06
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
22
23
24
25
26
27
29
30
   

生きることの意味

野いちごの場所で 28 生きることの意味

 のん気にかまえていたけれど、ふと気が付くと、金も無いが、もう、そんなに人生の残り時間が無い。文学を支えに生きた者として、最後に一冊、自分のための本を作りたい。そんな気持が嵩じて、そうなるといられの本性が出て、自称・最後の本「生きることの意味・無力で内気で、愚かな私のための物語」を昨年末、慌しく出版した。
 やっつけ仕事なので、デザインも編集も満足なものにならなかったし、校正もきちんとできていなくて誤植も多い。が、それはまあ、ぼくらしいことなのでたいして気にならない。
 一つだけ気になっているのが、「生きることの意味」そのものについて直接触れる一章が無いこと。生きることの意味については、全編を通じて語り尽くしていると思う一方で、その全編に十分な説得力があるか、論理性があるか、分かりやすいか、このままでは読者、特に年少の読者に不親切ではないか、ということがしきりに頭を去来する。
 そこで、版を新たにする機会は無いと思うので誌面をお借りして、ぼくの気懸かりにささやかな補いをしておきたい。
 子ども達、若者達の心の闇、心の空洞化が急速に広がっている。“たんぽぽ”を訪れてくれる、人生の初期に心に深い傷を負った子ども達、若者達からもそれを感じるし、今、受験勉強や部活動に励んでいる元気そうな子ども達、人生の初期の関門を無事に潜り抜けたかのように見える、大学の門をくぐる学生達を見てもまったく同じことを感じる。
 これは、教育に真剣に関わる多くの先生方も、表現の仕方こそ違え、実は気づいておられること。自己肯定感の低い児童が多くなった。人と関わる力が乏しい、主体的な学びができない学生が増えた。そういう言葉で、小中高校の先生も大学の先生も、ぼくの言う心の闇、心の空洞化を語っておられる。
 半世紀前、この国の民衆が等しく貧しい時代には、こういう問題は無かった。目ざましい経済発展を遂げ、人々が豊かになった暁に、ふと気が付いてみると、街はスマホを片時も手放せない、隣人にも、雀のさえずりにも、道端に咲くイヌノフグリの紫にもまったく関心を示せない、生きることに何の意味も見出せない若者達であふれている。
 これは、昔の若者達が優れていて、今の若者達が劣っている、という話ではない。昔の、貧しい時代の若者達の方が幸せで、今の、豊かな時代の若者達の方が不幸ではないか、という話。少なくとも半世紀前には、数十万人の不登校の子ども達、百万とも二百万とも言われるひきこもる若者達はいなかった。
 半世紀前と現在と、何が変わったのか。大きな社会現象、社会問題が発生するからには、そこに社会的背景があるはず。ぼくは不登校問題を追究し続けて二十年、ようやくその社会的背景に辿り着いた。
 それは、人々のつながり、人々の絆の喪失、コミュニティの崩壊である。
 ぼくが生まれたのは1945年。あの頃のこの国の基幹産業は小さな農業だった。国民は等しく貧しかった。貧しいけれども経済的格差は小さかった。そういう社会では、人々は生きるためにどういう行動を取るか。人々はほおっておいても自然に助け合う。固い絆で結ばれたコミュニティを形成する。ぼくの家は村一番の貧乏だったが、多くの隣人に支えられ、愛されてぼくは健やかに育つことができた。
 人間は社会的動物である。群れを作って狩りをし、獲物を分け合って食べ、群れ全体で子どもを育てる。群れは固い絆で結ばれている。群れの中にいて安心と幸せを感じられる。そうして、子ども達は成長して群れを支える一員になる。
 ぼくが生まれ、育った時代は、そういう時代、人々はみんな貧しいが固い絆で結ばれているというささやかな幸福がある時代だった。あの頃は、わざわざ生きることの意味など説く必要が無かった。考える必要が無かった。働きだしたら美味しいものを腹いっぱい食べる。垢抜けしたチェックのスポーツシャツを一枚手に入れる。貯金してバイクを買う。生きる目的、生きる喜びはそこいらにごろごろしていた。そんなことで悩む必要が無かった。
 60年代から様相が変わった。この国は豊かな国を目指して経済成長路線を突っ走った。基幹産業は小さな農業から大きな製造業やサービス産業に代わった。この国は世界でも指折りの豊かな国に変貌した。が、産業構造の変化に伴ってある変化が生じた。経済格差の拡大である。貧しい人と豊かな人の差が大きくなり、固定化された。この格差の固定が、人々の絆を分断した。コミュニティを崩壊に追い込んだ。
 人は相変わらず群れて暮らしてはいる。しかし、絆を失くした群れの中には必ずしも安心や幸せは無い。群れの中に居場所を見つけられない、生きることの意味も、目的も持てない子ども達、若者達が増えている。そういう時代が到来した。
 そういう子ども達、若者達に、生きることの意味、生きることの目的、生きることの喜びをどうやって伝えるか。ぼくの人生の最終テーマである。
 もう、小さな農業に依拠した、みんなが等しく貧しい時代に戻ることはできない。とすれば、ぼく達は意識的に、生きることの意味を子ども達、若者達に伝える努力をしなければならないのではないか。
何を伝えればよいか。
自分の経験から考えることは、小さなものを愛する好奇心、人の心の痛みに想いを寄せる想像力。この二つが、ぼくの場合は生きることの意味の核心。
雀の声が可愛い、イヌノフグリの紫が美しいと感じられる感性を持つことができれば、どんな苦境に置かれても人は人生に喜びを見出せる。人様の心の痛みに自分を重ねることができれば、どんな群れの中にでも、どんな孤独の淵にでも自分の居場所が見つかる。
 どうやって伝えるか。
 D・W・ウィニコットさんはこんなことを言っているそうだ。「たとえば、おっぱいの根本の役割は、授乳にあるのではなく、子どもに安心をもたらすことにある」。痛く胸に響く。
人間とは信頼できるもの、そう子ども達が思える経験をたくさん重ねることが、子ども達の心の闇を埋める唯一の方法だと思う。そのために、子ども達、若者達の話を、心をこめて聴こう。彼らの哀しみを共に哀しもう。この世に一人でも信じられる人がいれば、人は喜びを胸にして生きていくことができる。そのほかには何も要らない。
スポンサーサイト
Secre

たんぽぽ教育研究所のサイト

こちらをクリック!
たんぽぽ教育研究所

最新記事

カテゴリ

リンク

QRコード

QRコード