10
1
2
3
4
5
6
7
8
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

いのちの電話中四国大会講演

<講演>

中国・四国いのちの電話相談員合同研修会高知大会分科会講演(要旨)
  2012.10.6 15:45~17:45 90分+質疑30分
    10.7 9:15~11:15 90分+質疑30分
  テーマ <心の闇にどう向き合うか>

皆様の日頃のご奉仕への感謝
自己紹介・専門家でも研究者でもないことのお断り

はじめに・小林完吾さんの言葉
「子どもに生を与えたということは、親が付き合ってやれない死を与えたということ。
であれば、生きている一瞬一瞬が生きていてよかったと思えるものであって欲しい」
    30年前、我が子の子育ての悪戦苦闘が始まった頃、この言葉に出会う
    子どもは親に守られて生い立つが、死ぬ時は普通は親はいない、ひとり死迎える
  最近は親に守られて生い立つことができない子ども達もいて、その数は増えつつある
  先日公表の文科省調査、2011年の子どもの自殺200人
  生きている一瞬一瞬が生きていてよかったと思うことができない子どもが増えている
  私達は我が子の幸せを願うが、政治に国境はあるが経済に国境は無い時代・我が子
    だけの幸せは無い・我が子の幸せは世界の子ども達の幸せと一つのもの
その意味で、私達には、世界中の全ての子ども達の幸せを、今、守る責任がある
学校や家庭に丸投げでなく、社会全体で子ども達を育てる責任がある
世界中の全ての子ども達は将来でなく今、幸せに生きてもらわなくてはならない
今、その子ども達の健やかな成長が大変危うい状態におかれている
自然環境の破壊・経済の枠組みの破綻・生活基盤、モラル、人々の心の絆の崩壊
人間が人として健やかに育つ環境がすべての面で崩壊しつつある
その結果、子ども達、若者達、中高年の心の闇が深く静かに急速に広がっている
イジメ、不登校、反社会的な暴力、ひきこもり、ウツ病
いのちの電話のご奉仕を続けておられる皆様は、その最前線の防波堤
子ども達が健やかに育つ社会環境を市民の手で再生する一つの大きな手掛かり
この研修を通じて、現代の子ども達、若者達が抱えている問題への理解をさらに深め
皆で全ての子ども達、若者達の健全な成長に手を貸そう
心の闇を抱えたまま大人になった人達をたおやかに支えよう
目の前に困っている人がいたら手を差し伸べよう
何より、この研修を通じて、お互いに人間として成長しよう
いつまでも成長しようという気持を持ち続けていると、どんな境遇に置かれても私達
は幸せを実感できる

子どもの世界に異変・広がる子ども達、若者達の心の闇
「心の闇」という言葉をマイナスイメージで受け止めないで・心の闇は人間の成長にとって必要なプロセスでもあり得る・大人になるために昔より時間がかかる時代
  子ども達、若者達の意識や行動が私達に見えない部分、読み切れない部分、理解できない部分を仮にそう呼ぶだけ
ミヒャエル・エンデ(ドイツの児童文学者)の予言
虚無に飲み込まれていく世界の恐怖・私達は今そこに立ち会っているのでは?
子どもの世界の異変・自分自身や社会への反抗の爆発
不登校・統計上全国で10万人以上
  学校は社会の縮図・苛酷な管理競争社会への必死の異議申し立て
私達の社会は子ども達の健やかな育ちを保障できなくなった
イジメ・全国の学校・教室に蔓延
  苛酷な管理競争社会の反映・イジメは社会を変えない限り解決できない
中高大学の先生が異口同音に
  子ども達の生きる意欲、目的意識、人と関わる力が弱まっている
いずれも、同じ心の闇に発する社会現象ととらえたい
こうした問題は、教育システムを変えるくらいの事では解決できない・社会問題

実は大人の世界にも同じ異変が
  大学生の不登校・若者達のひきこもり・中高年の出社拒否・ウツの広がり
    これも苛酷な管理競争社会への異議申し立て
    育児放棄・児童虐待・高齢者への虐待・理由なき無差別殺傷
  苛酷な管理競争社会の反映
いずれも、同じ心の闇に発する社会現象とらえたい

