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子どもの人権を守る

東かがわ市夏季人権講演会講演  2015.8.24 14:30~16:00(90分)  

 <子どもの人権を守る> 

お招きへの感謝・皆様の日頃のご苦労に敬意と感謝

「小さな弱い人を守る」活動を通じて辿り着いた考え方を語りたい
  自分に子どもの人権を語る資格があるかどうか確信が持てないが機会を頂いたので
  私は、その振りをしているが、教育や人権、カウンセリングの専門家ではない
  私の考え方は全部たたき上げ、実体験から身に付けたもの
実体験から辿り着いた私の教育哲学は「小さな弱い人を守る」だから「人権派」と
  しかし、私は、我が子も含め、小さな弱い人を守り切れなかった・ただ、
  我が子も、高知県の子ども達も・守り切れなかったがゆえに学んだものがある
  不登校の我が子と共に歩んだ孤立無援の25年、精魂をこめた教育行政8年
  不登校・イジメ・様々な障害、ひきこもりなどの支援活動を続けた15年
  その経験を通じて辿り着いた、自分でなければ語れない事を語りたい
  何か、一つでも皆様の人生を心豊かなものにするためのヒントがあれば幸い

まず、「人権」という言葉をめぐって、人権という言葉が軽く扱われ過ぎていないだろうか
  例えば学校で
  授業、部活動の場で、いじめ、不登校などで、数多くの子どもの悲鳴が聞こえる
  子どもの人権は学校生活の至るところで侵されていると思わざるを得ない
  そういう認識が皆様にあるだろうか・私達は組織の中にいると
  子供を置き去りにして組織の擁護に走りがち・我が身の振り返りがあるだろうか
  自分自身の胸にいつもそれを問うていたい
  例えば家庭で
  痛ましい児童虐待事件が続いているが、それだけでなく
  子ども達は家庭で本当に慈しんで育てられているだろうか
  <バスの中で見かけた微笑ましい親子に見る不安>
  保護者は子ども達の話を真剣に聴いているだろうか
  私は聴けていなかった・その報いを今引き受けて呻いている
  例えば世の中で
  我が国は世界有数の経済大国になったが、国民の経済格差も拡大した
  経済的格差の広がりが、心の絆の崩壊、生活基盤の崩壊をもたらしている
  子育ては本来社会全体の責任・しかし心の絆を失った社会は
  その責任を果たす力を失っている
  もう一つ、豊かな国になるために私達が支払った代償
  自然環境の破壊を許して来た私達の生活のあり方が、未来世代の生存権を侵害
  このように見てみると、人権という言葉は至る所でさも大事そうに扱われているが、
  私達の日頃の行いは、子どもの人権を至る所で侵していると言わざるを得ない
  私達は人権という言葉を、反省もなく軽やかに使い過ぎていないだろうか
  私達は子どもの人権を大切にしているつもりで、踏みにじっていないだろうか
  人権について本気で考えるなら、まずそれを自らに問うことから始めるべき

もう一つあえてタブーに触れておきたい・人権教育は実態を伴っているだろうか
  これは教育行政に長くいて実感してきたこと
  人権教育を取り巻く外側の課題――敬して遠ざける雰囲気が厳然としてある
  教育行政の中で、学校現場で、人権教育は教育課題を解決するカギでありながら、
  現実にはそう認識されていない・教育の場で活かされていない・祭り上げられているだけ
  例えば重要な教育政策決定の場に人権教育の責任者が呼ばれない
  人権教育の内側の課題――私達は人権教育に取り組むふりをして人権にあぐらをかいて来なかったか・祭り上げられることで満足していなかったか
  枝葉末節、皮相な「人権」に目を奪われていなかったか
  人権教育が前面に出ることが必要な場面で、その姿が見えない
  いじめや不登校、障害のある子ども達のために、どう闘っているかが見えない
  人権はどんなに丁重に祭り上げられても、それだけでは意味を持たない
  人権を守る実践によってのみ、意味を持つ
  人権は人生をどう生きるかを自分自身に問い続けることによってのみ意味を持つ

さて、本題、人権とは何だろうか、人権の中身、眼目はなんだろうか
  小林完吾さんの言葉「子どもに生を与えたということは、親が付き合ってやれない死を与えたということ。であれば、生きている一瞬一瞬が生きていて良かったと思えるものであって欲しい」
  全ての子どもを、今、生きていてよかったと思えるようにする責任が私たちにある
  我が子だけでなく世界中の全ての子ども、将来ではなく今、生きていて良かった
  「全ての」と「今」に大きな意味がある
  政治に国境はあっても、経済に国境の無い時代
  我が子の幸せと世界の子ども達の幸せは不可分の時代、我が子だけの幸せは無い
  我が子の幸せを願うなら、世界中の子どもの幸せのために行動することが必要
  これが、21世紀という時代の人権の中身、眼目

