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はずれた一つこそ

はずれた一つこそ


少年は、生きることの意味を探してさまよっている
少女は、暗いトンネルの出口をまだ見つけられない
キミの、張り裂けそうな孤独がふりかざすナイフを受けとめるものを
ぼくたちの社会は持ちあわせない
画面いっぱいに丸い座卓
その上にメザシが六匹
中央にかたまって五匹
左上の方に無造作にころがされて一匹
暗い色調の決して美しくはない絵
けれど、孤独な一匹にそそがれるまなざしがある
<はずれた一つこそ、私には意味がある>
この絵を描いた人の言葉を反芻(はんすう)する
キミの、張り裂けそうな孤独がふりかざすナイフを受けとめるもの
それは、はずれた一つにそそがれるまなざし



*この絵を描いた人:洋画家、四竈公子(しかまきみこ)さん(1935-)
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2015年講演予定

2015年 講演予定
1.20 14:30~15:20 楠目小学校
1.30 17:30~19:00 ひろば・そよ風・連詩の会
2. 6 14:10~16:00 高知市地区補導委員総合研修会
2.20 13:30~15:30 須崎市こころの健康づくり研修会
2.22 14:00~16:00 カプリースサロンコンサート
3. 8 14:00~17:00 土佐志民大学・トークセッション
3.12 10:00~11:10 夜須公民館生涯学習講座
5. 7 15:00~16:40 高岡地区教頭会研修会
5.11 18:30~20:30   まちづくりトークCafe
5.27 13:30~15:00   香美市民生児童委員協議会
6. 2 10;30~11:50 老人大学CD組
6. 5 13:10~14:40   老人大学I組
6.13 14:15~15:45 四万十市母親大会
6.14 13:00~16:00 学童保育指導員研修会
6.23 14:40~15:30   浜改田保育園保護者
7.22 13:30~     東部地区民生児童委員協議会
7.26 13;30~16:30 やいろ鳥親講座
8.20 15:00~16:30 徳島県三好教育会教育講演会
10. 2 PM        大宮小学校
10.27 15:10~16:30 朝倉小学校
12. 5 PM 新荘小学校

小さな傷

小さな傷


服部(はっとり)祥子(さちこ)先生がお子さんのことを書いておられた
<一年生の時
学校でアサガオを育てた
喘息で休みがちのわたしのアサガオは
背丈が低く、花も少ししか咲かなかった
花が終わり、授業で取れた種の数を発表する時
自分の種が少ししかないのが悲しくて
わたしはアサガオに、ごめんね、とあやまった
子どもの心に大きな傷は危険だけれど
小さな傷はやさしさを育てる芽にもなりうる>
ぼくの心の傷は
力の強い者が支配する社会への憎悪をたぎらせたが
自分と同じ境遇にある人々への共感も育ててくれた
やさしさこそが強さだと信じることが
ぼくの生きる支えになった
小さな傷を心に刻んで生きるとき
キミの人生はうつくしい


*服部祥子さん:精神科医、大阪人間科学大学の先生(1940-)

生き方のバランス

 この3月まで、2年間、毎日、原稿を書くというと格好はいいが、真面目人間のぼくにはかなりハードなアルバイトをしていた。おかげで「たんぽぽ」や生活の維持はできたが、本を読む時間、ものを想う時間、自分の時間がほとんど無かった。近頃、久し振りに時間の余裕を取り戻し、少し人間らしい暮らしに戻っている。ささやかな幸せ。
 少し前のことになるが、朝日新聞の悩み事相談欄に明川哲也さんという回答者がいて、いつもユニークで心に響く回答をされていた。その話を高知新聞の親しい記者さんにしたところ、後日、記事のコピーを届けてくださった。読むことができずに積んでいたそのコピーの束も、ようやく読むことができた。あらためて、明川さんの生き方、しなやかな哲学にしびれた。お届けくださった記者さん、ありがとうございます。
 明川さんは某大学で東洋哲学を専攻、ぼくの好きな老子を愛され、ドリアン助川の名で老子関連の面白い著書も出版されている。道化師の姿で街角で歌も歌っているそうだ。老子と道化師、思索者と大道芸人という生き方のバランスが絶妙。世の中には素敵な生き方をしている人がいる。そう思うと、生きる勇気が湧いてくる。

