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ヒュウマンウォッチング

野いちごの場所で・37・ヒューマンウォッチング

                           大 崎 博 澄

 桜の花の季節が過ぎると、お隣の幡多倉公園は一気にしたたるような新緑に覆われます。キジバトが一羽、木の枝をくわえて巣作りの場所を探しています。ヒヨが咲き残っている花の蜜を求めてやって来ます。スズメも新婚さんかな、楽しそうに緑の中を飛び交っています。
 小鳥を観察するのが好きなぼくは、事務所に双眼鏡を持ち込んで、仕事の休み(・・)で(・)にたんぽぽの窓から時々バードウォッチングを楽しんでいます。もちろん、ご近所にお住まいの方や、通行中の皆さんにご迷惑をかけることのないように細心の注意をしていますので、ご安心くださいね。
 生き物はみなそうですが、野鳥はどんなしぐさもかわいい。スズメも、ヒヨも、ツグミも、嫌われ者のムクドリやカラスも。
冬場は、高知の市街地を流れる川ではどこでも、カモの姿が見えますね。ぼくの住まいの近くの江の口川に辿り着いたカモを見ると、人間の運命を思います。もっときれいな川に着水すればよかったのになー。すぐそこに鏡川があるのにどうしてここを選んだのかなー。こんな汚れた川の水草をついばんで大丈夫かなー。
 でも、これは余計なお世話かも知れませんね。人間も同じこと。住む場所も、職業も、ひょっとしたら生き方も、自分の意思以外の何かに大きく左右されているように思えます。それが必ずしも不幸とも限らない。汚れた水面にも、ぼくのうかがい知れないたおやかな幸せがあるかも知れない。まさに運命。
 そんなことまで考えが及ぶから、野鳥の観察は飽きることがありません。
 でもね、ぼくには野鳥の観察よりももっと夢中になることがあります。人間の観察です。といっても、人様の身なりや行動をじろじろ見る、ということではありません。偉い人、有名な人と知り合いになりたい、というのでもありません。
 心が通う人との出会いを求める、という言い方が正確かな。これが、ぼくの場合は人生の最高の幸せ。ぼくはこれをヒューマンウォッチングと名づけています。
 たんぽぽ教育研究所がお世話になっている四国管財株式会社様の玄関を左に出て、すぐの四辻を百々酒店の方向へ曲がると、道端のアスファルトの割れ目に野生のスミレが一株、たくましく生きています。それをぼくに教えてくれた人がいます。紫のスミレの花も素敵ですが、教えてくれた人の心根が哀しい。
 ぼくは“たんぽぽ”でのささやかな社会奉仕と、複数のアルバイトと病気の子どもの介護という、年齢にしてはかなりハードな晩年を過ごしています。寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。釣りも山登りも、散歩も昼寝も気の向くまま。そういう気楽な生活を一生に一ぺんくらいしてみたいと思わないことはありませんが、まあ、その見込みはありません。自分の自由に使える時間も、したいことをする自由な意思もほぼゼロ、不幸を絵に描いたような毎日、かなり悲惨な生活と言えば言えます。
 さて、これをあなたは不幸だと思われますか。
 それが、ちっとも不幸ではないのですよ。人生で、今ほど幸せな時は無いかも知れない。
 ぼくは幸運にも、四国管財の社長様はじめ、たくさんの皆様のご厚意と支えで、たんぽぽ教育研究所に辿り着くことができました。死に場所、というと語感がよくないですね。自分の生き方を全うする場所、というのがぴったりかも知れませんね。
 ぼくはここで毎日、切実な悲しみや苦しみ、寂しさを抱えた人達のお話を聴いています。話しながら、ほろほろと涙を流される方もいます。そういう人達のために、何かをしてさしあげる手立てがぼくにあることは稀です。たいていは何もしてあげられない。一緒にはらはら涙を流すだけ。精一杯お聴きして、精一杯励ましの言葉を探すだけ。
 でも、お話がすんで、お見送りした後、ぼくの心に残るのは、不謹慎と思われるかも知れませんが、人生の不条理への怒りや悲しみではなく、不思議な幸せ。
 暗いトンネルの出口を求めてさ迷っている人達が求めているのは、問題の解決ではありません。この悲しみ、この苦しみ、この寂しさへの深い深い理解です。一人でも分かってくれる人がいれば、人は出口を探す旅を続けるいくばくの勇気が得られる。
 ぼくは彼の悲しみを我がこととして受け止めた。ぼくは彼を人生の友として迎えた。そう思う時、ぼくの心に湧いて来るものは、不思議な幸福感です。
 ある時、不登校に関するぼくの講演を聞いてくださったお母さんからお手紙をいただきました。秋の深まった頃、深夜、椎の実がトタン屋根に落ちる音を聴くような、静かで深いお手紙でした。ぼくには、不登校を解決する方法を語ることはできません。ぼくがとつとつとお話したのは、学校に行けない我が子の苦しみ、それを見守るしかない親の切なさ、それだけです。でも、あのお母さんに一番必要だったものは、そのことだったのかも知れない。そのお母さんが、今、ぼく達親子の心を支えてくれています。
 “たんぽぽ”には時々、意思疎通がほとんどできない人も訪ねて来られます。受付の社員さんにご迷惑をかけているかもしれないと心配しますが、ぼくにとっては手ごわいけれど、さればこそ、大切なお客様。
 みんな、誰かに分かって欲しい切実な思いを抱えておられます。この人は何をぼくに伝えたいのか、一生懸命にお聴きしていると、ほんの少しですが、その思いの輪郭が分かる瞬間があります。彼には彼の、壮絶な人生がもたらした苦しみがある。切羽詰った怒りがある。それを伝える手段は、私達の手垢にまみれた常識の世界の言葉とは違う。彼の世界の言葉。
 他の人でなく、彼が聴き手にぼくを選んでくれたことに感謝しながら、理屈ではなくシンフォニーを聴くように耳を澄まします。そうすれば、聞こえて来る。彼の伝えたいことがぼくの五感にかすかに。
 詐欺師のカウンセラーが本物のカウンセラーに変身する瞬間。彼とぼくとの間で、少しだけ心が通います。
 だから、ヒューマンウォッチングは止められません。もうしばらく、脳味噌と体力の衰えは覆うべくもありませんが、もうしばらく人様の悲しみに向き合いたいと思っています。
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生きることの意味・私の「ひきこもり論」の骨組み