しかし、子どもの人権の現状はどうか、先に触れたが象徴的な問題にもう一度触れる
  子ども達の生きる権利、学ぶ権利、幸せになる権利が、至る所で侵されている
  不登校
  小中学生全国12万人が減らない、その周辺に数倍の潜在的不登校がある
  不登校に対する教育界、地域社会の理解・認識は、いまだにきわめて浅い
  <本人に、家庭に問題があります・・個人の問題にすり替え>
  不登校は社会問題、不登校対策で、不登校問題は解決できない
  カウンセラーの配置では解決できない・新たに発生する環境を変えなければ
  学校に復帰することで不登校問題は解決しない・そこに居場所がなければ
  学校が子どもにとってつらい場所であるなら、変わらなければならないのは
  学校・現在の不登校対策は子どもの方を変えることに圧倒的ウェイト
  不登校は50年前は無かった、過酷な競争社会が生み出した社会病理、社会問題
  こうした認識が決定的に欠けている
  いじめ
  いじめも過酷な競争社会、管理社会が生み出した社会病理、社会問題
  正確な情況を把握する方法が無いがすべての学校の中で蔓延していることは確実
  <我が校にイジメはありません>というのはウソ、現実を知らないだけ
  いじめ対策では、いじめ問題は解決できない・現状は和解を演出して事足れり
  日常の教育活動の中で、ハンデを背負った子どもを心にかける意識が最も大切・これが人権感覚
  児童虐待                    
  親は命懸けで我が子を守るのが自然・自然から遊離し過ぎた生活がもたらした悲劇が児童虐待
  世間の大きな誤解・児童虐待は親子を引き離すことでは解決しない社会問題
  子どもの生命を守ることと親子関係の修復と、二つの問題の解決が必要
  ゆえに親子の引き離し、子どもの保護だけでは、虐待問題は解決できない
  児童虐待も社会病理
  児童虐待も、一家庭、一個人の問題としてとらえることでは解決できない
  人々が温かい絆で結ばれる社会を作ることでしか解決できない
  悪い親はいつの時代にもいる・人々の絆、社会のモラルで補うことが必要
  学 力
  世間のおおいなる誤解・受験学力では子どもは幸せになれない・野口先生の話
  折角入学した高校を止めて行った子ども達・自尊感情を育むことこそ必要
  しかし、現実は受験学力オンリーの学力観が今なおこの国を支配している
  受験学力対策では、学力問題の根本解決はできない・子どもは幸せになれない
  大学は今、教えられる事に慣れ切って、自分で学ぶことを知らない不幸な学生で溢れている
  生きることが困難な21世紀に求められるのは、人と温かい心の絆を結ぶ力
  友達との競争に勝つ力でなく、友達と助け合う喜びを知る力
  そういう力の基盤となる学力こそ、子ども達を幸せにする真の学力
  残念ながら、学力観は混乱し、社会的合意は到底できそうにない
  それは子ども達にとっておおいなる不幸・子どもの人権に対する冒涜

このような子どもの人権の危機の背景には何があるのか
  教育の危機を説く人はいる・しかし、その社会的背景を追究する人は誰もいない
  社会的・構造的背景を解明しないと、問題の根本解決はできない
  まず、教育の責任は誰が背負うのか・責任者不在の問題がある
  教育の責任は、家庭・学校・地域社会全体が等しく背負うべきもの
  教育の責任を社会全体で背負わないと、子どもの人権は危険にさらされる
  しかし、現実には、親、学校、教育システムの責任と小さくとらえられている
  人間は社会的動物、社会全体で育てなければ子どもは社会を支える人になれない
  家庭や地域の教育力の低下の問題がある
  経済成長政策の選択・一次産業の衰退と経済格差の拡大
  地域社会の心の絆の崩壊・これが家庭や地域の教育力の崩壊の原因
  どう解決するか、日本国中、誰も答えられない難問
  さらに、格差社会の到来という問題がある
  小さな農業が基幹産業である時代は、人々の経済格差が小さい・自然に助け合う
  経済的格差が一定以上大きくなると、人々は助け合わなくなり憎み合う
  無制限の経済格差の拡大を容認する社会である限り、差別は無くならない
  社会的・構造的な背景から子ども達の生育環境全体を建てなおす方法を考えない限り、子どもの人権は風前の灯であり続ける

それでも、私達は子どもの人権を守らなければならない・どうすればよいか
  子どもの人権をどうやって守るか・そのために必要な哲学
  2000年4月の第一声「弱い立場に置かれている子ども達の味方であって欲しい」
  この「小さな弱い人を守る」という教育哲学を8年間一貫・私の誇りはこれだけ
  結果は惨憺たる敗北だったが、無名の市民の中に理解者がいたことに勇気を頂いた
  小さな弱い人が守られる学級・学校ができる時、全ての教育課題が解決する
  小さな弱い人が守られる社会が良い社会、そこでは大きな強い人も幸せになれる

子どもの人権をどうやって守るか・その方法論
  家庭では
  親と子の信頼関係がすべて・それが他者との信頼関係づくりの基盤になる
  それがあれば、子ども達は胸を張って社会へ巣立って行ける
  親子の信頼関係を築くには、子どもの話を聴く事・人生の時間をそのために使え
  生活習慣・生活リズムの定着・体内時計に合わせると心と体が安定する
  遊び・お手伝い・豊かな生活体験が折れない心、生きる知恵や力を育てる
  現代の教育の最大の課題、自己肯定感はこうした努力を通じて育まれる
  親自身が心豊かに生きる・子どもはその背中を見て育つ・背中を見せられる親に
  学校では
  学校だけに教育の責任の全てを押し付けると、学校は子どもを管理する場所に
  しかし、子どもの人権を守る強い意思があれば、学校にできることは、まだある
  教育課題は教育の本質から読み解くことが大切
  学力対策で学力問題は解決しない・不登校対策で不登校問題は解決できない
  教育の本質から読み解く学校教育の改善は、三つの経営改善に収れんする
①教科経営の改善――良い授業とは、教師でなく生徒が主役である授業
  一番勉強のできない子どもが活躍する場がある授業
②学級経営の改善――教師の価値観・人権感覚次第で学級は生きも死にもする
  日常の教育活動の中での教師の人権感覚が試される・ABCくんを忘れない
③学校経営の改善――みんなで悩んで問題解決を考えるプロセスを経営に取入れる課題は教職員全体で共有する・生徒、保護  者、地域住民に助けを求める・学校を開
  三つの経営改善の味噌・どれか一つに徹底して取り組めばOK
  地域社会では
  豊かさを獲得するために経済成長路線を選択した私達
  産業構造の変化・一次産業の衰退・経済的格差の拡大・助合いより憎しみの増幅
  コミュニティの崩壊・温かい心のつながりの崩壊・これが教育の危機を招いた
  人間は社会的動物・社会全体の協力で育てられてこそ社会を支える人間になれる
  若者のひきこもり、猟奇的な犯罪は育ててくれなかった社会への復讐
  私達は我が子だけでなく人様のお子様のお世話になる身・人様のお子様も我が子と同じように大切に育てる責任がある
  慈しみ、見守り、叱って育てるためには、子どもとの信頼関係があることが前提
  心の絆の壊れた地域社会は人を育てられない・心の絆の回復が必要
①心の絆のある地域社会の再構築・誰も答えられない難問だけれど
  一次産業の再生の道を考える―一一次産業は人々の助け合う心を再生する
  経済的格差の縮小を目指す――経済的な格差の拡大は憎しみを生む
  みんなで、貧しくても、心のつながりのある社会づくりを意識すべき時
②新たなコミュニティのあり方を構想する
  各地で取組まれている地域おこし活動も新たなコミュニティを生む可能性
  学校を核にしたコミュニティは作れないか
  学校を地域に開く
  社会的弱者を支える活動を核にしたコミュニティは作れないか
  西土佐のピース、たんぽぽ教育研究所
③一人ひとりの生き方が地域社会を温かい方向に変える
  政治的な運動で社会は変えられない
  目の前で困っている人を助ける・助けたつもりで、いつも助けられている私
  小さな個人の生き方の変革から、社会のあり方を変える展望が開ける
  人の意識を変えるのでなく、自分自身を変える努力をまずしていきたい

