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ぼくにはまだあの人が

野いちごの場所で・20 「ぼくにはまだ、あの人が残っちょる」



 ぼくは今、不思議な幸せを生きている。けた外れの貧しい生い立ち、貧乏の影をひきずり続けた悩み多い青壮年期、そして二人の子どもの心の病気を背負った晩年。毎日が綱渡りの生活、まるで不幸の問屋のような人生。それなのに、ささやかな夢を実現し、多くの人のやさしさに支えていただいて、なんとも不思議な幸せを生きている。
 21世紀という時代は、子ども達には申し訳ないけれど、生きる事が困難な時代。
もう逆立ちしても後戻りできなくなった自然環境の破壊がある。温暖化、砂漠化、大きな気候変動、その後には食糧や資源の危機が来るだろう。
 経済成長神話の終焉もある。まだ、なんとかなると信じている人達が景気対策に狂奔しているけれど、狭い地球の上で世界中が右肩上がりで経済成長を遂げて行くなんてことがそもそも無謀な所業であることは、スモッグに煙る北京の街を見ても一目瞭然じゃないか。
 環境にも、資源にも、世界の人々の暮らしの疲弊にも、もう余力などありはしない。過酷な競争社会、格差の拡大がもたらすものは、人々のモラルの荒廃、心の絆の崩壊だけ。
 それでもね、ぼく達は生きる事が困難な時代にささやかな幸せ、ささやかな喜びを見つけながら生きて行かなければならない。バングラデシュでも、フィリピンでも、アフガンでも、アフリカでも南アメリカでも、子ども達はきらきら輝く目をして生きているもの。
 振り返れば、かなり悲惨な人生だったけど、そのおかげでぼくも、貧しくても心豊かに
生きる術を身に着けたよ。そのノウハウを今日はただで教えてあげるよ。やってみるか、みないかはキミ次第。どんな不幸を背負っても、貧乏でも、心豊かに生きる私の流儀。
 その一「ありのまま」。
 桟橋通り三丁目にあった古びた夜間高校の教室で、ぼくはこの生き方に目覚めたよ。生まれて初めて信じられる先生に出会った。生まれて初めて本当の事を作文に書いた。ひた隠しにして来た自分の弱さ、恥ずかしさ、劣等感を全部さらけ出してやった。
 どうなったと思う。人生の本当の友達が、向こうの街角から肩をゆすって現われたんだ。本当の友達はたくさんは要らない。ほんの一人か二人でOK。居なくても、もちろんOKだけどね。キミもほんとの友達が欲しけりゃ、キミのそばに必ずいる信じられる人を見つけてキミの真実をゲロすることさ。友達を作るために必要なものは社交術にあらず、「ありのまま」をさらけ出すほんの少しの勇気。
 その二「小さなものを愛する好奇心」。
 現代社会は、強い者が何をしても許されるルール無き競争社会。この生き馬の目を抜く競争社会を、大崎さんという一番弱い馬はどう走ったと思う?ぼくは勝ち目の無い人生の競争をはなから降りたんだよ。人と競争せん、闘わん、負けを前提にして、人が欲しがらん、自分だけに見つかる、ささやかな喜びを探すことに決めたんだよ。
 ささやかな喜びは、小さなものを愛する好奇心さえあれば、日常身辺至る所に見つかる。
お天気のいい日、お城の堀には亀さんが折り重なって日向ぼっこしている。裁判所の庭にはノビルが萌え、小さなチョウセンアヤメの花が咲く。歩道にはタチツボスミレも見つかる。升形の円満橋の下のどぶ川にはボラの群れが遡上して来る。ボラは目のくりくりした可愛い魚だよ。毎日見てると、顔なじみになってね、「大崎さん、まあ辛抱しいよ」と声をかけてくれるんだよ。
 小さなものを愛する好奇心を持っているとやさしい味方が増えて、大きな不幸に耐えられる。人生のつまずき、挫折、ピンチから再び立ちあがる力が湧いてくる。
 その三「人の心の痛みに思いを寄せる想像力」。
 ぼくは元々やさしい子どもだったけどね。我が子の「不登校」との出会いがなければ、人様の心の痛みが本当に分かる人間になれていたかどうか自信がない。我が子、そして全国数十万人の子ども達が、社会との関係を断たれ、人生の展望を閉ざされて、過酷な苦しみの中に置かれている。誰も分かってくれない。誰も助けてくれない。
自分でやるしかない。かくしてぼくは不登校の鬼になったよ。そして辿り着いたのは不登校という社会現象の奥の深さ、教育の本質、人間の生き方。多くの素敵な人との出会いもあった。この上なく臆病な人間であるぼくが、いかなる場合も少数派(マイノリティ)の側、社会的弱者の側に立ち切る確信を持つこともできた。
 湿っぽい話になったけど、まだ聞くかね。
 その四「心のポケット」。
 心のポケットに自分の出会った大切な人を貯金するんだ。人との出会いが人生で一番の財産だね。いくら使っても無くならない財産。絶体絶命の時にも、「ぼくにはまだ、あの人が残っちょる」そう思うと、それが自分を支える最後の力になるんだ。
 「大崎さん、若いね」と言ってくれる人がまだいるけどね。お調子者のぼくも、もうさすがに若くは見えんと自覚しちょる。シワも増えた。畑仕事をするので、老人性のシミもできた。
 でもね、本当は、若さは外観にあらず、いくつになっても成長したいという志の持続だな。志があればときめきが生まれる。ときめきを忘れなければ、哀しみや不幸も人との出会いの機会となり得る。ヒューマンウオッチングほど素敵な趣味は人生にないよ。しかもタダ。
 最後、その六「人を分け隔てしない」。
 私達は誰もが、知らず知らずのうちに地位や職業、外見やお金で人を分け隔てしている。  それが私達の目を曇らせている。せっかくの貴重な出会いの瞬間を失わせている。
 たんぽぽは、すべての人を分け隔てなく受け容れる居場所。たんぽぽは、ただの教育相談所じゃないよ。思わぬ出会い、発見、人間としての成長を目指す市民のコミュニティ。新しい形の心の絆を紡ぐ実験場。
 たんぽぽ教育研究所の定款には幻の一項があったんだ。「世直し」。蟷螂の斧だけどね、ぼくはまだ夢を見ているよ。人を分け隔てしない社会の実現という夢。
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