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下田つきゆびの脳内観察日記2016年12月

下田つきゆびの脳内観察日記
(30ヶ月目)2016年12月
正論

「働かなきゃ生きていけないよ?仕事をしないでこの先どうするの?親が死んだあとどうするの?」
「職歴も無いまま、~~歳越えたら仕事なんてないよ?」
「辛くてもさ、学校へ行っとかないと後々大変だよ?」
うん、正論。どうしようもないほどに正論。
でもさ、子どもを傷つける正論なんて捨てちまえよ。
子どもの尊厳を、精神を命を削るような正論が必要ですか?子どもを追い詰めるための正論って必要ですか?
正論を捨てたってどうとでも生きていけるよ。正論なんて無くても笑えるよ、泣けるよ。正論なんて無くても真面目に生きて、真剣に人のために怒ることだって出来るよ。

そいでさ、一度でも正論を投げちゃうとさ、結局は自分で自分の正論を拾わなきゃいけない日がやってくるよ。
それは僕から見たら辛くて苦しくてとっても悲しいよ。

視点を変えて子ども目線から
「親なのに~~~してくれなかった。」
「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」
うん、分かるよその気持ち。その感覚。
でもさ、その思いは自分を幸せにするのかい?自分にとって無くてはならない大事なものなのかい?
自分を幸せにするものなら何も問題はないよ。自分にとって無視して生きることが出来ないのならそれはしょうがないよね。
でもさ、その思いを言葉にしちゃったら、結局は自分で自分の言葉を拾わなきゃいけない日がやってくるよ。
それは僕から見たら辛くて苦しくてとっても悲しいよ。


心の痛覚

こころの痛覚がおかしい。痛みに鈍感すぎたり敏感すぎたり。
人の痛みに勝手に便乗してみたり。痛みと素直に向き合えないことが最近の悩み。
痛みは悪く無いんだよな。そうなんだよな。痛みは避けられない。覚悟を決めて痛みと向き合う。覚悟を決めれば選択が出来る。耐えるのか、助けを求めるのか、心に麻酔をかけるのか、痛みから学びを得るのか。
痛みは学びを生む。痛みを大切にしたい。痛みを知りたい。自分と自分の大切な人のためにきちんと丁寧に痛みを取り扱いたいだけなんだけど痛みの取り扱い方はとっても難しい。
超絶に鈍感なときが特に厄介で、傷付けられてるということに長期に渡って気付かないものだから後々傷だらけの自分に気付いたときにはほぼ手遅れ。
傷付けられた相手に抗議をしても伝わらなかったり、そもそも時間が経ちすぎて相手と連絡が取れなくなっていたり。
そうなるともう、関係するもの全てを断ち切りたくなる。捨ててしまいたくなる。
というか、今までの人生においてそういうパターンを幾度か繰り返してきた。
そもそも自分の感覚に気づくことが苦手だから自身の感覚を相手にきちんと伝えることはとても難しいことだし、面倒くさかったりもするから伝える気にすらならなかったりもする。でも、それでいいとも思う。それでも寄り添ってくれる人はいるし。
相手の気持ちや考えを100%は汲み取れない。無理に汲み取ろうとしてお互いに消耗しあうことだってある。
とはいいつつも、やっぱり人は人に傷付けられ、人は人に癒やされるのだと思うし思いたいと考える自分もいる。だから僕は自分が大切にしていることを丁寧に相手に伝えること、それを大切に受け取ってもらえること。そんな人として当たり前なことを意識して丁寧に取り扱うようにしている。
その逆もまた然り。相手の話を真剣に聴いて受け止める。話じゃなくてもいい。態度や何気ない仕草を丁寧に受け取る。それは本当に特別なこと。
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」
何気ない挨拶に心を込める。何気ない挨拶に心を留める。丁寧なやり取りを意識する。
そういう毎日を淡々と重ねる。そういう毎日が自分を押し上げてくれる。そういう毎日が素敵な縁を生む。相手だけじゃない。自分に対しても丁寧に。自分の思いを自分で丁寧に受け止める、吐き出す、丁寧に尊重する。
自分で自分の思いや考えが分からなくても丁寧に認める。分からないものは分からないと素直に認める。
淡々と。そして粛々と。それでいて丁寧に。そういう毎日の積み重ねが未来の自分を形作る。

*「つきゆび倶楽部」12月号より筆者の許可を得て転載します。(おおさき)
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