最後にまとめ
  人と人との信頼関係が子ども達の生きる力を育てる基盤・子どもの人権を守る基盤
  不登校の子ども達の高校定着率に関する研究レポート
  親と子、子ども同士、教師と生徒、大人と子ども、誰かとの信頼関係が子どもの心を最後に支えるカギになる
  良い人間関係を結ぶべースは、人付き合いや世渡りの技術ではない
  私が、あなたが、人生を如何に心豊かに生きるか
  人生を心豊かに生きる術・孤独で弱い人間である私が身に着けた知恵
  日常生活の周辺に小さな喜びを見つける・小さなものを愛する好奇心      
  自分の心の痛みを通じて人の心の痛みを知る・人の心の痛みに想いを寄せる想像力
  自分を支えてくれる人との出会いをもたらしてくれる
  目の前で困っている人がいたら手を差し伸べる・その人が自分を助けてくれる
  自分が心豊かに生きていれば、それは周囲にいつか伝わり、社会を変える力になる
  たんぽぽ教育研究所もその一環・教育相談・居場所・教育政策の研究を市民の皆さんと共にやっていく
  その向こうに子どもの人権が真に大切にされる新しいコミュニティを展望したい
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生きる力を育む教育

徳島県三好教育会主催教育講演会      2015.8.20 15:00~16:30(90分)

  <生きる力を育む教育>

お招きへの感謝、皆様の日頃のご苦労へのおねぎらい
  教育は本来、家庭、学校、地域社会、この三者の教育力に支えられて健全に成り立つ
  しかし現代という時代は、家庭と地域の教育力が崩壊、教育も子育ても学校に丸投げ
  教育受難の時代、皆様のご苦労はいかばかりか、心よりおねぎらい申し上げます
  私は教育行政の経験はあるが、教員ではなく、教育の専門家でもない
  不登校の子を持つ親として悪戦苦闘した25年・教育相談15年の中で辿り着いた自分の体験に基づいた考え方・借り物でないのが取り柄であり、欠点でもある
  お話の中に、教育受難の時代を乗り越えるヒント、何より皆様の人生を心豊かなものにするヒントが一つ二つ見つかれば幸い

はじめに少しだけ、たんぽぽ教育研究所のご案内
  教育行政8年間、不登校・イジメ・障害などでお困りの皆様の教育相談に精魂
  なぜそうしたか、困っている人を本気で助けようとする公務員は数少ないから
  でも、困っている人を助けることほど幸せな人生は無い、それで
  退職後、ライフワークとしてたんぽぽを開設、今年で8年目
  教育相談から、精神疾患や発達障害の皆様への支援、よろず悩み事相談に仕事は拡大
  詐欺師から本物のカウンセラーに、明るい窓、緑と音楽の空間をぜひお訪ねください

さて、今日のお話の主題を  <生きる力を育む教育>  としたのはなぜか
  教育の目的を明確にし、共通認識しておきたい、それができれば
  教育の方法についても、考え方の合意形成ができる、こう考えるについては二つのきっかけがある
  第一は、教育行政の中で様々な教育課題に遭遇・その解決に当たる時、教育の目的についての考え方が、同じに見えて実はみんなバラバラであることに気づいて愕然
  教育の目的は子どもの幸せ、でも、「幸せ」の中身についての認識が違っている
  教育の目的がバラバラだから、教育の方法もバラバラにならざるを得ない
  第二は、教育行政やたんぽぽで出会った不登校、イジメ、非行、心や体の障害に悩む
  子ども達、若者達、保護者、先生方に対する15年の支援活動の中で痛感する事
  よく頑張る、まじめで成績もいい、心の優しい、いい子がつまずいている
  真面目な若者、やさしい保護者、生徒を想ういい先生方が苦しんでいる
  つまずく事は全然かまわない、人生にプラス、問題はどう乗り越えるか
  乗り越えられないで困っている子ども達、若者達、大人達がたくさんいる
  テストで点数を取る学力だけでは、つまずきを乗り越えられない
  一流進学校に入学しても、そこでつまずいたら悲惨、そういう子供が沢山いる
  つまずきを乗り越えるには何が必要か?・支援活動の経験から
  生まれてきてよかったと思える瞬間、自分自身に対する信頼、自己肯定感
  それがあれば、困難や挫折、つまずきや失敗から再び立ち上がることができる
  それがあれば、どんな境遇に置かれても、そこに自分の居場所、自分らしいささやかな幸せを見つけることができる
  そういう生きる力を養うことこそ、子ども達の本当の幸せではないか
  さらに、これから子ども達が生きて行く21世紀という時代は、バラ色ではない
  21世紀は生きることが困難な時代・三つの崩壊の時代
  地球環境の破滅的な崩壊・食糧や資源の危機が間近に迫っている
  経済の枠組みの崩壊、成長の行き詰まり・格差の拡大に伴う生活基盤の崩壊
  その結果、人々の心の絆、モラルの崩壊がさらに進む
  どの一つを取っても、子ども達が健やかに育ち、生きる事がとても心配な社会環境
  とすれば、子ども達の幸せを本当に願うなら、将来どんな厳しい境遇に置かれても、その場所で、自分らしい幸せを見つけて、たくましく生きて行ける知恵や力を身に着けること、生きる力を育むことが、教育の目標にならなければならない