急ぐべきことは何も無い

急ぐべきことは何も無い


大橋通りの近くの路地裏に
いちずな詩人がいとなむ小さな居酒屋があった
したたかに酔って寂しくてたまらないとき
その店に寄って電話を借りた
澤村榮一先生はいついかなるときでも
五台山のふもとのご自宅から
タクシーに飛び乗って駆けつけてくださった
人生に急ぐべきことは何も無い
ぼくを救ってくれたこの言葉は、先生からいただいた
今度はこの言葉を、キミにあげる
行くべき道はいくつも、いく通りもある
ゆっくり自分で選べばいい
選べなければ
選ぶことができるまで待てばいい

みんなちがう生き方がある

みんなちがう生き方がある


高知市教育研究所から卒業生の文集をいただいた
明るく元気なメッセージに
大きな苦しみやかなしみと向き合ってきた人だから言える思いがこめられている
Tomokoさんは四葉のクローバーのイラストに添えて
<同じに見えてもみんなちがう生き方がある>
きっぱりと太い字で、それだけ書いている
そうだな、そうとも
ぼくはアカ抜けた紺のポロシャツも
赤いチェックのスポーツシャツも無い
赤面恐怖におびえる寡黙な中学生だった
いつかオレは詩人になる
いつかオレは革命家になる
オレは人とちがう生き方をするんだ
自分にそう言い聞かせて
底無しの劣等感に耐えていた
とうとう詩人にも革命家にもなれなかったけど
人と少しちがう生き方はできたよ

迷って進む

迷って進む


ベトナムやカンボジアの旅から帰った若い友から手紙が届いた
<まだ、迷って迷って進んでいます
 可能性のまだ多い十代は
もっと迷っているのではないでしょうか>
そうか、弘松さんだって迷っているんだ
山から掘って来たラッキョウの皮を
ひとつ、ひとつむきながらキミのことを想う
十代や二十代や三十代で
問題を簡単に解決してはいけないよ
いかに生きるべきかを
明快に語ってはいけないよ
迷いやまちがい
試行錯誤の中でこそ
すてきな人に出会えるのだから
それがたくさんある人生を
幸福というのだから

ふり返る

ふり返る


山の畑の五月は一面の草の海
ホトケノザ、カキドオシ、ハルジョオン、イヌノフグリ
誰もふり返らない
名前を知られることもない野の花たちが
それぞれのよそおいをこらして
そよ風や、小さな虫のおとずれを待っている
誰もふり返らないけれど
ぼくはふり返る
人がよく生きるために必要なものは、
ほんの少しの勇気
目立たない、か弱く小さなものに心を寄せると
ほんの少しの勇気が湧いてくる

子どもに生を与えたということは

子どもに生を与えたということは


小林完吾さんがこんなことを言ってました
<子どもに生を与えたということは、親が付き合ってやれない死を与えたということ
であれば、生きている一瞬一瞬が、生きていてよかったと思えるものであって欲しい>
私は親として、キミにそういう一瞬を与えられなかったかもしれない
ごめんなさい
でも、人生は与えられるものじゃなく、自分の手で切り
開くもの、幸福は自分の手で創り出すもの
キミにはそれができる
キミにはやさしさという力があるから

近頃感動した文章2篇

 ぼくのメールアドレスにこんな文章が届きました。近頃、これほど大きな感動をいただいた文章を読んだことがありません。読者の皆様にも感動のおすそ分けをしたいと思い、筆者の許可をいただいて、そのまま転載します。

