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「深夜食堂」、そして「セレンディピティ」

「深夜食堂」、そして「セレンディピティ」

Kさま
お元気ですか。お忙しいことでしょう。ぼくは3月でA新聞のものすごーくしんどいアルバイトが終わり、自分の時間が少しでき、前に頂いた「深夜食堂」をようやく手に取りました。ところがところが、面白うて、こりゃあたまらん、ということでお礼のメールをします。感謝です。 4.20 おおさき

大崎さま
深夜食堂、気に入っていただけたようで良かったです。(^。^)
老婆心ながら、アルバイトが終わって収入は大丈夫ですか?(^。^)
あらかじめ連絡して久しぶりにコーヒーでもいただきにあがります。
K iPhoneから送信

Kさま
ご返信ありがとうございます。病気の子ども二人を抱えて生活はなかなかですが、捨てる神あれば拾う神あり、新年度から新しいアルバイトに出会えました。多くの皆様の支えのおかげです。たんぽぽの運営も、生活の維持も当分できそうです。
ぼくの詩集の愛読者のおばあさんが本を贈ってくれました。「ありがとう」、「感謝します」、「ついてる!」を繰り返していると、本当に幸運が舞い込むと書いてあります。
それを読んでから、運転中に「くそったれ!」「時間が無いんじゃ、時間が!」「死にやがれ!」そんな悪態を吐くのを少しひかえています。
ぜひぜひ、お時間ができましたら、コーヒーを飲みにおいでください。コーヒーは、やはり、「淳」に限りますね。お待ちしています。 4.21 おおさき 

大崎さま
新しいアルバイト、よかったですね。ギリギリまで突き詰めて努力した人だけに訪れる幸運を「セレンディピティ」というそうです。ご存知かもしれませんが。インドかどこかの伝説だと思います。
<セレンディピティー(serendipity)
求めずして思わぬ発見をする能力。思いがけないものの発見。運よく発見したもの。偶然の発見。[補説]英国の作家ホレス=ウォルポール(1717~1797)の造語。ウォルポール作の寓話The Three Princes of Serendip(1754)の主人公にこのような発見の能力があったことによる。Serendipはセイロン(現スリランカ)の旧称。>
K iPhoneから送信

 なんのこっちゃ、と思わないでくださいね。久し振りにメールしたKさんとのやり取りが、あんまり文学的で、我ながら素敵だなー、と思ったので原文のまま掲載します。持つべきものは金、ではなく友。セレンディピティとは希望をくれるいい言葉。年寄ってまた一つ、賢くなりました。
 昨年の本誌春号の「野いちごの場所で」に「こちら老人、求む仕事」という文章を書かせていただいた。書いた当人は割りに気楽な気持だったが、まじめな大崎さんの苦境を真剣に心配して、早速、読者からご親切な仕事のオファーをいただいた。ありがたかったが、やりきる自信がなくて、悩んだ末に断腸の思いでお断りした。
 この3月でA新聞の、やりがいはあるが、かなりハードなアルバイトも終わり、B町の教育関連の仕事も、行き帰りの高速道路をぼくのオンボロ軽四で走ることに危惧を感じるようになったので、泣く泣くご辞退申し上げた。
 しかし、人のご縁とは本当に不思議でありがたいもの。思いがけないところから「セレンディピティ」がもたらされた。しかも、セラピストの育成に関わる仕事、たぶんこれが最後のお勤め、精魂をこめて幸運をもたらしてくださった皆様に恩返ししたい。
 さて、「深夜食堂」のこと。恥ずかしながらぼくは、ご当地出身の安倍夜郎さんの名作を、読んだことはおろか、知りもしなかった。
三、四年ほど前のことになるかなー、Kさんが東京から高知へ移り住む準備をしておられた頃、何度か「たんぽぽ」に立ち寄ってくださった。
 丁度、ぼくの詩集「人生の扉は一つじゃない」を制作している頃で、原稿の点検や出版社への紹介の労まで取ってくださった。
Kさんは本作りのプロだったのだが、生き方に関してはぼくと相似た嗜好をお持ちのようで、よく話が合い、ご自分が関わったぼくの好きそうな本を、来る度にお土産にくださった。あの頃はなにしろ本職のカウンセリングとアルバイトに忙しくて、読まずに積んでおいた一冊が「深夜食堂」というわけ。
 ぼくは今、主夫をしている。毎日、ワンパターン、簡素もいいところの朝食、弁当、夕食を作っている。その雰囲気が、深夜食堂で供される「きのうのカレー」や「猫まんま」と限りなく近い。
 ぼくも年に一、二度は、まあまあ上等のお弁当の出る会議などに出ることがあるが、いつもその圧倒的まずさに驚く。ぼくの、焼いた塩サバと小松菜の炒めもの、たった二品の弁当の方がはるかにうまい。世の中の、上流階級の人達はこんなまずいものをいつも食っているのか。ほんのしばしの間、優越感に浸れる。オレの人生もまんざらでもないな、と思える。これも、ぼくの「セレンディピティ」かなー。
 先日、ぼくに保温鍋をくださった方に、お礼状を書いた。この省エネ鍋は、煮物の好きなぼくには大変役に立っている。そしたら、今度は立派な圧力鍋と料理本を届けてくださった。このご厚意を無駄にしてはいけない。あこがれのポトフや、牛スジ肉とごぼうのみそ煮を作ろう。絶望老人の前途にささやかな希望をいただいた。これも、ぼくの「セレンディピティ」に違いない。
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懐疑について