生きる力とはどんな力か・教育相談15年の経験から思う生きる力の素
  人生でいろいろな困難、挫折、失敗に遭遇した時、自分の知恵や力、周りの人の知恵や力を借りて、それを乗り越えていくことができる力、何がそういう力の素になるか
① 生活の知恵・心豊かに生きるための生活の知恵
  炊事洗濯、掃除、お使い、お手伝い、日常生活を通じて身に付けた知恵があると
  身の周りの人や自然に対する関心、小さなものを愛する好奇心が育つ
  卵焼きができる、雑巾が絞れる、食べ終えた食器を流しに運べる、洗える
  こうした経験が心を豊かにする・考える力や判断する力、やさしさも育てる
  人生の様々な場面で、その場面に柔らかに対応する生き方ができるようになる
② 周りの人と良い関係を作る力・人間に対する無条件の信頼
  人間は社会的動物、群れの中に居場所があると安心・幸せが得られる生き物
  居場所が見つけられない子ども達、若者達が苦しんでいる
  人と良い関係を作るには、人間とは信頼できるもの、という確信が必要
  そういう無条件の人間への信頼を身に付ける基礎は、親子の信頼関係だが、
  先生、友達、周囲の人との信頼関係でも代替できる <小西理論>
  それが人間全体への信頼に発展すると、どこにでも自分の居場所ができる
  その時、子ども達若者達は社会的自立が果たせる
③自分自身に対する信頼、自己肯定感・自尊感情、これが生きる力の核心
  それは時間をかけた育ちの過程で少しずつ形成されるもの・マニュアルは無い
  自分自身に対する信頼は親、周囲の人との信頼関係の中から育つ
  認められる、愛される、成し遂げる体験の積み重ねの中で少しずつ育まれる
  それがあれば、挫折、失敗、失意からもう一度起きあがる力になる
  どんな境遇に置かれても、そこで自分らしい幸せを見付ける力になる
  こういう生きる力の獲得こそ、子ども達を幸せにする唯一の道

生きる力を育むにはどうしたらよいか・三つのポイント
①生活の知恵を身に着けるために、生活体験をたくさん積む
  炊事、洗濯、掃除、お使い、お手伝い、できるだけ早い時期から、作業の一部でなく全部を、信頼して任せてあげて欲しい
  信頼されているという喜び、全部を任された責任感、どうすればうまくいくかの工夫、こうした体験が、身の周りの人や自然への興味・関心を育てる
  こうした生活の知恵が心を豊かにする・考える力や判断する力を育てる
②徹底的に遊ぶ、遊び呆ける、遊びは勉強より大事
  遊びは体力、生きるための知恵、人間関係を学ぶ最善のトレーニング
  就学前の保育・教育では現在も遊びが重視されているが、それ以後は遊び不在
  人間は遊びを通じて成長する、遊びの絶対的不足が現代の子ども達の不幸
  異年齢の集団で、自然の中で心ゆくまで遊ぶ事が理想、かつてはそれがあった
      <不登校・ひきこもりは遊びの喪失に原因がありはしないか・仮設>
  人間としてのマナー、社会のルール、モラルの習得は遊びの中で獲得できるもの
  遊びを通じて群れの中で生きる訓練ができると、どこにでも居場所が作れる
  集団の中に居場所が作れると、人は何処でも幸せに生きて行ける
③ 学ぶ喜びを感じられる勉強をする
  教えられた事をひたすら覚える勉強、苦しみに耐える勉強が現代の勉強の主流
  こういう勉強は、いつか疲労困憊する、つまずいたら起き上がれなくなる危険
  有名進学校で挫折する子ども達、優秀なのに卒論を書けない大学生が増えている
  学ぶ喜びに支えられた勉強は、生きる力につながる主体的な学びの力を育む
  つまずいても起き上がれる力になる・最後に勝つ
     <主体的な学びの力がない学生が就職活動で苦戦している>
学ぶ喜びは何によって獲得されるか
①先生が好きになること、全部の子どもに好かれる必要はないが、
  先生方は、できない子、悪さをする子、ものを言わない子に心をかけて
②友達が好きになること、友達と仲良く学びあう関係ができること
  これは競争の中では生まれない・仲間を大切にする学級経営の中で生まれる
③自分の勉強の仕方を身に着けること
  小中高校大学で学び方が違う・それに適応できない子がつまずく
  学び方のトレーニングが必要・本来は自分で辿り着くべきものだけれど
  分からない所を見つける予習、先生のお話を集中して聴く習慣
  オリジナルのノートづくり、友達と助け合い教え合う喜びのある学び
④勉強以外の勉強にも没頭すること
  虫取り、魚釣り、山登り、読書、好きな事に没頭する経験が集中力、探求力、人生を心豊かに生きる生き方の獲得に役立つ

