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不思議な幸せ

野いちごの場所で・32・不思議な幸せ              大 崎 博 澄

 ぼくの小さな詩集「人生の扉は一つじゃない」に、「道の歩き方」という珍妙なタイトルの詩がある。こんな詩。

ギリヤーク人の住んでいる北の荒野に
文明は立派な道路を切り開いた
ところが彼らは一向にそこを歩かない
すぐかたわらに歩きやすい道路があっても
彼らは難渋するぬかるんだ荒れ野を進む
頑(かたく)なに文明を拒絶しているのではない
道というものの概念が違うのだ
彼らの道は、ただ通り過ぎるためだけではない道
彼らの道は、ただ歩くため以外の意味を持つ道
そして、私たちの想像力の外にあるその道こそが
私たちが失くしてしまった本当の道かもしれない
とすればキミは
道をはずれたことを嘆くにはあたらないのだよ
はずれたからこそ見えてくる道があり
そこにこそ
キミの行くべき本当の道があるのだよ

 これは、村上春樹の小説「1Q84」に出て来るエピソードからインスピレーションを得て書いた。ギリヤークはシベリアの北方、厳寒の地域に住んでいる少数民族。文明が拓いた立派な道路がすぐそばにあっても、そこを歩かないという彼らの生き方に、なぜかぼくは強く心惹かれる。
 ぼくは人生の敗残者だ。取り返しのつかない失敗を重ね、我が子を深く傷付けた。数多くの人様も傷付けて来た。オレは馬鹿だなー、と先に立たぬ後悔をしている。
 ぼくは、古代中国の、今風に言うと反体制の思想家、老子が好きだ。彼の思想の集大成とされている著書「老子」は、近現代の哲学者が書く悪文の見本のような哲学書群に比べるととても文学的でよほどやさしい。「老子」の哲学は、人は自然の摂理に従ってひっそり生きるのが一番だよ、ということに尽きる。簡潔で分かりやすい。共感する。
 ただ、大昔の著作物、おそらく老子ひとりが筆者ではなく、いろいろな人の手が加わったのだろう。先鋭的な反権力、絶対平和の思想に加え、時々、オレは馬鹿だなー、というような慨嘆、肉声が混じる。そこが面白い。人間味を感じる。
自然の摂理に従う、ということは、老子はアンチ文明論者ということになる。そこにもぼくは共感する。文明は人類に幸福よりは災厄の方を多くもたらした。
 さて、ギリヤークの人達は単純なアンチ文明とも少し違う、そもそも私達と幸せの物差しが少し違う道を歩いているのではないかと思う。
 ぼくは生きることが下手で、人生で失敗ばかりして来たのに、今、不思議な幸せを生きている。この不思議な幸せの物差しが、ギリヤークの人々の歩く道に近いかもしれない。
 そして、この幸せの物差しは、人生のピンチに立っている人には、もしかしたら役に立つかもしれない。この、不思議な幸せの物差しとは、どんな生き方か、言葉で伝え切ることは難しいけれど、少しだけ書いてみようか。
 ありのまま、自分の弱さや恥ずかしいところを隠さずに生きる。そうすると肩がこらない。
身の周りの、ありふれた小さなものを愛する。そうすると孤独に耐えられる。
 自分の心の痛みを通して、人の心の痛みに思いを重ねる。そうすると新しい友達に会える。
 人を分け隔てしない。そうすると人にやさしくなれる。人にやさしくなれると、人からもやさしさを頂くことができる。
 自分の価値観、世間の常識を人に押し付けない。そうすると世界の見え方が変わる。
 いつも、小さな弱い人を守るという立場に立つ。すべてを譲るが、これだけは譲らない。
 ぼくは“たんぽぽ”で、この物差しを使って困っている人を励ますことに精魂を込めている。そして、困っている人を助けることほど幸せなことは無い、ということを学んだ。
 ぼくは、我が子の苦しみを救ってやれないという大きな不幸を背負って、今、ぬかるんだ荒野を歩いているが、多くの人の支えや励ましという不思議な幸せを頂いて、からくも人生のバランスをとることができている。
 人並みの道をはずれたら人生は終り、ではない。むしろ、はずれた時から、本当の自分のオリジナルの人生が始まる。そこにこそ、ぼくが、あなたが生きることの意味がある。そう考えてみてもよくはないだろうか。
 余談。「詩集・人生の扉は一つじゃない」は奇跡的によく売れた。一昨年末に出版した渾身のエッセイ集「生きることの意味」は一向に売れない。しかし、まあ、いいか。ぼくの詩的精神、精魂こめたぼくの哲学がそう簡単に分かってたまるか。売れてたまるか。
こういう考え方はひねくれているのかなー。
 人生はそもそも四面楚歌、孤立無援、それでも、なんとか自分で希望をひねり出して生きることが、本当の生きることの意味ではないだろうか。
 今、あなたが、出口の無いトンネルの中をさ迷っているとすれば、それこそまさに、生きるに値する人生を生きているということではないだろうか。それこそが究極の不思議な幸せではないだろうか。
 人生には普通の幸せのほかに、もうひとつ、不思議な幸せが確実に存在することを忘れないでいたい。その不思議な幸せの芽は、どこかよそにではなく、自分自身の中にあるということを信じていたい。
 不思議な幸せの実例に出逢いたい時は、“たんぽぽ”をお訪ねください。待っています。
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