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カタクリの花


 カタクリの花を見たいと思う。
 土佐の里山では、カタクリはそれほどめずらしい植物ではない。ぼくの故郷の池川町あたりでは、比較的高い山の影地で普通に見ることができた植物である。けれどなぜか、美しい赤紫の花の実物を見た記憶がぼくにはない。
 子どもの頃、近所の酒屋へ量り売りの味噌を買いに行くのがぼくの役目だった。泥棒も万引きもない平和な田舎町で、店先に人がいないことの方が多い。「ちょうだい」という声をかけるのが、あの頃、子どもが店へものを買いに入る時の「ごめんください」に当たる言葉で、大声で何回かそう呼ぶと、店の奥からやおら、おんちゃんかおばさんが出て来る。時には樽屋をやっていたおじいさんが出て来ることもあった。
 あの頃は味噌や醤油、食用油といったものはなぜか酒屋が扱っていた。おんちゃんが味噌の入った大きな桶の蓋を取ると、ぷーんと味噌のいい匂いがした。持参した皿に味噌を盛って、秤にかける。買う量はいつも百もんめ。帰り道でほこりがかからないように、ちり紙を一枚かぶせてくれる。
 小学生の時から定時制高校を途中で止めて、故郷を出て働きに出る年まで、ぼくはその酒屋へ味噌や醤油、油を買いに通った。大晦日には配達のアルバイトもさせてもらった懐かしい店である。
 その酒屋の店先には、滅多に買うことはないが円筒形の紙袋に入った片栗粉も並んでいた。片栗粉という名は付いているが、もちろんジャガイモの澱粉を原料として作られているものである。
 その片栗粉を少量どんぶりに取って砂糖を加え、粉の固まりがないようによくほぐし、熱湯を注ぎながらかき混ぜると、あら不思議、白い粉は見る見るうちに半透明のゼリーとなる。貧しい我が家の、これはたまにしか食べられないかなり上等のおやつであった。
 ぼくの山畑の傍にある小屋の裏手はすぐ急な山で、桧を主とした植林がずっと山の上まで続いている。小屋を建てる平らな土地を作るために山すその一部が削り取られ、そこにできた日陰になった山の岸にカタクリが自生している。みずみずしい艶のある葉が美しい。
 この谷もカタクリに適している土地のようで、山畑に巡り着くまでの山道の脇の木陰のそこここでその姿を見ることができる。
 ぼくは子どもの頃から、その草の姿の美しさもさることながら、その根元に蓄えられているという良質の澱粉、本物のカタクリ粉に関心があって、いつかあの下を掘ってみたいと思っていたので、カタクリにはゆきずりの草以上の愛着があった。
 今はさらにその美しい花を見たいという気持ちも加わったため、いつも畑に至る道路ぶちの林の中の群生や、小屋裏の岸の数株のカタクリに注意している。
 ところが、緑の葉は毎年美しく萌え出て茂るのに、なぜか花にお目にかかったことがない。花の時期をぼくが見逃しているかも知れないが、これだけ興味を持っているのだから、どうもそうは思えない。
 花が咲くには何か特別の条件が整うことが必要なのだろうか。移植の時期はいつがよいのか知らないが、思い切って今年は日向へ出してみようかとも考えている。
 山小屋の周りにカタクリのお花畑ができたらどんなにいいだろう。しかも、いざという時はその根を食べることができる。葉もおひたしにして食べられるそうだ。
 絵や写真で見るカタクリの花は、なぜか太陽の方ではなく地面の方を向き、花びらを反り返らせている。野にあって美し過ぎることを恥じているカタクリの花を見たいと思う。

 後日談。
 ぼくがこの文章を書いた頃、母に教えられてカタクリだと固く信じていた植物は、実はカタクリではなかった。山中二男先生の「土佐の植物誌」(高知新聞社)によればカタクリとは別属のウバユリ。ただ、その球根はカタクリと同じように食用になるそうだ。だから、ぼくの母の故郷などでは、この植物をカタクリと呼んでいたのだろう。美しい花の咲く本物のカタクリは、もっと標高の高い、もっと人里離れた山奥に人知れず咲く恥じらいの花のようだ。
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