生きることの意味・私の「ひきこもり論」の骨組み

① ひきこもりをどう理解するか
 ひきこもりは、家庭の責任、当事者本人の責任ではない。ひきこもりは過酷な競争社会がもたらした社会病理である。不条理な現代社会に対する、当事者の生物としての自然な自己防衛行動である。ゆえに、本人を治す、という考え方に立たない。人間の自然な成長発達を疎外している社会構造を治す、という立場に立つ。

② ひきこもりの解決をどんな風に考えるか
 人並みに外に出られる、仕事に就くことができる、それをひきこもりの解決と考えない。当事者が自分の現状を受け容れる、自分で自分を赦す、安心してひきこもれる、そういう心境になれた時、ひきこもりが解決したと考える。問題の現象面の解決よりも、問題の本質的理解の方が大事。

③ 親、支援者としてひきこもりにどう向き合うか
 パーフェクトな親、支援者でなくてよい。自分自身が人間として成長していくことを目指す。心豊かに生きることを目指す。当事者はその後姿を見ている。

 生きることの意味は、人生で大きな成功を収めることではない。輝かしい業績をあげることではない。極論すれば、幸せな生涯をおくることではない。
 この世は多くの痛みや苦しみに満ちている。自分で痛みや苦しみを、孤独や絶望を経験しなければ、人様の痛みや苦しみ、絶望や孤独を理解することはできない。
 それを理解することで、人と人との心ははじめて通い合う。心が通う瞬間、それが人生で最高の幸せ。
 そこに至るために、私は痛みや苦しみ、孤独や絶望を引き受けている。そう考えれば、自分の現在の不幸な境遇を受け容れることができる可能性が生まれる。その向うに、よき人、よき友に出会えるという希望の扉がある。
 その意味で、私が引き受けている痛みや苦しみ、孤独や絶望、不幸こそ、私を本当の邂逅、幸せに導く唯一の扉。私が生きることの意味はそこにある。

CM 小著「詩集・人生の扉は一つじゃない」は自費出版としては奇跡の快進撃を続け、おかげでたんぽぽの運営は安泰でした。二匹目のドジョウを狙ったぼくの渾身のエッセイ集「生きることの意味」は、さっぱり売れず、在庫が山積み、たんぽぽの運営も少し資金繰りが怪しくなって来ました。読書の達人の土佐高の広井護先生はずばり「この本の主題は「不思議な幸せ」ですね」と言ってくれました。そのとおり、不幸の問屋のぼくがの出会った不思議な幸せについて、しみじみと語っています。不思議な幸せに出会いたい方、ご注文は855-4546へどうぞ。あなたとの出会いを待望しています。


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