つきゆび倶楽部 No.11

皆さん、こんにちは。今回はページの都合もあるので挨拶もそこそこに、はじまりはじまり~。

下田の脳内観察日記(11ヶ月目)2015年5月

心に土足で入ってくる友人について

つきゆび倶楽部において、「心に土足で入ってくる友人」 という表現を何度か使用したことがあるのですが、私の説明不足によりマイナスなイメージで捉えてらっしゃる方がいらっしゃったので、今回は心に土足で入ってくる友人について書かせてもらいます。

心に土足で入ってくる友人(以下、彼と呼ぶ)とは、山田高校の定時制で出会いました。私は中学2年生の一学期に不登校になり、三年間ほど自分の部屋に完全に引きこもっていたために、彼は1つ年下の同級生でした。私と彼は割りと真面目な学生でした。他にも真面目そうな学生はいましたが少数派で、入学式から2ヶ月目で妊娠が発覚して自主退学したり、年に数回ですが窓ガラスが割られたり、学校の校庭で悪ふざけでバイクに轢かれそうになったりする環境でして、1年から2年に進級する頃には同級生の半分が退学、もしくは留年しているようなクラスでした。

彼は土佐山田まで、車で片道1時間強かかる地域の出身だったので、学校の近くにアパートを借りて近くのスーパーで品出しのバイトをしながらひとり暮らしをしていました。2年の途中から私は毎日のように彼の家に入り浸るようになり、彼は24時前後に就寝していましたが、私は彼が眠っている横でひとりでゲームをしたり漫画を読んだり、パソコンをいじったりして、彼がバイトに行くために起床してきたころに帰宅する生活をしていました。

中学、高校時代と、私は外出先でトイレの大をすることが出来ませんでした。不登校になる以前の中学校時代はお腹が痛くなってしまうことへの強迫観念から毎朝正露丸を飲んでから登校していたし、軽く火傷しちゃうくらいの熱々のホッカイロを予め用意しておいてそれをお腹に当て、痛みで便意を一時的にごまかすようなこともしていました。高校時代になっても、どんなにお腹が痛くなったとしてもひたすらに我慢していました。そして、私は外食が全く出来ない人間でした。外でトイレが出来ないために、外食をすることによってお腹が痛くなってしまったらどうしよう?という強迫観念に心が押しつぶされて出すものも無いのにお腹が痛くなってしまうような人間でした。
彼はそんな私を外食に誘い続けました。だけど私は断り続けました。普通であれば、2~3回断られた時点でもう誘わなくなると思います。だけど彼はしつこいのです。また時機を見ては誘ってきます。諦めるということを知りません。本当にしつこい。

けれど、これは本当に生まれ持った才能だと言い切ってしまって良いと思うのですが、彼に心に土足で入られても私は全く嫌じゃないんです。絶妙なバランス感覚で私の心に土足で入ってくるんです。一般的には人の心に土足で入るなんてことは失礼なことであり、不愉快なことだと認識されていると思いますが、私にとって彼が心に土足で入ってくることは全くもって嫌なことでは無いのです。むしろ彼に土足で入ってもらうことが心の安寧に繋がると言っても過言ではありません。

そんな彼が手を変え品を変え諦めずに誘ってくれたおかげで私は少しずつですが外食が出来るようになり、それに伴い、外出先でのトイレもある程度克服することが出来ました。

他にも数えきれないほど、彼は私の心のドアを幾度も蹴破ってきました。そして、結局最後には私が彼に感謝することになるんです。今じゃ下田対策のプロです。出会って16年目のベテランです。20歳を越えた頃からずっとザ・クロマニヨンズ(20歳時はザ・ハイロウズ)というバンドのライブに行こうと誘われていたのですが人混みが嫌いなのでずっと断ってきていました。けれど30歳を越えて色々と思うところもあり、やっとこさ重い腰を上げてライブへ参加したのですが、本当に生きていてよかったと思えるほど最高のライブでした。彼に巻き込まれて楽しめなかったことはほぼありません。