背景に何があるのか?背景を知る事で現象をより深く理解することができる
  世はまさに仁義なき過酷な競争社会・経済的な格差の拡大を無制限に容認する社会
額に汗しないで儲けること、人を騙して儲けることが許される社会
    人間の命よりも企業利益を優先する事が許される社会
  仁義なき競争社会はモラルの崩壊を招く
    私の生まれた1945年の村・みんな貧しいが心の絆があった・さて豊かな現代
貧困そのものよりも、経済的な格差の拡大が心の絆を破壊、人々の不幸感を増幅
人々の心の絆という最後のセイフティネットの崩壊しつつある社会に生きる私達
  病気、障害、高齢、人生の将来に安心の無い社会・心のホームレスの進行
一方で、すべてを社会の責任に帰する高度の依存社会・無責任社会
しかも社会のあり方に人々は全く無関心・他者のいのちに無関心な社会
  子どもが変わったという説がある・子どもの本質は変わらない・育つ環境が変った
    人間は社会的動物、社会に育てられてはじめて社会を支える大人になれる
    心の絆のない地域社会では子ども達は健やかに育つことができない
社会の子育て力の崩壊が子ども達・若者達の心の闇を生み出している
健やかに育つことができなかった世代が親になる悪循環に私達の時代は突入している

なぜそうなったのか?理由を知る事で現象をより深く理解することができる
  社会構造の変化
経済成長政策による豊かさの獲得・その結果もたらされた産業構造の変化
経済政策が製造業・輸出産業にシフト・一次産業の崩壊
貧しいが格差の小さな農業社会から・豊かだか格差の大きい工業社会へ
  人々の意識の変化
豊かさの追求の果てに自分を見失った私達
例えば子ども達に環境破壊という巨大な負の遺産を平気で残している
社会的動物のはずなのに、助け合うよりも競い合いが優先されている
  競争原理で経済はうまくいくかもしれないが、人間性は崩壊する
貧富の差が大きくなると人々は助け合わず憎み合い、孤立化する
その結末
地域に住む人々の心の絆の崩壊・コミュニティの崩壊・社会のモラルの崩壊
社会の中で育った子どもは、社会を支える大人になれる
社会の中で育ててもらえなかった子ども(若者)は、社会に反逆するほかなくなる

こういう時代に育った子ども達・若者達の気持ちにどう向き合うか
まず大切な事は、心の闇のとらえ方
  子ども達を健やかに育てるのは、親の責任、家庭の責任、学校の責任だけでなく、私達みんなの責任だと考えたい・社会の将来を支えてくれるのは子ども達・その意味で我が子も人様の子も同じように健やかに育てる責任がある、そう考えたい
  子ども達が悩む事、迷う事、時に過ちを犯す事を否定的にとらえない
世の中に絶対正しい物差しはない・悩む事、迷う事、過つ事そのものが人間とし
て成長して行くために必要なプロセス・全てを受け容れる立場に立ちたい
  不登校・ひきこもり・家庭内暴力・非行――自分自身に向かう反抗に対して
    それを悪い事と捉えない・人生をよりよく生きるための通過点・そこを通る事でしか獲得できないものがある・その子どもにとっては過酷だけれど必要な道
  自分を虐げることで訴えようとしているものがある・それを思いやりたい
キレる・イジメる・校内暴力・ホームレス襲撃――外に向かう反抗に対して
  自分より弱い者を虐げることで自分の存在を確かめようとしている
    自分を支える価値観、心の柱が見つからないために暴力や悪意に頼る
    自分に目を向けてくれる人、受け容れてくれる人、その場所を求めるもがき
背景に弱肉強食を容認している大人社会があることを忘れないで

心の闇にどう向き合うか
  思っている事、抱えている事、悩んでいる事を十分に言葉にできない子ども達が居る
事を認識する・分かることを急がない
声にならない声に耳を傾ける・言葉の背後にあるものに想いをめぐらす・
  自分の基準による善悪の価値判断をしない・清濁すべてを受け容れる
安心して話せる雰囲気づくりに心を砕く・一本の電話回線が安心できる心の居場所に
なり得ることをいつも意識する
  自分で答えに辿り着くのを待ちたい・安易なアドバイスを控えたい
  「自尊感情」「自己肯定感」「自分づくり」を援助する話し方を意識する
自尊感情は、認められる事、居場所を得る事、人間への信頼を獲得する体験の中
で育まれる・どんな突飛な話も肯定的に受け止める
  野口先生の話――学力だけじゃだめ、「自尊感情」という心を支える柱が必要
  子どもは大人の背中を見て育つ
私達が人生をどう生きているかが、最終的には問われている・その事を忘れない

