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再び、寄りかからず

再び、寄りかからず
  < 茨木のり子詩集「寄りかからず」(筑摩書房) >


 ジャガイモの花が咲いた。追肥も土寄せも一度だけ、十分な世話をしてやれなかったけれど、けなげに小さな花をひらいてくれた。イモはできなくてもいいよ。これでぼくは満足だよ。ツルアリインゲンも、ぼくがおいさがし仕事でたてた竹笹に懸命にツルをからませている。佐藤記者の形見のサトイモも、ようやく芽を伸ばし始めた。今年も夏草の海になるはずだった山畑は、援農隊のみなさんのおかげできれいに散髪をしていただいた。いつもいつも、ありがとうこざいます。
 詩人の茨木のり子さんが亡くなった。生前最後の詩集「寄りかからず」がベストセラーになった頃、高知新聞のコラムに一度、やや批判的な雰囲気でこの詩人のことを書いたことがずっと気に懸かっている。
 <詩集はあまり売れないものだが、近ごろ、茨木のり子さんの詩集「寄りかからず」が評判になっている。新聞で表題作を拝見して、あれあれ、これは演歌だよ、と思った。大詩人をコケにしているのではない。時代に流されない精神が注目されるのはいいことだ。ただ、ぼくは今更この詩集を読もうとは思わない。時代や権力におもねらないということなら、高知には植田馨先生も西岡寿美子さんもいる。庶民に依拠する無名の詩人達は、言わずとも、寄りかからずに生きている。>
 茨木さんは、「大男のための子守唄」など、民衆の視座から魅力的な詩を書き続けた、戦後日本を代表する立派な詩人である。しかし、ぼくの胸の中には、地方に生きる無名の詩人のひがみ根性が抜きがたく存在する。そのひがみが、植田先生や西岡さんや片岡文雄さんや片岡千歳さんはこちら側の人で、どんな詩を書こうとも、茨木さんや谷川俊太郎や長田弘は向こう側の人という仕分けをしてしまうのである。
 三月二十一日付け朝日新聞「惜別」の欄に、白石明彦さんが茨木さんのことを書いておられる。茨木さんは高齢で一人暮らしをしていて、誰にも看取られずに死んでいった。死因は、くも膜下出血。脳に動脈瘤があったのだそうだ。生前、「高性能の時限爆弾なのよ」と軽やかに話されていたそうだ。同病相憐れむ。寄りかからず、の生き方を貫かれた潔さ。ぼくの心にいささかの感慨が湧く。
 さて、ぼくはどうか。ぼくは死を恐れ、孤独を恐れる愚かな弱い人間。その上に、心を病む家族三人を抱えて、死の恐怖よりももっと切実な、死ぬに死ねない情況にも置かれている。権力におもねることも、権威に寄りかかることも、我が人生になかったとは言えない。よろめきながら生き、潔からぬ死を遂げることになるだろう。
ぼくに限らず、こちら側にいる人々の多くは、似たり寄ったりの人生を、とぼとぼと歩むのだろう。ぼくは、その人々をいとおしいと思う。その人々の詩を書き続けたいと思う。それがぼく流の、寄りかからず。孤高不屈の詩人のご冥福を心から祈る。 (2006.6)

(注)茨木のり子さんの詩集の題名には人偏の付いた「寄」が使ってありますが、ぼくのパソコンでは残念ながら出せません。ご了承ください。
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