そして彼の素晴らしいところは、それらの行為の全てが、自分が楽しむためにやっているということです。私がひきこもりがちで可哀想だとか、同情心だとか、そんな考えでは動いていません。自分が楽しいと思えることの延長線上に私がいたらもっと楽しいだろうな、と思ってくれているのだと思います。だから彼は最高なのです。

基本的に私は、ひきこもっていたからこそ誰々に出会うことが出来た、ひきこもっていたからこそ良い経験が出来た、という考えがあまり好きではありません。そんな私でも、彼と出会えたことは素直に感謝が出来ます。彼のおかげで人生において一番辛い時期に現実逃避をして命と精神を守ることが出来たし、心に土足で入ってきてもらえて色々なことにチャレンジすることも出来たから。

そうそう、カラオケに関しても10年ほど誘われてやっとの参加でした。これに限っては私のあまりの音痴さに微妙な顔をしていたような気がしますが・・・(笑)

そんな彼は、将来を見据えて30歳にして10年続けた介護の仕事をやめ、三人の子どもの面倒をみながら看護師になるために専門学校に通う毎日を過ごしています。そんな彼の生き方にも刺激を受けながら、彼の一番上の子どもの物心が付く前に就職したいなぁ・・・なんて彼の子どもにも刺激を貰っています。

本当に彼と彼の家族には感謝しています。彼についてはまだまだ語ることはあるのですが、今回はこの辺で。
私の母

私の家族について、今回は母について少しだけ書いておこうと思います。
何故、今回母について書こうと思ったかと言うと、いくつかのイベント等で不特定多数の人を相手にして、私のひきこもり時代の話をさせてもらう機会がありました。私にとってはひきこもり時代の話をすること、イコール家族の悪口となります。ですので、人によっては私の家族に対して悪いイメージを持つこともあるでしょう。

このことは私にとって物凄く難しい問題となります。なぜなら、私の実体験を語る上で家族の悪口は避けて通ることは出来ないけれど、私の家族は悪人では無く、むしろ元となる部分は優しい人たちだからです。私が語るその場において私の家族が反論でも出来れば良いですが、そういうワケにもいきません。

ですので、一度私なりにですが家族のことを書いておこうと思ったわけです。

私の人生は本当に色々あって、人としての尊厳を傷つけられる出来事が多すぎました。そのせいなのかは分かりませんが、未だに生きているという実感を掴むことが難しいです。私は人付き合いに関してはそれなりに器用に出来てしまうので伝わりづらいと思いますが、本当に生きづらいです。

でも私は未だに生きています。生かされています。悲しいことが多い人生だったと思っていますし、無駄なことも多かった人生だと思っています。だけど、人を避けるようにして生きてきたにも関わらず、私は人生の節目節目で素晴らしい人と出会えてきました。私の心に土足で入ってきてくれる友人もそのひとりです。

で、31年間生きてきた中で、一番最初に出会った素晴らしい人は母親だと思っています。何が凄いって、母は常に必死であり、一所懸命でした。こんなことを言っても本人は否定するだろうけれど。

私が9~10歳の頃に兄が登校拒否になり、父は家に帰ってこなくなり、お金もほぼ入れてくれないような状況の中、母は私や兄を生かすためにずっと働きながら家事も育児もしていました。私が覚えているのは白飯とジャガイモの煮物のセットがよく食卓に並んでいました。当時は何も思わなかったけれど、今考えればお金が無かったんだろうなと、想像出来ます。それに、炭水化物 to 炭水化物だなぁ、とも(笑)