人生をどう生きるかその一・心の闇を生み出す社会を変えることを心の底で意識する
  人の意識や社会構造は、お説教では変えられない、政治運動でも変えられない
    性急に結論を出せない難問だが、とりあえず
    目の前に困っている人がいたら手を差し伸べよう
    人の心の痛みを自分に重ねてみる想像力を持つ努力をしよう
    一個人が一歩を踏み出すささやかな勇気こそ社会のあり方を変える力になる
  結果を急いで求めない・しかし絶望しない
    私は現代社会にほぼ絶望している
しかし、私のささやかな活動を支えてくれる人がたくさんいる
    絶望は何も生み出さない、希望は何かを生み出す
  敵を倒す闘いでなく、仲間を増やす闘いを組織する
    今、目の前で困っている子どもの話を聞く
今、目の前で坂道を登る車椅子に傘をさしかける
今、悩んでいる人の話を聴く
    市民の小さな善意を積み重ね、ゆるやかに連帯する
    教祖にならない・教祖を作らない・熱狂する人は早く去っていく
  その過程で自分が変る、成長する、自己変革を通じてのみ社会は温かいものに変わ
    る・人を変えようとするのはファシズム

人生をどう生きるかその二・小さな弱い人を守る
  世の中は甘くない・2000年4月の第一声
「皆さんは弱い立場に置かれている子どもの味方であって欲しい」
    8年間この教育哲学を一貫、現場に足を運び、自分の言葉で語り、相談を直接受
ける・しかし結果は惨憺たる敗北、子ども達をめぐる情況は全く好転しなかった
  しかし、世の中には捨てる神だけでなく拾う神もいた
    無神論者である私のお守り
    任を離れる時、そして今もいただく無名の市民からの声援
  はぐれた一頭の子羊を見捨てない、という哲学
    はぐれた一頭の子羊を見捨てる羊飼いは、群れ全体を統率することはできない
私は我が子も人様のお子も含め、小さな弱い人を守り切れなかった
  それは人生の大きな悔いだけれど、守り切れなかったがゆえに学んだものがある
  小さな弱い人が守られる学校ができる時にのみ、全ての教育課題が根本的に解決する
  小さな弱い人が守られる社会ができる時にのみ、全ての人が幸せになれる
    どうやってそこに至るか・年老いた今もその答えを追い続けている

人生をどう生きるかその三・私の収支決算
  不幸を背負って失ったもの
老後の蓄え・自分のために使う時間・安らかな暮らし・死への恐怖
  不幸を背負って得たもの
    小さなものを愛する好奇心・人の心の痛みに寄り添う想像力
    自分を支えてくれる人の輪・老いてなお衰えぬ闘志・たんぽぽ教育研究所
  差し引き決算はどうなったか

いのちの電話を中国四国にさらに根付かせたい・そのために私達にできることを
  いのちの電話で素敵な仲間に出会う・求めていれば出会える
いのちの電話の活動を楽しむ・私は心の闇を抱えた人にささやかな奉仕をしている
  いのちの電話を人間として成長する場所にする・成長を目指す時、人は幸せを実感
  いのちの電話は子ども達を社会全体で育てるという責任を果たす突破口
世の中をほんの少し温かいものに変えるために、ほんの少し身銭を切ろう
目の前に困っている人がいたら手を差し伸べよう・救われるのは私自身・最高の幸せ