生きる力を育むために、子ども達にどう向き合うか
①すべての子どもが一人一人違う個性、能力、可能性を持っている
  だから、それぞれの子どもが辿り着くべき幸せの形はみんな違う
  世間のおおいなる勘違い・良い学校良い会社神話はもう成り立たない時代
  その学校、その会社の中に自分の居場所を作る力がなければ幸せにはなれない
  テストで良い点数を取るためのお勉強では子どもは自分の居場所を作れない
  教えられたことを憶えるだけの勉強では子ども達は自己肯定感を育めない
  このおおいなる勘違い、認識の修正がまず必要
②子どもを分け隔てしない・偏見を持たない・障害という言葉で問題を片付けない
  すべての子どもが様々な可能性 <子どもという希望> を秘めている
  可能性、希望の芽を摘まない保育者・教育者でありたい
  ある教員研修会でこういう質問をしたら答えは5:5だった
    <羊飼いの悩み・迷った1頭の子羊を探すか、子羊を捨てて群れ全体を守るか>
  ある先生から後日お手紙・はぐれた1頭の子羊を作らない学級経営こそ大事
  私の答えは、はぐれた1頭を守れない羊飼いは群れを統率できない、群れを捨てても1頭の迷える子羊を見捨てない羊飼いの生き方を羊達は見ている
  子どもを分け隔てしないということは、一番貧しい家庭の子ども、一番勉強のできない子ども、一番大きなハンディキャップを背負っている子どもをいつも心に留めること
学級の子ども達は先生のその姿、考え方を見ている・必ずその影響を受ける
③言葉によるコミュニケーションには限界があることを認識する
  コミュニケーションの前提には信頼関係の構築が必要
  いたずらをした子どもを叱る時、信頼関係の有無が問われる
  子どもは自分の気持の全てを語れない場合がある
  語るべき自分をしっかり築けていない場合
  語るために必要な言葉を持ってない場合
  心を開いて語る前提となる信頼関係が築かれてない場合
  悪意なく嘘をつく場合、 現実と空想が混然、相手に配慮して、叱られると思って、などなど
  子どもの言葉の背後にあるものに想いをめぐらす、言葉の空白を埋めて聴く
    そこに 生活環境の問題があることも、イジメや虐待がひそんでいることも想定しながら、想像力を巡らせつつ聴く
④自分の価値観、世間の常識で善悪の判断をしない、決めつけない
  人の価値観はみんな違う・全てをいったん受け容れる度量を持ちたい
  不登校、非行、問題行動は良くない事、という決めつけを一度棚上げする
  それらは成長するためにその子にとって必要なプロセスであることもある
⑤自己肯定感・自尊感情を持った人間を育てることが現代の子育ての最大のテーマ
  自己肯定感を育てるマニュアルは無い
  日常の教育活動の中で自己肯定感を育てるような援助の仕方を意識する
    <田舎の小学校の縄跳び風景の中で>
  小さな成功体験を積み重ねることで自信を育てることこそ教育の真髄
  そういう支援を通じて、人間への信頼を育てることが自己肯定感、自尊感情を育てる基盤
  たんぽぽのカウンセリングで私が注意しているのもその一点
⑥自己開示する・最後で最強の手段
  私達が心を開く時、子どもも心を開く可能性が生まれる
  心を開くとは、自分の恥部をさらすこと、それを恐れない勇気を持つこと
  こうした心構え、日常の営みを通じて、子どもとの揺ぎない信頼関係を築くことが
  教育という営みのすべて、何より大切なこと

親は何をすべきか・親も育てなければならない時代になった
  ・私のおふくろの子育て・添い寝・昔話・抱きしめ
  ・親は何をすべきか
①親子の信頼関係づくりがすべての基礎
  たんぽぽで出会う親子のどこを見ているか・信頼関係が有るか無いかの一点
  信頼関係を育てるには、話をしっかり聴く、たくさん話してあげる
  そのために使う時間より大切な時間は人生には無い
  親への信頼が他者への信頼につながり、社会的自立につながる
②良い生活習慣を身に付けることは親の責任
  雑巾を絞れる子、食べ終わった食器を片付けられる子にするのは親の責任
③親自身が自分の人生を心豊かに生きる・その後姿を見せる
  子どもは親の後ろ姿を見て育つ
  ・親を育てるために
  どの親も言いたいこと、相談したいことを山ほど抱えている
  偏見を捨てて、共感して聴くことに徹する
  時間が惜しい、忙しい、が、ここぞ、という瞬間がある、その時に心を込めて聴くことで信頼関係が生まれる
  自分を開くことも時に必要
  そこから、親にアプローチする、影響を与える道が開ける    

学校は何ができるか・三つの経営改善の提案
  教育の責任は、家庭、学校、地域社会が等しく背負うべきもの
  現代の教育の不幸は、家庭と地域社会の教育力が崩壊、教育の責任が学校に丸投げ
  学校は教育の全責任を負うことはできない、しかし、学校にできることはまだある
①教科経営の改善
   <授業改善運動を通じて学校を変えたA小学校の例>
  校長でなく複数の中堅教員が牽引して全校運動・授業改善を通じて不登校がゼロ
  良い授業とはどういう授業か・指導の方法論にとらわれ過ぎては道を誤る
  指導の方法論よりも授業の主人公は教師ではなく子どもという思想が大事
  教室の片隅に置き去りにされる子どもがいない授業が良い授業
  みんなが参加意識が持てる・助け合う場面がある・発見がある・安心できる
②学級経営の改善
   <吹き溜まりにいる子ども達に声をかけてくれた先生のいたB中学校の例>
  教師の価値観、人生観次第で学級は生きも死にもする・恐るべし
  日常の教育活動を通じてABC君を心に留める先生がいる学級は、
  すべての教育課題を解決することができる・これが本当の人権・道徳教育
  日常の教育活動の中でさりげなく子どもと個別のつながりを持って欲しい
  先生の一声、かたたたき一つで子どもは奮い立つ
③学校経営の改善
   <殺人以外は何でもありだったC中学校はどうして生き返ったか>
  全教員で定期的に話し合い、気になる子どもをピックアップ
  子どもの状態を共通認識する作業を通じて、先生の子どもを見る目が変わる
  先生がやさしくなると、教師と生徒の関係が良くなる
  教員間では、困ったことはみんなで共有して共に悩む関係が生まれる
  教職員が悩みを共有できれば、孤立して心を病む先生は少なくなる
  さらに、子どもにも保護者にも地域住民にも助けを求め、共に悩んでもらう
  そういう方向に発展すれば、学校は天国に、これを学校が開かれると言う
  そのために、日常の人を分け隔てしないお付き合いが大切
  この三つの経営改善の味噌は、全部やらなくてよい、どれか一つに徹底して取り組めば、すべての道はローマに通ず、学校は子どもの幸せを紡ぐ場所になれる

