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野いちごの場所で

<野いちごの場所で>
 ぼくのバースデーに野の花のケーキを届けてくださった田中さんが、今度は野いちごとツメクサの白い花のアレンジメントを作って持って来てくださった。いつもながらお見事なセンス、手わざ。今日は野いちごの白い花の放つ甘い薫りが部屋に満ちている。
 「季刊高知」という小さなタウン誌に「野いちごの場所で」というエッセイを連載させてもらっている。ぼくの大変気に入っているこのタイトルは、盗作で刑事責任を問われることにはならないと思うが、実は二箇所から無断拝借して成り立っている。
 一つは、高知市高須でクッキーを作っておられる作業所のお名前、「野いちごの場所」。子どもがお世話になっているカウンセラーの先生のところにお伺いする時、時々このクッキーを買い求めて持参する。自分で食べたことはないが、工夫をこらしたつくり、こだわりの素材選び、見た目も美しい。たぶん、お味も絶品だと思う。
 もう一つは、もうかれこれ十年ほど昔、朝日新聞に連載されていた落合恵子さんのエッセイのタイトル、「午後の居場所で」。いつもしみじみと読ませていただいた。最近知ったことだが、落合さんはぼくと同い年らしい。ぼくの永年のあこがれの人のお一人である。
 「季刊高知」の野並編集長から誌面をいただけるという有り難いお話を頂戴した時、タイトルはこの二つから着想して、躊躇なく「野いちごの場所で」とした。あれからずいぶん長い間書かせていただいている。無名三流の作家の、唯一の作品発表の場。
 ところで、最近、少し気になることがある。若い頃は下手なりに自分の書くものに自信があった。どうも近頃、文章が下手になったと思う。ぼくは、人生はそこそこ主義、いい加減主義で生きてきたが、文章だけは、その思想、論理構成、その言葉の選び方、すべてに完璧であったかどうかは別にして、完璧主義だった。
 ところがどうも、近頃、書いた先から、自分で破綻が目に付くようになった。歳かなー、とも思う。書くことに淡白になったのかなー、とも思う。頭がわるくなったのかなー、とも。
 しかし、ぼくの思想、ぼくの哲学はまだ間違いなく進化している。カウンセラーとしても、少しずつではあるが進歩している。そう感じる。
 野いちごの白い花には、5月になると赤い実がなる。貧しい山の子ども達にとって何より嬉しい甘い宝石。もうしばらく、野いちごを口に含んだ時のような感動を伝える文章を書いていきたい。まだ書ける、書かいでか、という気概はまだあるのですが。
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