懐疑について


ぼくのようにお人好しで
ぼくのようにたくさんの不幸を背負っていると
いろいろな人がはるばる訪ねてきて救いの道を説いてくれる
これを信じれば幸せになれる
これを信じれば病気が治る
これを信じれば・・・
どなたも熱誠をこめて語ってくださる
そうかもしれない
何もかも投げ捨てて信じれば楽になれるかもしれない
でも、ぼくにはそういうことはできないんだな
それは少し違う、と思うんだな
へそまがり、いごっそう
そうかもしれない
ぼくは疑い深く生まれついているのかもしれない
でもこれは、何物も信じないという生き方じゃなく
自分を信ずるという生き方なんだ

異端について

異端について


分厚いコンクリートの建物の中で
吐き気をこらえ
腋の下にあぶら汗をかきながら生きてきました
勇気とか、覇気(はき)とか、青春の輝きとか
そんなものには縁もゆかりもない情けない生き方でありました
けれど、清水さん
時代の闇を裂き
タブーに切り込むのはいつも
周囲の無視に耐えている
学校に行けなくなっている
会社を辞めざるを得なくなっている
自分の殻に閉じこもるほかなくなっている
背中の痛みをこらえて控えめにほほ笑んでいる
異端と言うにはあまりにか弱く
道化と言うにはあまりに生真面目な
このぼくなのです


*清水真砂子「子どもの本の現在」(岩波書店1984年)

死について

死について


ぼくは生まれながらの臆病者で
小学生の頃から夜がいやだったな
人はいつか死ぬ
その先にあるのは永遠の暗黒と沈黙にちがいない
そう考え出すと怖くて眠れなくなった
怖くても、誰にも話せなかった
誰もこの問いに答えてくれないと分かっていたから
大人になって、自分で答えを探しまわった
世界にはしっかり答えられる人がたくさんいたよ
例えばダニエル・ゴットリーブというお医者さんはこういうんだ
<死は問題ではないよ ちゃんと生きてないことの方が問題なんだよ>
とてもいい答えでぼくの脳味噌は納得したのだが
ぼくの死の恐怖は納得しなかった
死ぬことは、そんな論理ではないというんだな
死ぬことは、もっと残酷な現実だというんだな
あせったよ
ところが
ぼくの死の恐怖は意外な展開をみた
人生には死よりも重いかなしみがある、ということを
のっぴきならぬかなしみを自分が背負う羽目になって知ったんだ
のっぴきならぬかなしみが死の恐怖からぼくを解き放したんだ
皮肉なことだが
ぼくは先のことをくよくよ考えなくなった
本質的な意味で恐れるものがなくなった
何より
かなしみを抱えて生きている人々に
心を寄せることができるようになった
これは奇跡じゃないか
生きていれば
こんな得がたい幸福のかたちもあるんだ