CM・人生の扉は一つじゃない
スポンサーサイト

イジメ・この心の闇にどう向き合うか

<エッセイ>


イジメ、この心の闇にどう向き合うか

 近頃、子育てや教育について語る時、子どもの人権に触れることが多くなった。それには、わけがある。現代の子育てや教育が直面している問題を、どうやって解きほぐしていくかを教育の本質に添って考えて行くと、子どもの人権をどうやって守るか、ということに行き着く。その意味で子育てや教育の問題を考える時、人権の視点が欠かせない。
 子どもの人権は今、危機的な情況に置かれている。その象徴が不登校とイジメ。
 不登校は、全国の小中学生で統計上10万人以上、保健室登校や別室登校、断続的な不登校の繰り返しなど潜在的な不登校を含めると、おそらく数十万人の子ども達が学校に行きたいけれど行けないことで苦しんでいる。しかも、小中学生にとどまらず、高校生、大学生、社会人にも深く静かに浸透しつつある。とどまることを知らない社会病理。
 前回はこの不登校について書いた。あえて「不登校という希望」というタイトルを付けた。不登校の場合は、実態はそうでなくても、子ども達が主体的に学校へ行かないことを選んだ、社会に対する異議申し立てだとみなせる。だとすれば、それは希望と言える。
 今回はイジメについて書かなければならない。しかし、タイトルの付け方に窮した。「イジメという絶望」が現実を表すにはぴったりだが、被害者に対して不遜な響きがある。あまりにかなしい。
 大津市の事件をきっかけに、イジメをめぐる世論が沸騰している。人権を擁護する方向では本気で何もしたことがないこの国の政府まで、イジメ対策を言い始めた。ただし、今回の世論の沸騰も、過去の多くのイジメ被害者の悲惨な結末の時と同じで、間違いなく一過性で終わる。政府も国民も有識者も何もできない、何もしないと断言できる。
 イジメの現状、イジメの原因、イジメにどう対処すべきか、問題を整理して考える人がこの国には誰もいないからである。ぼくのような素人が、地方都市のタウン誌(季刊高知)の誌面をお借りしてこの問題を書かねばならない理由はそこにある。
 イジメは統計的な把握はできない。調査しても、子ども達は真実を答えないから。信頼して真実を語れるような大人がこの国にはいないから。
 ただ、把握は困難だが、全国のすべての学校、すべての教室、すべての町や村にイジメが蔓延していることは間違いない。表面化するケースはごく一部で、ほとんどは被害者の泣き寝入りで終る。イジメ被害の体験者の親として、数多くの教育現場を見、街角で数多くの子ども達の姿、行動様式を観察した結果として、確信を持ってそう言える。
 イジメの原因は何か。なぜこのようなことが社会現象となったのか。
 イジメは、起こるべくして起こった社会病理である。イジメを論評する有識者諸氏の誰もが、なぜかここには触れない。し方がないから、自他共に認める小心者のぼくがあえてタブーに触れる。
 この国は、昭和三十年代あたりから、所得倍増計画に代表される豊かさの追求、経済成長至上主義に舵を切った。その結果、それまでの基幹産業であった農業が滅び、二次、三次産業が栄えた。この産業構造の大きな変化は、豊かさと共に苛酷な競争社会を出現させた。平均的に貧しく平和な農業国は、経済的格差の拡大を無制限に許容する経済大国になった。
 人々がほぼ等しい程度に貧しい時代には、人は自然に助け合う。経済的な格差が広がると人々は妬み合い、憎み合うようになる。コミュニティの基盤であった人々の心の絆の崩壊は、子ども達を育てる上で一番大切な地域社会の教育力を崩壊させた。
 育つ場を失った子ども達の心の闇の広がりは、私達が得た豊かさの、あまりにも高価で無惨な代償である。イジメは起こるべくして起こった社会病理であり、その責任は私達が等しく背負わなければならない。大津市の事件の責任は、学校や教育委員会ではなく、私達自身が負わなければならないのである。
 では、私達はイジメにどう対処すべきか。
 根本的に解決するには、過酷な競争社会のあり方を変えなければならない。しかし、誰も、等しく貧しい時代に戻ることに同意してはくれまい。まどろこしいが、現実味のある対処の仕方を考えるほかない。
 親は、何ができるか。
 親子の信頼関係を築くことがすべてだと思う。親への信頼があれば、それは他者への信頼につながる。人間への信頼が根底にあれば、子どもはいつか必ず社会に巣立つことができる。
 教育関係者は、何ができるか。
 学校に戻すことが不登校問題の解決ではない。加害者を特定して説諭し、和解を演出することがイジメの解決ではない。発生してしまったイジメの解決は不可能である。教育関係者にできることは、事実を隠ぺいしないこと、当事者の心の闇に寄り添い、共感すること、「つらかったね」の一言をかけてやること。
 ただし、学校にできることはまったく無いかと言えば、無くはない。
 学校は三つの経営改善に努めることで、イジメの発生防止に展望を開くことができる。三つの経営改善とは、教科経営、学級経営、学校経営の改善である。誌面が無いのでこの詳細は別の機会に譲るほかないが、一言で言えば、教育の本質、一人ひとりの子どもの幸せを考えることから、教育課題の解決の仕方を考えること。
 地域社会は、何ができるか。
 温かい心の絆で結ばれた地域社会の再生こそ最大の課題である。しかし、産業構造の激変、農業農村の崩壊が人々の心の絆、コミュニティの崩壊をもたらした以上、その再生は論理的には不可能である。
 私達にできることは、一市民、一個人としてどう生きるか。せめて、目の前に困っている人がいたら手を差し伸べよう。人を分け隔てしない生き方を選ぼう。時代に流されないで、自分の哲学を堅持して生きて行こう。
 そうすると私達は貧しくても心豊かに生きることができる。子どもたちはそういう大人の背中を見て育つ。
 子ども達の心の闇はあまりにも深く暗い。私達はそれぞれの生き方を通じてこの心の闇に向き合うしかない。が、心豊かに生きていれば、前途にかすかな明かりは見える。

たんぽぽ教育研究所のサイト

こちらをクリック!
たんぽぽ教育研究所

最新記事

カテゴリ

リンク

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。