兄の学校にも足繁く通っていました。校長先生や、担任の先生ともよく話をしていたように思います。幸いにも担任の先生は、学校の仕事終わりに兄のことを気にかけてわざわざウチへ寄ってくれて一緒に遊んでくれるような先生だったので幾分か助けられていたように思います。
その2年後、私はとある私立の中学校を受験して合格して通うことになって、中学2年の1学期に不登校になるのですが、入学式のときに母が学校近くの歩道橋前で転んで足を骨折しました。その後お金を気にしたのかリハビリにはあまり行かず、左足の付け根の部分がグニャッと曲がった状態で足を引きずって歩くようになりました。それでもずっと働いていましたし、私が不登校になった際には担任とケンカもしてくれました。今でも覚えているのは、担任の先生から電話がかかってきて、色々と話をしていた中で
「中学校は義務教育だから子どもは学校へ通う義務がある」 みたいなことを言われて
「義務教育というのは、子どもが背負う義務じゃない!周囲の大人が云々かんぬん~~~」
と、怒ってくれたことを覚えています。先生は先生で色々と思うところがあったのでしょうし、大変だったんだろうな、とは思うのですが本当に頼もしく、ありがたかったです。

その後はずっともっと家庭の状況としては悪化していきます。でも、母は私達を生かすために必死でした。一年ほどでしょうか、車の中では体が休まらないだろうにシートに横になって睡眠を取りながら仕事へ行ったり家事をしたりしていた時期もあります。

私が18~19歳の頃が家庭的に一番きつかったように思いますが、それでも休まず働いていました。メインの仕事が休みの日にはネギ農家の手伝いに時給400円ほどでしたが通っていました。私達を生かすために一所懸命でした。

私が二十歳の頃に両親が離婚をしました。それは私としてもしょうがないことだとは思っていたのですが、二人で出かけて帰ってくる途中の信号待ちで突然離婚報告をされまして

母 「お母さん、○○に言ってなかったけど、お父さんと離婚した」
私 「そうながや。それは良いと思うけど、いつ離婚したの?」
母 「半年前」
私 「( ゚д゚)ええっ!?」

半年間隠していたことをなんでこんなタイミングで発表するの!?と困惑しつつも私は大爆笑しました。

その後は元々住んでいた家に住むことができなくなったので、土佐山田にあった借家に一時身を寄せたあとに今も住んでいる県営住宅へと移ってきました。

私が二十歳のときには高校4年生をやっていて、高校2年時から生徒会長を任されたり(他にやってくれる人がいなかっただけ)、練習をほぼほぼやらなかったのに運良く砲丸投げで高知の定時制大会で優勝して国立競技場へ行ったりもしたことも後押しをしてくれたのか、立命館大学クラスなら推薦入学出来るよ、という話を先生からいただいたりもしたのですが、私は「お金がかかるから嫌やなぁ」 としか考えていなかったのに、母は「お金はどうとでもするから大学へ行きなさい」 と背中をずっと押していてくれました。
ちなみに高知大学への推薦入学の話もあり、「下田頑張れ!」 と定時制の先生方に背中を押していただいたのですが、全日制と定時制をあわせて1名だけしか推薦枠が無く、全日制の子が推薦を貰って終わりました。私としてはあまり乗り気ではなかったので気にしていなかったのですが、教頭先生が
「僅差だったんだよなー。下田が働いていたらなー。推薦貰えたんだけどなー。惜しかったんだよなー」
と、ボヤいていました。私は高校四年間で一度だけバイトをやってみたのですが2日で泣きながらやめました。なので、私としては「ホントかよ(笑)」 って感じでしたが。

結局は高校時代と同じように夜間に通うことが出来て、学費も安いということで高知短期大学への入学が決まったのですが、精神的に不安定になったこともあり、2年で卒業予定だったのが、結果として4年をかけて卒業することになりました。

その間も母はずっと必死で働いてくれていました。朝5時からお弁当屋さんのバイトを掛け持ちしたり、介護のバイトをはじめたりしながら週7日働いていた時期もありました。

そんなことを繰り返しながら生かされてきました。私は現在31歳ですが、ずっとずっと母に生かされてきました。私も20~24歳まで夕刊の配達をしたり、25歳からは年に1~2ヶ月程度ショウガの農作業のお手伝いに行かせてもらったりはしていますが、たいして家にお金を入れられているわけではありません。

