご近所にお住まいの方や、通行中の皆さんにご迷惑をかけることのないように細心の注意をしていますので、ご安心くださいね。
 生き物はみなそうですが、野鳥はどんなしぐさもかわいい。スズメも、ヒヨも、ツグミも、嫌われ者のムクドリやカラスも。
冬場は、高知の市街地を流れる川ではどこでも、カモの姿が見えますね。ぼくの住まいの近くの江の口川に辿り着いたカモを見ると、人間の運命を思います。もっときれいな川に着水すればよかったのになー。すぐそこに鏡川があるのにどうしてここを選んだのかなー。こんな汚れた川の水草をついばんで大丈夫かなー。
 でも、これは余計なお世話かも知れませんね。人間も同じこと。住む場所も、職業も、ひょっとしたら生き方も、自分の意思以外の何かに大きく左右されているように思えます。それが必ずしも不幸とも限らない。汚れた水面にも、ぼくのうかがい知れないたおやかな幸せがあるかも知れない。まさに運命。
 そんなことまで考えが及ぶから、野鳥の観察は飽きることがありません。
 でもね、ぼくには野鳥の観察よりももっと夢中になることがあります。人間の観察です。といっても、人様の身なりや行動をじろじろ見る、ということではありません。偉い人、有名な人と知り合いになりたい、というのでもありません。
 心が通う人との出会いを求める、という言い方が正確かな。これが、ぼくの場合は人生の最高の幸せ。ぼくはこれをヒューマンウォッチングと名づけています。
 たんぽぽ教育研究所がお世話になっている四国管財株式会社様の玄関を左に出て、すぐの四辻を百々酒店の方向へ曲がると、道端のアスファルトの割れ目に野生のスミレが一株、たくましく生きています。それをぼくに教えてくれた人がいます。紫のスミレの花も素敵ですが、教えてくれた人の心根が哀しい。
 ぼくは“たんぽぽ”でのささやかな社会奉仕と、複数のアルバイトと病気の子どもの介護という、年齢にしてはかなりハードな晩年を過ごしています。寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。釣りも山登りも、散歩も昼寝も気の向くまま。そういう気楽な生活を一生に一ぺんくらいしてみたいと思わないことはありませんが、まあ、その見込みはありません。自分の自由に使える時間も、したいことをする自由な意思もほぼゼロ、不幸を絵に描いたような毎日、かなり悲惨な生活と言えば言えます。
 さて、これをあなたは不幸だと思われますか。
 それが、ちっとも不幸ではないのですよ。人生で、今ほど幸せな時は無いかも知れない。
 ぼくは幸運にも、四国管財の社長様はじめ、たくさんの皆様のご厚意と支えで、たんぽぽ教育研究所に辿り着くことができました。死に場所、というと語感がよくないですね。自分の生き方を全うする場所、というのがぴったりかも知れませんね。
 ぼくはここで毎日、切実な悲しみや苦しみ、寂しさを抱えた人達のお話を聴いています。話しながら、ほろほろと涙を流される方もいます。そういう人達のために、何かをしてさしあげる手立てがぼくにあることは稀です。たいていは何もしてあげられない。一緒にはらはら涙を流すだけ。精一杯お聴きして、精一杯励ましの言葉を探すだけ。
 でも、お話がすんで、お見送りした後、ぼくの心に残るのは、不謹慎と思われるかも知れませんが、人生の不条理への怒りや悲しみではなく、不思議な幸せ。
 暗いトンネルの出口を求めてさ迷っている人達が求めているのは、問題の解決ではありません。この悲しみ、この苦しみ、この寂しさへの深い深い理解です。一人でも分かってくれる人がいれば、人は出口を探す旅を続けるいくばくの勇気が得られる。
 ぼくは彼の悲しみを我がこととして受け止めた。ぼくは彼を人生の友として迎えた。そう思う時、ぼくの心に湧いて来るものは、不思議な幸福感です。
 ある時、不登校に関するぼくの講演を聞いてくださったお母さんからお手紙をいただきました。秋の深まった頃、深夜、椎の実がトタン屋根に落ちる音を聴くような、静かで深いお手紙でした。ぼくには、不登校を解決する方法を語ることはできません。ぼくがとつとつとお話したのは、学校に行けない我が子の苦しみ、それを見守るしかない親の切なさ、それだけです。でも、あのお母さんに一番必要だったものは、そのことだったのかも知れない。そのお母さんが、今、ぼく達親子の心を支えてくれています。
 “たんぽぽ”には時々、意思疎通がほとんどできない人も訪ねて来られます。受付の社員さんにご迷惑をかけているかもしれないと心配しますが、ぼくにとっては手ごわいけれど、さればこそ、大切なお客様。
 みんな、誰かに分かって欲しい切実な思いを抱えておられます。この人は何をぼくに伝えたいのか、一生懸命にお聴きしていると、ほんの少しですが、その思いの輪郭が分かる瞬間があります。彼には彼の、壮絶な人生がもたらした苦しみがある。切羽詰った怒りがある。それを伝える手段は、私達の手垢にまみれた常識の世界の言葉とは違う。彼の世界の言葉。
 他の人でなく、彼が聴き手にぼくを選んでくれたことに感謝しながら、理屈ではなくシンフォニーを聴くように耳を澄まします。そうすれば、聞こえて来る。彼の伝えたいことがぼくの五感にかすかに。
 詐欺師のカウンセラーが本物のカウンセラーに変身する瞬間。彼とぼくとの間で、少しだけ心が通います。
 だから、ヒューマンウォッチングは止められません。もうしばらく、脳味噌と体力の衰えは覆うべくもありませんが、もうしばらく人様の悲しみに向き合いたいと思っています。