神について

神について


二月十日に休暇をいただいてなつかしい我が故郷中村へ行った
精神症害の皆さんのデイケアの会場ではTさんやSくんが早くから待っていてくれた
正義は至るところで敗れる
弱く貧しい者はいつも傷つく
正義に最後の勝利を収めさせ
弱く貧しいものの祈りを聴きたもう
そういう意味では神は存在しない
が、実はそのおかげで
ぼくたちはまことに頼りないとはいえ
神、という名のかすかな希望をぼくたちの側につなぎとめることができる
だって
もし神が最後の審判のときこの世にあらわれ
正義をおこなうということが明らかなら
富めるものはたちまち神に取り入り
苦もなく神を篭絡(ろうらく)するだろうから
ぼくはそんなことを言いかけて口をつぐんだ
偏見や異端視の中でひっそりと生きる人々の前で
こざかしい理屈が何になるだろう
正義は至るところで敗れ
弱く貧しい者はいつも傷つき
ぼくたちはやがて朽ち果てるだろうが
ぼくたちのことを
折に触れ、思い出してくれる人がいるかも知れない
あの人は、ぼくを思い出してくれるかも知れない
それがぼくの信ずる唯一の神


*「障害」という言葉の表記については、人権の立場から諸説がありますが、私は当事者で親友であるMさんの「ひらがな書きも差別、症害と表記すべき」という意見に同意して、本書では症害と表記します。

不安について

不安について


今夜も
眠れないかもしれない不安におののくキミのそばで夜を明かす
大丈夫だよ
ぼくも若い頃はそうだった
眠れない不安を受け容れられないのが若さだろうな
眠れない不安を受け容れるのが老いなんだろうな
これはどちらがいいということじゃなく
どちらにも意味があるということ
人生は勝ち負けでも
白黒でもない
何か、決着をつけなければならないものではないんだな
生きることの意味は
悩み
傷つき
不安におののくそのことにあるんだ
そこからキミのやさしさを育むことにあるんだ


歴史について

歴史について


アンデスはジャガイモの故郷
ぼくたちと同じ血の流れる人々の国
山脈の頂に近い急斜面を一族総出で耕す
種イモは白も赤も褐色も混じる種々雑多
そこには深い知恵が隠されている
日照りが続いても、雨が多くても、寒さが厳しくても
どれかが生き残って実りをもたらす
過酷な環境に生きる人々の知恵は
やがて世界中に広がった
世界には
覇(は)を競う権力者の歴史のほかに
日々の糧(かて)を伝えるために遠い道を歩いた
名も無い人々の歴史がある
どちらを学ぶか
それを自分で決めるのが
歴史を学ぶということなんだよ


*中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書)

友達について

友達について


要領が悪うて、人づきあいが下手で
すぐ顔が赤うなって
人と何を話したらええか分からん
友達がひとりもおらんぼくに
友達はどうしたらできるかいうて聞かれても困るけんど

子どもの頃、ぼくにも友達はおらざったよ
うす暗い家の中でいつもひとりで遊びよった
二十歳(はたち)になっても、友達はおらざったよ
やっぱり薄暗い下宿の部屋で
フィリップ、リルケ、ゴッホ、孤独な詩人達の本を読みよった

ぼくに友達ができたのは頭の毛がすっかり抜けてからだな
髪の毛とひきかえに
自分は自分、人の行く方には行かん
というものがぼくの胸の中に少しずつできた
もう友達なんかいらんと思うたとき
心を許せる友達があらわれた

さびしい自分を自分で認めてあげることだな
せつない自分がすてきと思えるようになることだな
人とちがう生き方を選ぶ
ほんの少しの勇気を持つことだな
そのとき向こうの街角から
キミの本当の友達が肩をゆすってやって来る