それでも母は必死に私を生かしてくれました。左足首がグニャっと内側に曲がっているのに。左足を引きずるように歩くのに。

母はボロボロでしょう。そして、父親も兄も私もボロボロです。去年10年ぶりに父に会ったけれど思った以上にボロボロになっていました。兄とは8年近く会っていません。でも、まだ誰一人死んでいません。生きています。母に生かされました。

母は必死に働いてきました。今これを書いている時間も働いています。母が必死に私達を生かしてくれた。
だから今生の世で幸せになりたい。来世なんかどうでもいいから。

文句がないわけじゃない。言いたいことが無いわけじゃない。尊敬しているかと言われれば正直分からない。
だけど、この人の必死さ、一所懸命さは単純にスゲェ!と思うのです。そして、これほどの必死さ、一所懸命さを一番の特等席で見てきた私が、母のことをスゲェ!と思えないのであれば、私は生きている価値が無い、とすら思います。

そして、ずっとお金がなくてリハビリに行けなかったから足首がグニャっと曲がっているんだと思っていましたが、今年になってから医大で検査を受けて、シャルコーマリートゥース病という名前の日本人には珍しい病気であり、今年はじめに難病指定されたばかりの病気のせいで足が内側にグネっているんだということが発覚しました。病気だと分かってからは足首を保護する装具を作成したり、定期的に病院に通ったりするようになりました。まだまだ未知の部分が多く、遺伝する可能性もありますし症状が良くなることは困難なことなのでしょうが、一つ前進出来たように思います。

そうそう、昔は家族で外食なんて考えもしなかったのですが、ショウガの農作業のバイトをはじめてからは母と人生を楽しもうと、たまーにですが外食に行っています。

この間は「鳥心」 という鶏肉専門店に行ったのですが、熱々の七輪が出てきて母親が思わず店員さんに
「自分で焼くんですか!?」 って聞いてました。そして、網で肉を焼くのなんて人生初だって言って、涙を浮かべて感動していました。その後、二人ともテンションが上がったんでしょうね。土佐山田にセブン-イレブンが出来たってことで食後のスイーツを買いに行こうってことになりまして向かってみたはいいんですが、駐車場に警備員が2名、レジは5台体制でフル稼働中。5台のレジ全てにもれなく10名ちょっとの行列が・・・。普段であれば私も母も人混みも行列も大嫌いなので行かないのですが、感動した勢いで行っちゃったんですね。高知は平和だなーと思いながらヤングジャンプを立ち読みしたあとに母親を探したら、死んだような目をして行列に並んでいました。あぁ、天国と地獄を一日で味わったんだなって。この落差はすげーなぁって。でも、こういったことを積み重ねていったら楽しそうだし、面白そうだなぁと思うのです。

話がとっ散らかってきましたが最後に。私の根本にある弱さや脆さは母にしか見せたことが無いですし、見せられたものじゃないです。そんな弱さを許容してくれる母に今日も生かされています。

教育問題を考える勘所

以下は、まちづくりトークCafe (2015.5.11(月) 18:30~20:30)の大崎の話題提供の台本です。
  
    <タイトル:「教育問題を考える勘所」>

お招きに感謝・自己紹介・不登校の鬼・たんぽぽの仕事・たんぽぽの奇跡
  (お客様の増加、支援者の増加、カウンセラーとしての成長)