最後に、教師個人として何をすべきか何ができるか
  家庭の教育力、地域社会の教育力の低下・崩壊を受けて、現代は教師受難の時代
  様々な考え方の上司、同僚、先輩後輩、さらに地域の環境のもとで、常にベストの教育環境を整えることは困難
  それでも、心の底に、「自分の生き方の原則」を持ち続けることはできる
  自分なりの「生き方の原則・バックボーン」を持つと、困難を乗り越えられる
①教育は教師と子どもの信頼関係を前提として成り立つもの、揺るぎない信頼関係を築くためにベストを尽くす
②目の前に困っている子どもがいたら、無条件で手を差し伸べる
  子ども達はそういう先生の生き方、後姿を見ている
  困っている人に手を差し伸べる、これほど大きな幸せはない・私は貧乏だが幸せ
③小さな心の絆を大事に育てる・小さな人のつながりを大切にする・それを意識して生きていると、ピンチに立たされた時、救いの手が伸びてくる
  たんぽぽ教育研究所は、子ども達の健やかな育ちを支える市民のコミュニティ
  様々な人々のささやかな支援で存続できている・関わる誰もが幸せを頂いている
④小さな絆を育てるために、すべての人を分け隔てしない生き方を実践する
   <清掃作業をしてくれている人に感謝の声をかけられない県庁職員>
  学校も過酷な階級社会、それを打ち破るひそやかな志を持ちたい
  私は、ひきこもりの青年、孤独な高齢者、宅急便のお兄さん・清掃してくれるお姉さん、相談に来られる人、支援してくれる人、すべての人に生かされている
⑤心豊かに生きる・誰もがお金持ちにはなれない・しかし、誰でも心豊かに生きることはできる・人生のピンチは誰にも訪れる・しかし、病気、左遷、失業、挫折に出会っても、心豊かに生きていれば幸せはつかめる
  最近出会った<セレンディピティ>という言葉

最後にCM・詩集「人生の扉は一つじゃない」
  自己肯定感を持てない、生きる事の意味がとらえきれない、挫折やピンチを乗り越えられない子ども達や若者達が、ものすごい勢いで増えている
  自己肯定感をどうやって育てるか、自分が存在する意味を自分で確かめるにはどうしたらよいか、挫折やピンチを乗り越えるにはどうしたらよいか、置かれた境遇の中で自分らしい幸せをどうやって見つけるか、彼らと悩みを共にする視点で書いた
  不孝を背負っても、心豊かに生きることはできる・そのためにはどうしたらよいか
  二人の子どもの心の病気と向き合ってきた自分の人生経験の全てを投入して書いた 
  皆様が教師生活を心豊かに過ごすためのお役に立つかもしれない