勉強について

勉強について


いつも縁側に腹ばいになって
むしゃくしゃしながら宿題をしてた
勉強は何のために、どうやってするのか、分からなかったからね
ぼくは勉強が大きらいだった

勉強は何のためにするの?
ぼくはながいこと勘違いしていたんだな
勉強の目的は知識を身につけることじゃない
テストでいい成績をとることじゃない
勉強はそういう世間の常識を覆(くつがえ)すためにするものなんだ
勉強は、自分は何が分からないかを知るために
自分の弱さをさらけ出す勇気に出会うためにするものなんだ

勉強はどうやってするの?
ぼくはながいこと勘違いしていたんだな
勉強は人に教えてもらってするもの
勉強は苦しいのをがまんしてするもの
勉強はそういう世間の常識と違うやり方でするものなんだ
勉強のし方は人生に似てる、
自分の足でたどりつくしかない
でも、ぼくにもヒントくらいはあげられるよ
自分は何が分からないかを知るために予習が大事だな
教室では先生の話をひたすら集中して聴く
ノートはキーワードの殴り書きでいい
それでキミのオリジナルのノートを作るんだ
もし君が孤独なら本を読もう
本を読んで、自分の頭の中の辞書を豊かにするんだ
本を読んで、おとなの愚かさを知るんだ

すると君はいつのまにかたどり着く
昨日までとまるで違う本当の自分、
勉強で目指すのは「正解」じゃない、
ものごとの本質をつかむ「考え方」を身につけること
世間の常識を覆した君に恐れるものはもう何もない

心のポケット

心のポケット


チョンヘさんからお手紙をいただいた
中学生の由紀子さんの詩が同封してあった
我が子は今、深い心の闇をさまよっている
ぼくの仕事も多事多難
打たれ強いのが取り柄のぼくも
近頃少し睡眠不足、笑顔減少、自分を見失い気味
そんなとき
<君が君でいるために
君が君らしくなるために
僕はここで待っている>
このフレーズは痛く心に響いたよ
そうだなあ
ぼくがぼくでいるために
なんのこれしき、破れのふろしき
まあ、もうひと踏ん張りしてみよう
そんな気持ちにしてくれたよ
運命がもたらす不幸は引き受けるしかない
でも、ぼくの上着には大きめの
心のポケットがついている
やさしい人達の思いがたくさんつめこんである
そこにまたひとつ
由紀子さんが加わった
困った時はポケットの中を探る
あの顔やこの言葉が
ぼくに勇気をくれる
そうだなあ
もう少し、辛抱してがんばってみるか
キミもそんな気持にしてくれる心のポケットを欲
しいかい?
キミが誰かのせつない詩を読んで
その気持に自分の気持を重ねるとき
キミにも心のポケットができるんだよ

それでも

それでも


キミがいつも聞かせてくれる
徳永英明が少年のような声で唄う
<壊れかけのレジオ>
あの頃、キミがひとりで抱え込んでいた孤独
あの頃、キミがひとりで抱え込んでいた絶望
<遠ざかる 故郷の空 帰れない 人波に
ほんとの幸せ 教えてよ 壊れかけの レジオ>
深夜のラジオから流れる歌を聴きながら
壊れそうな心の闇におののきながら
キミがひとりで耐えていたものの重さに
二十年も経って気づいても遅過ぎるよね
今さらどんななぐさめも、しらじらし過ぎるよね
それでも
ぼくはキミに伝えるほかないんだ
それでも
人生は生きるに値する、と
キミの孤独と絶望の底無しの深さこそ
キミを希望に誘(いざな)うただひとつの扉なんだ、と

人生の扉は一つじゃない


六甲のハーブ園を歩いたね
北野の異人館街でのぞいたギヤマンショップ
唐草模様の対のワイングラスをためつすがめつ
買いかねるぼくにあっさり揃いを買ってくれたね
道すがらキミが話してくれたH・G・ウェルズの物語は
人生の扉を何度も開けそこなった愚かな先輩
ぼくの心に痛く沁みた
キミが幼い肩に背負ってきた重過ぎるかなしみを
代わりに背負うことはできないけれど
そうだよ、人生の扉は一つじゃない
自分らしい幸福にいたる道は
いくつも、いくとおりもある
かなしみを受け容れよう、孤独をいとおしもう
それはキミの痛みを
人への励ましに変えるやさしさをキミにくれるよ
そのやさしさが
もうひとつの扉を押してみる勇気をキミにくれるよ