はじめに・なぜこういうテーマを選んだか
 十代の少年達が関わる痛ましい事件が連続・心ある教育関係者の多くが、子ども達の自己肯定感の乏しさを嘆いて
   いる・事件の背景にそれがあると私も思う
 学力問題も確かな展望が開けない・子ども達の多くは、学ぶ喜びを体験することなく大人に・学力が高いと思われて
   いる子ども達も、教えられたことを憶える勉強はできるが、主体的に学ぶ勉強はできない・これは大学の先生方に
   共通する嘆き
 現役の頃、高校生の就職開拓のため県内の有力企業を廻ると、「きちんと教育してから頼みに来なさい」と叱られた・
   社会人として必要なマナーや常識を身に着けることができないまま社会に押し出される若者達が増えている
  教育をどうすればよいのか・このまま行けばこの国の将来はどうなるのか・誰も明確な指針を示すことができない閉塞
   状況に置かれているのがこの国の教育の現状
 不登校、イジメ、非行、発達障害や精神疾患、ひきこもりなど、悩める子ども達、若者達への支援活動の経験、現在の
  教育の光ではなく影の側面を数多く見てきた経験から、現代の教育問題を考えるポイントをいくつか提起したい・
  影の側面の方が、光の当たっている側面よりも、より問題の本質に近づきやすいと考えるから
 お話しする内容は、教育の現状、なぜ教育はうまくいかないのか、どうすればうまくいくか、(教育の目的、責任、方法)
  について
 市民が教育問題に関心を持ち、自分で考え、討論し、教育のあるべき姿についてコンセンサスを形成することが、
  私達が直面している教育の危機を乗り越える最善の道、お上任せではダメ、今日のお話が、みんなで教育を見つめ
  なおす機会になれば幸い

教育の現状・三つのポイント
① 学力問題は二つ有る
 学力調査に現れる学力問題・テストで点数を取る学力が低い
 学力調査に現れない学力問題・多くの子ども達が学ぶ喜びを体験できていない
  自分で考えて判断し、行動に移す力、周囲の人に働きかける力、社会で生きて行くために必要なモラル、マナーや
  常識、こうした人生の幸福に役に立つ学力が獲得できていないという現実
 背景に主体的に学ぶ力の弱さ――大学の先生方の一致した見方
② 学力問題以外の教育課題が山積している・解決への展望が無い
 不登校、イジメ、暴力行為、学級・学校崩壊、大学生の不登校・ひきこもりなど、一般には問題行動と言われるが、
 私は子ども達・若者達の自己防衛行動だと思う
 背景に自己肯定感の著しい低下――心ある教育関係者の一致した見方
③ 生活力の弱さ――私の実体験から・たくさんの生活体験が生きる知恵や力の基礎
 生育過程で、家事の手伝い、近所付き合い、労働体験などの生活体験が決定的に不足
 その結果、心豊かに生きる力が低下――私のオリジナルの見方

なぜ、教育はうまくいかないのか・四つのポイント
① 教育の目的についての考え方がばらばら・社会的な合意ができない
② 目的がばらばらだから、教育の方法論もばらばら・対症療法ばかりで根本療法無し
③ 教育の責任の所在があいまい・責任は家庭・学校・地域社会が等しく背負うべき
 現状は、家庭と地域の教育力が崩壊、教育の学校への丸投げ、
 学校は組織防衛に必死で子どもの幸せは二の次にならざるを得ない
④ 社会的背景の問題・子ども達の生育環境の荒廃・生活困窮、自然破壊、絆の崩壊など

