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土佐の教育改革・その敗北と曙光

開かれた学校づくり全国交流集会in東京 09.9.26 70分+質疑10分
 <土佐の教育改革・その敗北と曙光>

子ども達が、今この瞬間に喜びや楽しさを感じられているか、社会全体で子ども達の将来の幸せが真剣に考えられているか、そういう意味で、教育が大変困難な時代に、教育の改善に向けて、真摯なお取り組みをいただいている皆様に感謝
そういう皆様の集りの場で、私のやって来たこと、やろうとしたことの総括の機会をいただいたことに感謝
特に、東京大学の浦野東洋一先生には、永年に渡って土佐の教育改革を暖かく見守り、ご支援をいただいたことに感謝

今日は、
① 土佐の教育改革とはどういうものか、
② それはなぜ、うまくいかなかったか、
③ それを踏まえて、どうすればこの国の教育は、子ども達の現在及び将来の幸せに結び付くものになるのか、
およそ、そんなことをお話できればと思う
私流の総括を通じて、今後、この国の教育を、本当に子ども達を大切にするものに変えて行くために、皆様と連帯する「よすが」が見つかれば、とても嬉しい

①土佐の教育改革とはどういうものか
・改革の理念――子ども達が主人公・教育の場では、子ども達が主人公である事は当たり前のようで、実は全然当たり前ではない・子ども達は被支配者・その意味で革命的な理念

・改革の方法論――開かれた学校づくり、授業評価を中心とした授業改善、教育を支える県民運動の構築、およそこの三つ・さらに、行政・学校・地域を結ぶコーディネート活動をする専任教員「地域教育指主事」を全ての市町村に配置・こうした方法論の構築には私は関与していないが、教育行政や教員だけでなく、子ども達、地域住民や保護者、県民を巻き込んで、学校経営の改善、授業の改善、社会の教育力の向上を進めようという、すぐれて民主的な、これも革命的と言ってよい考え方

このように、土佐の教育改革は、子ども達の視点に立つ、市民の参加と共同によって事を進める、といった点で、非常にリベラルな、理想主義的とも言える異色の教育改革だった
ここから先の取り組みは、その理念を実現したいと心底思った大崎のオリジナルである

・教育行政の自己改革――このすぐれた方法論が現場で十分に理解されてないのはなぜか現場と行政の信頼関係に大きな壁がある・その回復が急務・そのため採用・登用・異動など人事の透明性の確立が必要・教育行政が抱えている因襲の払拭・全国どこにもある大分県的な体質(人事の不透明)の払拭が必要・圧力や誘惑は無数にあり極めて困難な課題

・教育政策の体系化――ある日気づいた・同じ趣旨の質問に対する議会答弁の背骨となる考え方が少しずつずれている・教育をよくするためのアイデアはたくさん提案され、一部は成功もしてきたが、その背骨となる「思想・考え方」は意外にも全く整理されていない・教育行政の中枢にそういう意識が存在しない・教育の場を子ども達にとって楽しいもの、喜ばしいものに変えて行くためには、例えば学力対策のアイデアよりも、その背景にある「思想・考え方」を確立することの方が大切ではないか・個別の教育課題に対する問題対処型の対策をたくさん見てきて、私はそう考えた

②土佐の教育改革は、なぜうまくいかなかったか
こうした改革の方向性は、教育の本質に迫るものをとらえていると思うが、突然変異的な浸透や成功はあっても、教育界全体のものにはならなかった・その理由を二つの側面から見てみたい

教育制度の枠の中の問題
・教育行政に関しては、理論的指導力や政策形成力がきわめて弱い
・教育現場に関しては、あれもこれもやらされて飽和状態・当初は行政から現場への伝え方が悪いと考えていたが、それだけでなく、現場はヒトもカネも、教育政策を実現することができる条件を、もともと与えられていない・だから突然変異的な成功はあっても、それは偶然の産物でモデルにならない・現場の英雄的な努力に頼る改革ではダメ
・教育行政と現場の信頼関係の不存在・これは双方に問題・個人的な努力では修復不可能
・その結果、行き当たりばったり・責任者不在の教育行政が漫然と継続されている

教育制度の枠の外の問題
・21世紀という時代に対する認識の欠如・そこに由来する教育観の分裂・21世紀は経済の枠組みやコミュニティ、既成のモラルや価値観の崩壊の時代・そういう認識が共有できれば、そういう時代を生き抜くために必要な力とは何かが明確になり、不毛な学力論争などしなくて済む・共通する教育目標の設定が可能になる・しかし、認識の共有はできなかった・それを抜きにした教育改革は虚構に過ぎない
・崩壊の時代の結果としての教育環境全体の悪化・環境破壊は遊び場を奪う・経済の破綻は家庭の教育力の崩壊に・コミュニティやモラルの崩壊は地域社会の教育力を根こそぎに

③では、どうすれば教育はよい方向へ向かうか
教育制度の枠の内外の問題を点検してみると、おそらく全国共通・うまくいかなかった要因の重さを考えると、情況は絶望的・しかし、絶望の中に希望を見出すのが、私達の責任