生きること

生きることの意味

                                                      大崎博澄


 のん気にかまえていたけれど、ふと気が付くと、金も無いが、もう、そんなに人生の残り時間が無い。文学を支えに生きた者として、最後に一冊、自分のための本を作りたい。そんな気持が嵩じて、そうなるといられの本性が出て、自称・最後の本「生きることの意味・無力で内気で、愚かな私のための物語」を昨年末、慌しく出版した。
 やっつけ仕事なので、デザインも編集も満足なものにならなかったし、校正もきちんとできていなくて誤植も多い。が、それはまあ、ぼくらしいことなのでたいして気にならない。
 一つだけ気になっているのが、「生きることの意味」そのものに直接触れる一章が無いこと。生きることの意味については、全編を通じて語り尽くしていると思う一方で、その全編に十分な説得力があるか、論理性があるか、分かりやすいか、このままでは読者、特に年少の読者に不親切ではないか、ということがしきりに頭を去来する。
 そこで、版を新たにする機会は無いと思うので誌面をお借りして、ぼくの気懸かりにささやかな補いをしておきたい。
 子ども達、若者達の心の闇、心の空洞化が急速に広がっている。“たんぽぽ”を訪ねてくださる、人生の初期に心に深い傷を負った子ども達、若者達からもそれを感じるし、今、受験勉強や部活動に励んでいる一見元気そうな子ども達、人生の初期の関門を無事に潜り抜けたかのように見える、大学の門をくぐる学生達を見ても同じことを感じる。
 これは、教育に真剣に関わる多くの先生方も、表現の仕方こそ違え、実は気づいておられること。自己肯定感の低い児童生徒が多くなった。人と関わる力が乏しい、主体的な学びができない学生が増えた。そういう言葉で、小中高校の先生も大学の先生も、ぼくの言う心の闇、心の空洞化を語っておられる。
 半世紀前、この国の民衆が等しく貧しい時代には、こういう問題は無かった。目ざましい経済発展を遂げ、人々が豊かになった暁に、ふと気が付いてみると、街はスマホを片時も手放せない、隣人にも、雀のさえずりにも、道端に咲くツユクサの青にもまったく関心を示せない、生きることに何の意味も見出せない若者達であふれている。
 これは、昔の若者達が優れていて、今の若者達が劣っている、という話ではない。昔の、貧しい時代の若者達の方が幸せで、今の、豊かな時代の若者達の方が不幸ではないか、という話。少なくとも半世紀前には、数十万人の不登校の子ども達、百万とも二百万とも言われるひきこもる若者達はいなかった。
 半世紀前と現在と、何が変わったのか。大きな社会現象、社会問題が発生するからには、そこに構造的な背景があるはず。ぼくは不登校問題を追究し続けて二十年、ようやくその背景に辿り着いた。
 それは、人々のつながり、人々の心の絆の喪失、コミュニティの崩壊である。
 ぼくは1945年に生まれた。その頃のこの国の基幹産業は小さな農業だった。国民は等しく貧しかった。貧しいけれども経済的格差は小さかった。そういう社会では、人々は生きるためにどういう行動を取るか。人々はほおっておいても自然に助け合う。固い絆で結ばれたコミュニティを形成する。ぼくの家は村一番の貧乏だったが、多くの隣人に支えられ、愛されて、ぼくは健やかに育つことができた。
 人間は社会的動物である。群れを作って狩りをし、獲物を分け合って食べ、群れ全体で子どもを育てる。群れは固い絆で結ばれている。群れの中にいて安心と幸せを感じられる。そうして、子ども達は成長して群れを支える一員になる。
 ぼくが生まれ、育った時代は、そういう時代、人々はみんな貧しいが固い絆で結ばれているというささやかな幸福がある時代だった。あの頃は、わざわざ生きることの意味など考える必要が無かった。働きだしたら美味しいものを腹いっぱい食べる。垢抜けしたチェックのスポーツシャツを一枚手に入れる。貯金してバイクを買う。生きる目的、生きる喜びはそこいらにごろごろしていた。そんなことで悩む必要が無かった。
 60年代から様相が変わった。この国は豊かな国を目指して経済成長路線を突っ走った。基幹産業は小さな農業から大きな製造業やサービス産業に代わった。この国は世界でも指折りの豊かな国に変貌した。が、産業構造の変化に伴ってある変化が生じた。経済格差の拡大である。貧しい人と豊かな人の差が極端に大きくなり、固定化された。この格差の固定化が、人々の絆を分断した。コミュニティを崩壊に追い込んだ。
 人は相変わらず群れて暮らしてはいる。しかし、絆を失くした群れの中には必ずしも安心や幸せは無い。群れの中に居場所を見つけられない、生きることの意味も、目的も持てない子ども達、若者達が増えている。そういう時代が到来した。
 そういう子ども達、若者達に、生きることの意味、生きることの目的、生きることの喜びをどうやって伝えるか。ぼくの人生の最終テーマである。
 もう、小さな農業に依拠した、みんなが等しく貧しい時代に戻ることはできない。とすれば、ぼく達は意識的に、生きることの意味を子ども達、若者達に伝える努力をしなければならないのではないか。
何を伝えればよいか。
自分の経験から考えることは、小さなものを愛する好奇心、人の心の痛みに想いを寄せる想像力。この二つが、ぼくの場合は生きることの意味の核心。
雀の声が可愛い、ツユクサの青が美しいと感じられる感性を持つことができれば、どんな苦境に置かれても人は人生に喜びを見出せる。人様の心の痛みに自分を重ねることができれば、どんな群れの中にでも、どんな孤独の淵にでも自分の居場所が見つかる。
 どうやって伝えるか。
 D・W・ウィニコットさんはこんなことを言っているそうだ。「たとえば、おっぱいの根本の役割は、授乳にあるのではなく、子どもに安心をもたらすことにある」。痛く胸に響く。
 人間とは信頼に値するもの、そう子ども達が思える経験をたくさん重ねることが、子ども達の心の闇を埋める唯一の方法だと思う。そのために、子ども達、若者達の話を、心をこめて聴こう。彼らの哀しみを共に哀しもう。この世に一人でも信じられる人がいれば、人は喜びを胸にして生きていくことができる。そのほかには何も要らない。

子ども達の心の闇にどう向き合うか

東部ブロック主任児童委員研修会講演・レジメ      (2015.7.22 13:50~14:50)
テーマ <子ども達の心の闇にどう向き合うか>
                        たんぽぽ教育研究所 大崎博澄
子どもの世界に異変・広がる子ども達、若者達の心の闇
十代が引き起こす凄惨な事件、不登校、ひきこもり、半世紀前には無かった現象
子ども達、若者達の心の中を読みきれない私達、それを仮に「心の闇」と呼ぶ
「心の闇」という言葉をマイナスイメージで受け止めない
不登校、イジメ、非行、心の闇は人間の成長にとって必要なプロセスでもある
実は大人の世界にも同じ異変が
  大学生の不登校・中高年のひきこもり、出社拒否、ウツ症状の広がり
  育児放棄・児童虐待・高齢者への虐待・理由なき無差別殺傷事件
  いずれも、心の闇に発する社会現象、社会病理ととらえたい
背景に何があるのか
  世の中では見落とされがちだが、社会の構造の変化が一番重要な要素
  経済成長政策の選択→基幹産業が二次・三次産業にシフト→一次産業の衰退その結果
  経済格差の極端な拡大→人々の心の絆の崩壊→家庭・地域社会の教育力の低下
社会に育ててもらえなかった子ども(若者)は、社会に反逆するほかなくなる
  心の闇は、当事者個人の責任ではない、格差社会が生み出したもの
心の闇にどう向き合うか・三つの哲学
  教育の責任は家庭・学校・地域社会が等しく背負わなければならない
  子育てはお金では買えない
  人は、人との良い関係の中で健やかに育つ生き物・ここに皆様の活動の大きな意義
心の闇にどう向き合うか・子ども達が健やかに育つ三つのポイント
  豊かな生活体験が、親子の絆、人生を心豊かに生きる知恵を育む
  自然の中の遊びが、生きるための知恵、人間関係を学ぶ最善のトレーニング
  学ぶ喜びを伴った勉強だけが、つまずいた時、再び立ち上がる力、生きる力に
子ども達にどう向き合うか・その心構え
  揺るぎない信頼関係を築くことが何より大切、そのために
言葉によるコミュニケーションだけでは限界があることを認識する
自分の価値観、世間の常識で善悪の判断をしない
自己肯定感が育つような支援を心掛ける
自己開示・信頼関係を築く最後で最強の手段
まとめ
現代の子ども達が抱えている問題には必ず社会的背景があることを意識しよう
当事者との信頼関係を築くことがすべて・そのために話を聴くことに徹しよう
自分自身が心豊かに生きることを心掛ける・子ども達はその後姿を見て育つ