どうすれば教育はうまくいくか
 教育の目的
   いい学校いい会社神話は崩壊したのに、まだ、幻想を追いかけている大人達
   いい学校、いい会社に入っても、そこに居場所を見つける力が無いと子どもは不幸
   子どもはみんな違う個性・可能性を持っている
   それに合わせて、幸せの中身も違う・幸せはみんな同じものではない
   一人一人の子どもがそれぞれの幸せを自分で獲得する力を育むことこそ教育の目的
   どんな境遇に置かれても、ピンチに遭遇しても、そこで自分らしい幸せを見つける力
   居場所を見つける力、生きる力を育むことが教育の目的であるべき
 教育の責任
   人間は社会的動物、独りでは生きていけない、助け合って生きる生き物
   教育の責任は、家庭・学校・地域社会全体で等しく背負うべきもの
   社会全体で育ててこそ、社会を支えることのできる人間が育つ
   しかし現状は、家庭の教育力、地域社会の教育力が崩壊、教育を学校に丸投げ
   教育の責任者が不在
   家庭の教育力、地域社会の教育力をどうやって回復するか
   教育の問題を考える上で最大の難問・しかし、こうなるに至った社会的背景を掘り下げ、そこから問題解決の糸口
    を見つけることが必要
   少なくとも、教育の責任は三者で等しく背負うべきもの、という認識は共有したい
 教育の方法
   宮地前教育委員長の言葉・どんな大木にも押せば揺れる一点があるはず
   その一点は幼児教育、就学前の教育・ここから先は大崎のオリジナル
   幼児教育の思想の根幹・遊びを通じて生きる力や知恵を育む
   自然の中で、異年齢集団の中で遊ぶことを通じて、ルール・マナー・いたわり・励まし、社会生活に必要な知恵・
     人と交わることの喜びを体験する
   人間の自然な成長過程で必要な遊びの復活が教育再生の最大のポイント
   遊びの延長線上に学習があるべき・学ぶことの楽しさの体験をいかに多くするか、
   友達と共に学ぶ喜びの体験をいかに多くするか、
   これが主体的な学びの力を育むカギ・点取り競争の中に本当の学びは無い
   この思想を踏まえた学校教育の改善の提案・三つの経営改善
     教科経営の改善――教育の主体は教師ではなく子ども
     学級経営の改善――はぐれた子羊を見捨てない
     学校経営の改善――悩みの共有・問題解決にみんなの力を借る学校経営
   この経営改善のキーワードは「信頼関係」・親と子・教師と生徒・大人と子ども

 教育の目的・責任・方法の再検討と並んでもう一つ大事なこと
   子ども達の生育環境の改善・市民の、市民による、市民のためのまちづくり
   まちづくりトークカフェで教育を取り上げる意味がここにある
   50年前には、不登校もひきこもりも学校・学級崩壊も無かった
   当時と何が変わったか
  ① 産業構造の激変・格差の拡大・人々の絆の崩壊・コミュニティに愛されて育つ機会の喪失
  ② 自然環境の崩壊・子どもの遊びの場の喪失
   家庭の教育力、社会の教育力の回復にはコミュニティ・人々の絆の再生が必要
   子ども達の生育環境の改善には自然環境の回復、保全が必要
   これらを実現するには、私達の価値観の転換+格差社会の是正に向けた政策努力
   政治を動かすのは市民の力・市民の市民による市民のためのまちづくりにもっともっと関心を高めたい
   待っていても誰もやってくれない・私達が行動しなければ
   たんぽぽ教育研究所は新しい人の絆を創り出す実験場・人を分け隔てしない場所、どうぞ遊びにおいでください

CM・二冊の本「人生の扉は一つじゃない」「生きることの意味」
  この二冊の本には、今日の問題に様々な角度から答えるヒントがある
  自己肯定感をどのようにして育むか、心豊かに生きるにはどうすればよいか
  そういったテーマにどう向き合うかという思想と具体的な生き方、方法論が書き込んである

もし、不孝が訪れたら

もし、不幸が訪れたら


もし、キミの人生に不幸が訪れたら
それはもっと深い幸福に出会う機会が訪れたと思って
ください
もっと深い幸福とは
人の心の痛みに寄り添う想像力を持つということ
その時キミは
人生で初めて本当の友達に出会うことができる
その友達がキミを支えてくれる
不幸を背負うことで
キミはもっと深い幸福に至る切符を手にすることがで
きるのです

良い本を

良い本を


良い本を読んでください
読み物は巷(ちまた)にあふれていますが
読む価値のあるものは少ない
でも、キミが求めていれば
本の方からキミを呼んでくれます
その人にしか語れないことが
誰にも分かるやさしい言葉で書いてある本
それが読む価値のある本です
その本を書いた人のかなしみに
その本を書いた人の痛みに
キミの思いを重ねてみると
そこに新しい世界が待っています

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