教育制度の枠の中の問題をどうするか
・当初、私は、土佐の教育改革の二つの方法論が突破口を開く、と考えた
・授業の改善に取り組む事、子ども達によい授業を提供する事で、教育課題の解決を可能にすること以上に、教師が人間として成長する、そのことに大きな意味がある
・学校を開くことで、現場は教育の責任を、家庭や地域社会の分まで何もかも引き受けざるを得ない状態から解放される・家庭や地域の教育に対する関心も高まる
ちなみに、私は学校を開く、参加と共同の学校づくりということを、こう考えている
学校を開くとは、生徒・教職員・保護者・地域住民が協力して教育課題を解決するにはどうしたらよいかを考えるプロセスを確立すること・解決できなくてもよい・教育課題を親や教師個人の責任、学校の責任から解放することで、本質的な解決に至る展望が開かれやすい・学校が開かれることで閉鎖社会が持つ悪弊が緩和される・教育は社会全体の責任という考え方が育つ機会も訪れる・楽しく遊べる、楽しく学べる学校づくりへの道が開ける
・また、任期の終盤に至って、教育政策の体系的な整理、三つの経営改善ということに辿り着いた・それは、授業の改善つまり教科経営の改善、学校を開くつまり学校経営の改善に加えて、学級経営の改善、この三つの改善が教育政策を考える思想、背骨・学級経営の改善を加えたのは、不登校やイジメという深刻な教育課題に対処する対症療法はあっても、原則的な考え方、思想が無いことが直接の動機
・こう整理した時、ある発見をした・どの改善を追究していっても、同じ頂上に至る・授業の改善に取り組むと不登校がなくなる(泉野小の例)・学級経営を改善すると学力は向上する・これを私は、教育政策の体系化と呼ぶ
・教育行政の理論的指導力や政策形成力の弱さ、行政と現場の信頼関係の弱さといった問題は、こうした方向からの改善努力で克服できる

教育制度の枠の外の問題をどうするか
・21世紀という時代に対する認識の共有とか、教育環境全体の悪化とか、そういった問題は一市民、一教育公務員の手には負えないが、ここでも、私たちがどういう「考え方」に立つか、ということには大きな意味がある
・産業構造や経済の枠組みを改める、ひとりひとりの人間を大切にする方向に改める必要がある・人間を大切にしない、派遣社員のクビを切ることで成り立つ産業や経済は間違っている・工業製品を売るために国民の食糧安全保障を犠牲にし、平気で農業を潰すような国は遠からず滅亡する・私たちはもっと貧しくてよい
・不当な格差や差別を容認する社会では、子ども達は現在も将来も幸せになれない・もっと貧しくてよいから、みんなが等しく貧しくあるべき・そういう社会の方が、子ども達は生き生きと育つことができる・目標や生きることの意味を見つけやすい
・教育の責任は、家庭・学校・地域社会が等しく背負う・等しく背負うことで、各々が持つ弱さを補い合う・助け合って生きることが当たり前の社会が教育環境として理想
・こうしたことを誰が仕掛けて行くか、学校の責任ではないが、仕掛け人は学校しかない・仕掛ける方法は学校を開くことしかない・人間は助け合って生きる社会的動物なのに、助け合うコミュニティは経済成長政策のもとで壊滅状態・学校を核にした新たなコミュニティが構想できないか・究極の開かれた学校(奈路小の例)ができれば、未来は暗くない・教育制度の枠の外の問題をどうするかを考える時、私はこういう考え方に立っている

④土佐の教育改革の総括をする中で、私はいくつかの思想・考え方を持つに至った・最後にそれをまとめておきたい
(1)教育はアイデアではない、原理原則が大事(当時の宮地高知県教育委員長の言葉)
  アイデアは巷に溢れている・しかしアイデアで問題は解決しない・問題を解決に導くのは原理原則・しかし原理原則が語られることは少ない・それこそ今必要ではないか
(2)教育課題の解決は、対症療法の積み重ねでは不可能、根本的、全面的な教育政策として考えられるべき・(学力と不登校の相関の実例)
(3)繰り返しになるが、教育は社会全体で責任を負うべきもの・教育制度の枠の中だけで教育課題の解決はできない・社会の教育力の衰退が教育課題の山積、解決困難の原因・不当な格差や差別を容認しない社会でこそ、子ども達は健やかに育ち、社会を支える大人になれる・この国全体が、教育の責任を家庭・学校・教育制度に矮小化している
(4)では、社会の教育力の再生はどうしたら可能か・社会の実態はコミュニティ・そこに住んでいる人々の心のつながり・コミュニティの再生が社会の教育力を再生するカギ

今日、お話できることはここまで・やや場違いなお話になったことと思う・私はいつも場違いな存在だった
昔、四国山脈の山懐の谷間の貧しい農村に寡黙な少年がいた・彼は、オレはいつか詩人になる、オレはいつか革命家になる、オレはヒトとは違うんだ、と自分に言い聞かせて、孤独と劣等感に耐えていた・彼は老いて三流の詩人となり、今、市民の小さな意思を繋ぎ合わせるゆるやかなネットワークづくり、それによって社会をもう少し子ども達を大切にするものに変える、そういう静かな革命に情熱を燃やしている
人々の心のつながりの脈打つコミュニティは、工業製品を海外へ売るため、という意図的な産業構造の改変によって滅亡した・だから産業構造は、私たちがもう少し貧しくてもよいと意図すれば、再度の改変ができ、コミュニティの回復は可能・そのための方法論もある・お聞きになりたい方は高知へ・たんぽぽ教育研究所へいらっしゃい、歓迎します
 皆様との、一期一会に感謝!!

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