橋の向うの豆腐屋さん

<たんぽぽ野原・橋の向うの豆腐屋さん>
                            大崎博澄
 「たんぽぽ」をお訪ねくださるお客様の何人もの方が、「帰りに橋の向うの豆腐屋さんへ寄って、豆腐を買うて帰ろう」とおっしゃる。
ぼくは、どんなご馳走よりも豆腐が好き。なにしろ貧しい田舎で育ったので、お盆やお正月の最大のご馳走は、おふくろが山の畑で丹精した大豆を豆腐屋さんに持ち込んで作ってもらうお豆腐。ほのかな大豆の香りと甘さ、固すぎず柔らか過ぎない絶妙の歯ごたえ。
あんなお豆腐を食べたいと密かに探し回っているが、まだ、これぞ、というものには行き当たらない。だから、この情報に興味深々。ついに先日、その豆腐屋さんを探し当てた。
 店番のお姉さんに、「一番固いのはどれですか」、とりあえずぼくが豆腐を選ぶ基準で聞いてみた。そして「畑の豆腐」というのを買った。「畑の」というネーミングがいい。国産大豆で作られているそう。それだけでも値打ち物。
 さらに嬉しいことに、お姉さんが満面の笑顔で、「私が今朝壊したのよー」と言いながら、無造作に絹ごしを一丁、おまけしてくれた。おー、おまけ、こんな豪快なおまけをいただくのは何年ぶりだろう。お姉さんの笑顔、少しハスキーな大声も好感度抜群。
 さて、お味はどうだったか。これが、おふくろの豆腐に近い、ほぼ完璧に美味しい。
 カルポートから南へ、鏡川の橋を渡って二つ目の角を西へ、のぼり旗の立っている土居町のお豆腐屋さん。豆腐はうまい、お姉さんの笑顔が素敵、ぜひ皆様もお訪ねくださいませ。

舞台はまわる

舞台はまわる


四万十川の赤鉄橋のたもとに
大野内科という小さな診療所があります
待合室の壁に色紙がかけてあります
「どんなにつらくても、かならず舞台はまわります」
小笠原望先生がいつも口にされる言葉
ちょっとつらいことになり
小さな心臓がちぢむとき
ぼくは自分に言い聞かせます
「かならず、舞台は、まわる」
つらく苦しい人が相談に来られて
励ます言葉も尽き果てたとき
ぼくは最後の手段に打って出ます
「かならず、舞台は、まわります」
何の根拠もありません
でも、その場しのぎではありません
ぼくの経験では
人生に乗り越えられないハードルは無かった
今度こそだめ
今度こそ終わり
そんなときがぼくの人生にも何度かありましたが
そのたびに舞台は
なんとなく
いつとなく
ともかくも
まわりました
あなたの舞台もかならずまわる
大丈夫です

われわれは問題解決の道を選ばない

われわれは問題解決の道を選ばない


「青い芝の会」の行動綱領にはそう書いてあるそうだ
「われわれは、脳性麻痺者であることを自覚する」とも
「われわれは、強烈な自己主張を行う」とも
「われわれは、愛と正義を否定する」とも
ぼくは今
西日の射す窓の下で独り仕事をしている
やり場のない悲痛な声が、まだ耳の底に響いている
とりあえずドグマチールとコンスタンを飲んだ
後はもう打つ手無し
死ぬか
死ぬのも怖くて、おろおろしていて
不意にこの言葉を思い出した
そうだったな
まだまだオレ、甘いな
この痛み、この打つ手無しを引き受けて生きることが
キミに伝えなければならないぼくの生き方なんだ


*青い芝の会:日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会
*ドグマチール、コンスタン:抗うつ剤、精神安定剤

ゲリラ

ゲリラ
   ――我が友チェ・ギョンヒに――

オレ達は、旧式のカラシニコフ一丁も無いパルチザン
オレ達は、石橋をたたいて渡るのに時々川に落ちる
けれど、オレ達はいかなる権威にも魂は売らない

オレ達は、ときどき、葉牡丹で酔っ払う
オレ達は、身の程知らず人にあこがれ恥をかく
けれど、オレ達は老いてもときめきを忘れない

オレ達は、誰ともつるまない
オレ達は、いかなる意思決定も人に委ねない
けれど、おお、オレ達は世界中の少数派(マイノリティ)に連帯する

我が友チェ・ギョンヒ、北の大地は寒かろな
けれど、オレ達がキミを忘れることはない
世の中間違っているから人生は生きるに値する



*小西豊「ボチボチ力のすすめ」(たんぽぽ教育研究所2011年)
*真壁仁編「詩の中にめざめる日本」岩波新書1966年)

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石ころひとつのかなしみ

石ころひとつのかなしみ


竜一ちゃんは右眼が失明していて
明るい所では自然にまぶたが閉じてしまう
写真を撮ると必ず片目つむっている
本来イケメンである竜一ちゃんの写真映りが悪いのはそのため
ご存じ大崎博澄氏は壮烈なハゲ頭
竜一ちゃんの目に比べれば生活上の不便は少ないけれど
例えば電車で美しい女の人と向かい合って座るときの
大崎氏の狼狽と困惑を想像されたい
背負っている本人にとって抜き差しならぬことも
当人以外の人には他愛も無いこと
子どもたちがあっさりといのちを断つのもそのためだ
彼の悩みの重さは、彼以外の人には決して分かるまい
だから人は無遠慮に、他人の人生を踏みしだいていく
秋風に舞う紙くずひとつ
蹴とばす石ころひとつほどの注意も払わずに
ぼくはちがうぞ
ぼくはキミの苦渋に満ちた沈黙を
笑い話に包んだ痛恨を抱いていくぞ
ぼくが一生背負う
他愛も無い
紙くずひとつ
石ころひとつのかなしみのために

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