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「生きることの意味・無力で内気で、愚かな私のための物語」

 以下は、季刊高知さんが乗せてくれる予定の大崎の新刊本の広告のコピーです!恥ずかしながら、あんまり素敵なので、無断で先行掲載します。野並さんごめんなさい!

ただひたすらに
優しく心に染み入る。

 エッセイ「野いちごの場所で」を本誌で連載中の大崎博澄さんが、2012年に県内ベストセラーとなった記憶も新しい「詩集 人生の 扉は一つじゃない」以来の新刊となる「生きることの意味・無力で内気で、愚かな私のための物語」を刊行。22篇のエッセイに加え、著者が出会った本の書評、講演記録などが収められている。人の心の痛みに寄り添い、哀しみをそっと包み込むような、やさしい言葉に心が休まる一冊。

 ご注文、問い合わせは、金高堂本店、または、たんぽぽ教育研究所(088-855-4546)へお願いします。
A5版174頁 1500円(送料込み)
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無力で内気で、愚かな私のための物語

無力で内気で、愚かな私のための物語
  ――小川洋子「いつも彼らはどこかに」(新潮社)――

                        大 崎 博 澄

 大切な年少の友人を亡くした時、ぼく達はお互いに人生に遠慮し過ぎたな、と後悔した。もうこれからは遠慮なんかしないぞ、とも心に誓った。でもね、遠慮し過ぎるように生まれついた人間が、おいそれと図々しくなれるものじゃない。あれからもう二十年、いやそれ以上経つか。やっぱりぼくは、おずおずと遠慮がちに、息をひそめて生きている。
 小川洋子さんの作品をそれほどたくさん読んでいるわけではないが、小川さんの小説には、あちこちにぼくの分身が隠れていて、読んでいると、ああー、これは自分だなー、と思う。市井で息を詰めるようにひそやかに、遠慮がちに生きている自分の分身に出会えるのは、少し恥ずかしいけれど、懐かしく、うれしいこと。
 ぼくの人生は八割がた終わったな。どう見てもしょぼくれた惨めな人生だった。でも、小川さんの作品の登場人物を通して自分を眺めると、不思議なことに、まあ、これでいいかな、この程度が自分にふさわしいかな、なんとなく自分を納得させることができる。
 人間は、ドジなのは自分独りじゃない、と思えると安心する生き物、という側面もあるが、それだけじゃない。より深く、自分の愚かな生き方を肯定している自分がいる。そういう意味の納得ができる。
 この本の帯に、著者・小川洋子さんの自筆と思われる、薄い青色のサインペンの飾り気の無い文字で、「無力で内気で賢明な彼らのための物語」と書かれている。これは、八つの短編を収める「いつも彼らはどこかに」という本の表題を補足する意味を持つ言葉だと思われる。
 収録されている短編にはどれにも、「無力で内気で」しかも自分の分を踏み外すことなく「賢明に」生きている小さな動物と、彼らを愛する「無力で内気で」しかも胸に小さな哀しみを折りたたんで生きている人が登場する。
 「彼ら」は遠慮がちに、しかしひたひたとぼくの胸を打ってくる。「彼ら」がぼくの耳元で、小さな声で何かささやいてくれる。ささやく言葉はとても小さくて十分には聞き取れないが、その声を聞くと、なんとも言えないやさしい気持になれる。やさしい気持になれると、人は大抵の哀しみを乗り越えていくことができる。
 冒頭の一篇、「帯同馬」には、モノレール沿線のスーパーマーケツトで、その日の特売品の試食品を作ってすすめることを仕事にしている、「誰の邪魔にもならない」、客の多くが「そこに立っていることに気づきもしないまま通り過ぎてゆく」、白いエプロンに三角巾姿の「彼女」が登場する。これはぼくだなー、と思う。
 彼女はある日、フランスで行われる凱旋門賞に出場するクラシック三冠馬の出国の新聞記事を目にする。彼女が視線を落とすのは、三冠馬ではなく、その移動のストレスを緩和するために一緒に出国する帯同馬。「類まれな才能を持ち、偉大な勝利を重ね、大勢の人々の期待を受けて晴れ舞台に立つ」ことの決してない馬。この馬もぼくだなー、と思う。
 「愛犬ベネディクト」は、ブロンズでできた、所々塗料が剥げ、覗いた地金がまだら模様のようになっているミニチュアの犬と、その犬を生きた友として扱う学校に行かない少女の物語。
 ブロンズの犬は、餌も食べるし糞もする。飼い主がベネディクトという優雅な名前もつけてくれている。学校に行かないで、小さなドールハウス作りと愛犬の世話に熱中する少女も、少女の友であることを誇りにしている少し鼻の欠けた愛犬も、ぼくだなー、と思う。ああ、ぼくが小説を書くとすれば、こんなお話を書くはずだったんだなー、と思う。
 「竜の子幼稚園」は、事情があって旅行ができない人の身代わりになって、思い出の地や大切な場所を旅する、本当にありそうな、不思議な仕事をしている「彼女」の物語。
 幼い頃、幼稚園の事故で亡くなった弟の追憶を抱いて生きる彼女は、旅の途中でゆくりなく弟との再会を果たす。これはあり得ない話ではない。胸の底に刻まれた小さな傷が、人に生きる希望を与えてくれることはあり得ること。彼女はたぶん、旅の途中で生きることの意味に再会したのだと思う。
 小川洋子さんのペンは、見えないところにかくれている、しかし、誰かを支えている名も無い人や生き物を静かに描き出して見せる。そこから、哀しみとないまぜになった不思議な幸福に満たされた物語が紡ぎ出される。
かなわんなー、この人にはとてもかなわん。でも、世の中にとてもかなわん人がいることほど嬉しく、励まされることはない。
 早くから文学に志しながら、ぼくは仕事には真面目一筋、炊事、洗濯、猫の世話、買い物、病院通い、あれやこれやも一生懸命、毎日の暮らしに忙しくて、ついにそれらしいものを書くに至らずに一生を終えかけている。でも、これだけ自分の心にしっくりなじむものを読めば、格別自分で書かなくても事は足るな、と思う。
 余談。季刊高知に先日書いたぼくのカウンセリングのお話のタイトルは、小川洋子さんのこの本の帯の盗作である。ぼくは遠からず逮捕されるかも知れない。皆さん、どうか驚かないで。ぼくでも盗みたくなるほどいいものを、小川さんは書いてしまう人なのだ。

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