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ものわすれ

<ものわすれ>

 ぼくが今、一番嬉しいと思う時は、講演の台本を作っていて、あれ、自分の考え方が以前より進歩しているな、考え方が深まったな、と感じる時。この年になっても、まだ脳味噌が進化している、人間として成長している、と思えることほど大きな幸せはない。ぼくもまだまだ捨てたもんじゃない。もうしばらくがんばろう。そんな勇気が湧いて来る。
 とは言うものの、ものわすれは間違いなくひどくなった。人の名前を忘れる。物の名前も忘れる。ピーマンやアスパラガスが出て来ない。何より申し訳ないのは、沢山の人から、沢山の物をいただくのに、いただいた人の名前を忘れること。
 先日のたんぽぽ教育文化賞受賞者交流会では、銘酒「南」を頂戴したのに、お客様に出すのを忘れ、家で自分で飲んでしまったが、さて、誰がくださったのか、なんとしても思い出せない。お菓子もそう。本もそう。現金のご寄付は、これは帳簿に付けるので忘れない。現金なものだ。
 今日の昼休み、久し振りに「ペコロスの母に会いに行く」を読んで、ふふふと笑ったが、さて、この本を下さったのは誰だったか、なんとしても思い出せない。
 昨日は、恒例の年末コンサートのご案内メールを出していて、以前、鉢植えを下さった方に初めての花が咲いたご報告をしたのだが、花の名前がなんとしても出て来ない。
 今朝、思い出した。咲いたのは沈丁花、白い小さな花が、温かい窓際で今頃咲いた。鼻を近づけるといい香りがする。
 「南」を下さった方、「沈丁花」を下さった方、名前を忘れても、いただいたご厚意は忘れません。お許しください。
 ちなみに、年末コンサートは12月27日午後4時から、場所はカプリース、大崎渾身のギャグトークとグレイグースの心温まる演奏があります。
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再び、寄りかからず

再び、寄りかからず
  < 茨木のり子詩集「寄りかからず」(筑摩書房) >


 ジャガイモの花が咲いた。追肥も土寄せも一度だけ、十分な世話をしてやれなかったけれど、けなげに小さな花をひらいてくれた。イモはできなくてもいいよ。これでぼくは満足だよ。ツルアリインゲンも、ぼくがおいさがし仕事でたてた竹笹に懸命にツルをからませている。佐藤記者の形見のサトイモも、ようやく芽を伸ばし始めた。今年も夏草の海になるはずだった山畑は、援農隊のみなさんのおかげできれいに散髪をしていただいた。いつもいつも、ありがとうこざいます。
 詩人の茨木のり子さんが亡くなった。生前最後の詩集「寄りかからず」がベストセラーになった頃、高知新聞のコラムに一度、やや批判的な雰囲気でこの詩人のことを書いたことがずっと気に懸かっている。
 <詩集はあまり売れないものだが、近ごろ、茨木のり子さんの詩集「寄りかからず」が評判になっている。新聞で表題作を拝見して、あれあれ、これは演歌だよ、と思った。大詩人をコケにしているのではない。時代に流されない精神が注目されるのはいいことだ。ただ、ぼくは今更この詩集を読もうとは思わない。時代や権力におもねらないということなら、高知には植田馨先生も西岡寿美子さんもいる。庶民に依拠する無名の詩人達は、言わずとも、寄りかからずに生きている。>
 茨木さんは、「大男のための子守唄」など、民衆の視座から魅力的な詩を書き続けた、戦後日本を代表する立派な詩人である。しかし、ぼくの胸の中には、地方に生きる無名の詩人のひがみ根性が抜きがたく存在する。そのひがみが、植田先生や西岡さんや片岡文雄さんや片岡千歳さんはこちら側の人で、どんな詩を書こうとも、茨木さんや谷川俊太郎や長田弘は向こう側の人という仕分けをしてしまうのである。
 三月二十一日付け朝日新聞「惜別」の欄に、白石明彦さんが茨木さんのことを書いておられる。茨木さんは高齢で一人暮らしをしていて、誰にも看取られずに死んでいった。死因は、くも膜下出血。脳に動脈瘤があったのだそうだ。生前、「高性能の時限爆弾なのよ」と軽やかに話されていたそうだ。同病相憐れむ。寄りかからず、の生き方を貫かれた潔さ。ぼくの心にいささかの感慨が湧く。
 さて、ぼくはどうか。ぼくは死を恐れ、孤独を恐れる愚かな弱い人間。その上に、心を病む家族三人を抱えて、死の恐怖よりももっと切実な、死ぬに死ねない情況にも置かれている。権力におもねることも、権威に寄りかかることも、我が人生になかったとは言えない。よろめきながら生き、潔からぬ死を遂げることになるだろう。
ぼくに限らず、こちら側にいる人々の多くは、似たり寄ったりの人生を、とぼとぼと歩むのだろう。ぼくは、その人々をいとおしいと思う。その人々の詩を書き続けたいと思う。それがぼく流の、寄りかからず。孤高不屈の詩人のご冥福を心から祈る。 (2006.6)

(注)茨木のり子さんの詩集の題名には人偏の付いた「寄」が使ってありますが、ぼくのパソコンでは残念ながら出せません。ご了承ください。

コンサートのご案内

カプリースサロンコンサート ♪
 大崎博澄&グレイグースが奏でる心の風景vol.3
       ~詩とお話と音楽の午後~
  日時 2015/12/27 (日)16:00~約2時間
  場所 音の広場「カプリース」(比島交通公園西隣・日立の電気屋さんの2F)P有り
  ◇ 一般1500円 学生1000円(ドリンク付)
  内容 大崎博澄の詩のお話とアイルランドの伝統音楽を演奏するグレイグースの演奏のコラボ。
      収益金は、タウンモビリティステーション「ふくねこ」に寄付します。
                   ☎090-7140-6496(北村)

四つの拍手

<四つの拍手>
 今朝は、おん年八十一歳の矢野修先生が丹精した、取れたての野菜を自転車に積んで届けてくださった。大根、カブ、ホーレン草、どれもみずみずしい。
 お茶を飲みながら、小さな声で、先生はいつも熱く教育を語られる。荒れる中学校を腕力で鎮圧した、というような自慢話ではない。その対極にある、こんなお話。
 学期末にクラス会を開いた。先生から生徒達に提案した。1学期間いろいろ苦労をかけた班長さんに拍手しよう。大きな拍手。遅刻しない、宿題を忘れない、何かしら前進した仲間に拍手しよう。もっと大きな拍手。お掃除、花壇の水遣り、何か人の役に立った友達に拍手しよう。もっともっと大きな拍手。さあ、クラス全員の頑張りに拍手しよう。4回目の、もっともっともっと大きな拍手。
 ところが拍手はこれで終わりではなかった。生徒達から提案があった。矢野先生に拍手しよう。割れるような長い長い拍手。先生は思わず泣いてしまった。
 長い間ひきこもっていた青年が勉強を再開することになった。基礎の基礎からのやり直し。矢野先生は毎週、北の方のご自宅からはるばる自転車でたんぽぽに来てくださる。青年は東の端の自宅から自転車で通う。どうぞ交通事故に遭いませんように。新たな師弟の学びに拍手。

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