*H・G・ウェルズ:イギリスの作家(1866-1946)、物語は「緑の扉」

白い通知表

白い通知表

 保健室登校している子どもさんに、何も書いてない白い通知表が渡されたという事件は、高知新聞に投稿されて以来、県民の皆さんの大きな反響を呼びました。県教委では、該当校にすぐに事実関係の調査とお子さんや保護者への適切な対応をお願いしましたが、事件はそれで終わりではありません。基本的なことで私達教育関係者は永年思い違いをしてきたのではないか思います。それが気がかりです。その気がかりをメールマガジンを借りてお伝えしたいと思います。
 ひとつは、通知表というものの性格のこと。私も子どもの頃、通知表をもらう時はどきどきし、開いては一喜一憂したものです。通知表はいつも、子どもの成績や素行を先生方が一方的に評価した結果の通知でした。だから、自分の思いとは違うこともしばしば。
これは何か違いますね。通知表は子どもの成長のプロセスを子どもや保護者にお知らせし、励ましを贈るメッセージでなければならない。そのことを私達はしっかり認識していただろうかと思います。
 もうひとつは、多くの先生が成績評価の参考にしておられるであろうテストのこと。私も永年、テストは自分の学力を試されるものだと思い込んでいました。
先年、上廻昭先生という素敵な元小学校の先生にお会いして、自分の勘違いに気付きました。上廻先生は、テストで八十五点以下の子どもがいると、自分の教え方のどこが悪かったのかを徹底的に調べて、授業をやりなおしたというのですね。
ああ、そうなのか。目からウロコが落ちる思いがしました。テストは、生徒の学力ではなく、先生の教える力を試すもの、検証するものなのですね。
 教育とは、教壇から子ども達に知識を授けることではない。がんばっている子ども達に、悩みを抱えている子ども達に、励ましをおくることである。そのことをお互いに忘れないでいたいですね。

アレチノギク

アレチノギク


ぼくは手も上げられない引っ込み思案の一年生だった
授業中にウンコになった
先生によう言わんずつもじもじしていた
身体をよじってこらえたよ
「ひろすみは、教室でクソひった」
それがぼくの生涯のコンプレクスになった

ぼくが打席に立つと
背後から友達の声が飛ぶんだ
「ひろすみ、打つなよ!打つなよ!」
審判は味方がやっているから
バットを振らなければフォアボールで出してやるとい
う意味だ
ぼくは一度もバットを振ることなく小学校を卒業した

中学生になるとみんなワイシャツの腕まくりをして学
校へ行く
あこがれの女の子もいる
ぼくもワイシャツが欲しかったな
貧しいおやじがようよう買うてくれたが
長く着れるように大きいのを買った
だぶだぶのワイシャツで腕まくりはできなかった

大人になったぼくは運命的な不幸を背負った
子どもの頃からの劣等感もしみついている
不幸や劣等感は人をダメにするだろうか
違うな
不幸や劣等感が、人生で一番大切なものをぼくに育くんでくれた
それは、人の心の痛みを自分の痛みに重ねる「想像力」

アレチノギクの小さな花は
いつも
人の心の痛みを受け止めてしなるんだ
アレチノギクの小さな花を
そっと
おとずれる虫もいるんだ

オリジナル

オリジナル


二十一世紀という時代はコンビニに似てないか
食べ物から雑誌から日用品に至るまで
必要なものはなんでもお金を出せば買える
でも
生きることの意味、人生の目的はどの棚にあるの?
それはどの棚にも無い
二十一世紀は生きることが難しい時代
自分らしい幸せを見つけることが難しい時代
そんな時代を生き抜くために
正解を早く見つける技術、大量の知識を記憶する努力
がんばるキミをぼくは偉いと思うが
生きることの意味、人生の目的
自分らしい幸せが置いてある棚を見つけるには
小さなものを愛する好奇心
人の心の痛みに思いを寄せる想像力
そんな
お金で買えない
誰も教えてくれない
自分でたどり着くしかないキミのオリジナルが要る

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