06
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
22
23
24
25
26
27
29
30
   

おのればえ

おのればえ


 いよいよ畑中毒になってしまったなあ。ヤブカやブト(ブヨの方言名)、追っても追ってもしつこくつきまとうアブもなんのその、雨が降ろうが火が降ろうが、汗と泥にまみれようが、一向に苦にならない。
 週末が近づくとそわそわする。明後日は山へ行ける。明日はどこの草を刈って、どこを耕して、何の種を蒔くか、そんなことばかり考えてひとりにやにやしている。休日は仕事が入らない限り、早朝、起き抜けで敏さんと一緒に山へ出かける。
 楢の木の小道に、今年は白い山百合が咲いた。楢のどんぐりもたくさん芽生えた。楢の木の後継ぎを増やしたいので、小さな芽立ちの周辺の草をそっと刈る。大きく育つには何十年もかかるだろうし、その時ぼくは土に帰っているのだから知る由もないが、この節くれだった白い木の幹や、春の淡い新緑の色、秋の黄葉、落ち葉や枯れ枝の恵みを愛する誰かが、この道を歩かないとも限るまい。ドングリは野ネズミが喜ぶだろう。
 小道を登りきると、何はともあれ畑の様子を見て回る。カボチャの雌花は咲いてないかな。草むらの中にごろんと太いキュウリが転びよったらええけんど。ひょっと枝豆がふくらんじょらんろうか。まあ、期待が満たされることはあまりないが、それでもいい。
 ウグイスの声が次第に遠のくと、ホオジロやヤマガラ、油蝉、ツクツクボーシ、ヤマのオーケストラの主役が季節を追って変わる。山は音で満ちているが、この喧騒は人工の音で疲れた五感を癒す不思議な静寂をくれる。
 野良着に着替える。敏さんとコーヒーを飲んで、パンを焼いて、卵をゆでて腹ごしらえをしながら、山はいいね、山はいいね、を繰り返し、さて、仕事にとりかかる。
 今年の夏作は期待した「異変」がなく、タイモがそこそこできただけで、ナスもキュウリもシシトウもだめだった。インゲンもササゲも、夏に強いモロヘイヤさえ今ひとつ。伸びる草に、草刈りは相変わらず追い付かず、野菜は例によって草の海に没し、「おばあちゃんの胡麻」も、今年はかわいそうに草の下で小さな花を咲かせることになってしまった。
 人間が作り上げた作物は野生にはかなわない。耕さず、草を抜かず、肥料の大量投入をしないで育てるのは難しい。自然農法への道ははるかに遠い。
 だが、希望はある。頼もしいのは「おのればえ」だ。夏の葉物野菜の主力であるツルムラサキは自然発芽してくれることがわかった。黒く実が熟れるまで畑に放置しておけば、自然に落ちた実が翌年の春、槍の穂先のような鮮やかな緑の双葉を出す。わざわざ種を取って保存して蒔く手間がはぶけ、とても丈夫な苗が育つ。
 青紫蘇は、実が入ってから刈り取った枝を、畑のあちこちに横たえておく。これはほとんど野生のままのようで、虫も病気もなく、丈夫なことこのうえない。こんなものにまで農薬を使わなければならないこの国の流通と消費は完全に病んでいる。
 畑に埋めた生ゴミからは、カボチャが毎年何本か芽を出す。草むらに勝手に蔓を伸ばし、知らぬ間に二つ、三つは実を結んでくれる。
 タイモやジャガイモは、畑に取り残したのが思いがけない所で芽を出し、少し土を寄せてやれば、たくましく育つ。
 我が家のタイモは、土と生命を守る会で購入したもので、美味しくて丈夫なのでそれをずっと種芋にして栽培してきた。ところが昨年、大事な種芋を畑に行く途中で紛失した。時々やることだが、車のトランクに載せたまま悠々と発車してしまった。これでは山に行き着くまで持つ訳がない。
 仕方なく昨年は種屋で「メアカ」を購入して植えた。ところが、畑の中に残っていたイモが二株、三株小さな芽を吹き、それで今年の種イモは見事に間に合った。ものの本で調べると、「土垂れ」という種類らしい。雨の多い今年はタイモにとって幸運の年だ。さあ、もうすぐ芋煮の季節だ。
 親の庇護も、家族親族の縁も薄い、思えばぼくも貧しいおのればえだが、自分の選んだ野っ原に自由に根をおろせた。あっちこっちに血よりも濃い水が湧いていた。その水が、少し性根は曲がったけれど、曲がりなりにぼくを育ててくれたみたい。
スポンサーサイト
Secre

たんぽぽ教育研究所のサイト

こちらをクリック!
たんぽぽ教育研究所

最新記事

カテゴリ

リンク

QRコード

QRコード