生きることの意味・私の「ひきこもり論」の骨組み

生きることの意味・私の「ひきこもり論」の骨組み

① ひきこもりをどう理解するか
 ひきこもりは、家庭の責任、当事者本人の責任ではない。ひきこもりは過酷な競争社会がもたらした社会病理である。不条理な現代社会に対する、当事者の生物としての自然な自己防衛行動である。ゆえに、本人を治す、という考え方に立たない。人間の自然な成長発達を疎外している社会構造を治す、という立場に立つ。

② ひきこもりの解決をどんな風に考えるか
 人並みに外に出られる、仕事に就くことができる、それをひきこもりの解決と考えない。当事者が自分の現状を受け容れる、自分で自分を赦す、安心してひきこもれる、そういう心境になれた時、ひきこもりが解決したと考える。問題の現象面の解決よりも、問題の本質的理解の方が大事。

③ 親、支援者としてひきこもりにどう向き合うか
 パーフェクトな親、支援者でなくてよい。自分自身が人間として成長していくことを目指す。心豊かに生きることを目指す。当事者はその後姿を見ている。

 生きることの意味は、人生で大きな成功を収めることではない。輝かしい業績をあげることではない。極論すれば、幸せな生涯をおくることではない。
 この世は多くの痛みや苦しみに満ちている。自分で痛みや苦しみを、孤独や絶望を経験しなければ、人様の痛みや苦しみ、絶望や孤独を理解することはできない。
 それを理解することで、人と人との心ははじめて通い合う。心が通う瞬間、それが人生で最高の幸せ。
 そこに至るために、私は痛みや苦しみ、孤独や絶望を引き受けている。そう考えれば、自分の現在の不幸な境遇を受け容れることができる可能性が生まれる。その向うに、よき人、よき友に出会えるという希望の扉がある。
 その意味で、私が引き受けている痛みや苦しみ、孤独や絶望、不幸こそ、私を本当の邂逅、幸せに導く唯一の扉。私が生きることの意味はそこにある。

CM 小著「詩集・人生の扉は一つじゃない」は自費出版としては奇跡の快進撃を続け、おかげでたんぽぽの運営は安泰でした。二匹目のドジョウを狙ったぼくの渾身のエッセイ集「生きることの意味」は、さっぱり売れず、在庫が山積み、たんぽぽの運営も少し資金繰りが怪しくなって来ました。読書の達人の土佐高の広井護先生はずばり「この本の主題は「不思議な幸せ」ですね」と言ってくれました。そのとおり、不幸の問屋のぼくがの出会った不思議な幸せについて、しみじみと語っています。不思議な幸せに出会いたい方、ご注文は855-4546へどうぞ。あなたとの出会いを待望しています。


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