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マツユキ草の季節

野いちごの場所で・12  <マツユキ草の季節>


 秋も深まって、すっかり葉っぱも枯れて跡形もなくなった頃、ふと思い付いてプランターを掘り返してみた。失望するのが恐いので、期待しないでいたのだが、ピーナツくらいの小さな球根が手のひら一杯出て来た。もう一回咲かせる、という自信は全然なかったが、芽くらいは出るだろうと思って、大きめの鉢に新しい土を入れ、丸く輪を描くように小さな球根を埋めた。
 毎日貧乏ぜわしく、世話は未知さんに任せっぱなし、鉢をのぞいてみることも滅多になかったが、年の暮れも近い頃、ようやく芽が出た。小さな青い芽は、すくすく成長するでもなく、じーっとしたままで、年を越した。
 ある日気が付いた。大小不揃いな大きさの芽の中に、葉っぱが二枚に増えたものがある。南国土佐も、今年の冬は格別に寒い。葉っぱが増えても、花が咲くことは期待してなかった。芽を出してくれただけで十分だよ。君たちはよくがんばったよ。
 ところが、一月の中旬、寒さがピークを迎えた頃、一番大きな葉っぱのもとに、小さな小さな蕾が出て来た。それから、一つ、二つ、三つ、四つ、白い小さな花が、恥ずかしゅうてたまらん、という感じでうつむいて咲いた。緑の手を持つ未知さんの魔法。
 二代目の球根を咲かせるのは難しいので、まさか、と思うちょったのに、我が家のベランダで、今年もスノードロップが咲いたよ。
 
もう六、七年前のこと、ある本屋で未知さんと時間待ちの立ち読みをしていて、浦沢直樹のコミックス「モンスター」全巻が置いてあるのを偶然見つけた。未知さんと、欲しいね、でもお金がね、というような会話を交わしたと思う。
ぼくが「モンスター」を読むのは、病院の待合室などでたまに掲載されている雑誌を手に取る時くらいだったのだが、退職して時間ができたら読みたい作品の一つであった。
読み物に関しては趣味の合う父と娘は、結局割り勘で買うことにした。我が家の本棚に、「モンスター」全十八巻が並んだ。今、「モンスター」は、たんぽぽ教育研究所の本棚の一角に移されている。もちろん未知さんは全部読んでいる。ぼくは、退職しても一向に暇にならず、気になる本の一つだけれど、まだ、読んでない。
今朝、未知さんと、ある相談ケースについて話し合っていた時、彼女がひょいと「モンスター」の最終巻を抜き出して来てぼくに見せながらこう言った。
私達は、子ども達に豊かな感情を養う教育をすることに心を砕いてきただろうか。
子ども達が大人になって大切なことは何か。仕事?人付き合い?違う。家に帰って飲む一本の缶ビールをうまいと思うこと。そういう小さな喜びや哀しみを感じる心を持つこと。
「モンスター」の最終巻にそういう場面が出て来るのだそうだ。
家に帰って飲む一本の缶ビールをうまいと思うこと、か。ああ、日々の忙しさに追われて、ぼくはそれさえ忘れていたかも知れないねー。ちょっと感動してしまったねー。子どもはこうして、いつの間にか親を超えて行くのだねー。
ぼくはいつも、自分の講演をこういう言葉で締めくくる。不登校、イジメ、学級崩壊、学力問題、解決が困難な教育課題を解決するために必要なこと、子育てや教育で一番大切なことは、私が、あなたが、自分自身の人生を如何に心豊かに生きるかということ。
 繰り返しそう言いながら、ぼくはそれができていなかったみたい。このところ飲み続けだけど、今夜は特別だ。うまい缶ビールを一本飲もう。

 桜馬場の娘の家に住むようになって、枡形方面に歩いて出る時は江の口川にかかる小さな橋、円満橋を渡る。渡る時は必ず川面を見る。汚れた水だけれど、大きな鯉や亀がいる。寒い季節には、大黒先生が教えてくれたヒドリ鴨の群れもやって来る。ぼくは子どもの頃から、なんであれ、鳥や魚、生き物を見るのがとても好き。
潮の加減によるが、数百匹のボラの大群が遡上する姿もよく見かける。ボラというあまり人気の無い魚が、こんなに愛嬌のある顔立ちをしているとは知らなかったよ。近頃はすっかり顔なじみになって、大きな頭、大きな目、大きな丸い口を一杯に開けて、大崎さん、辛抱しいよー、とやさしい声をかけてくれる。本当の話だよ。
去年から、住まいのベランダに野鳥レストランを開店した。小松さんが育ててくれた鉢植えのクチナシがあまりに大きくなったので、思いついてベランダに出し、ダメもとでミカンを枝に刺してみた。まさか、と思ったが、すぐにメジロが来てくれるようになった。時々、大きなツグミもやって来る。
今年は、温州ミカンが不作で高いので、ぼくの畑で採れた甘夏を刺してみた。温州ミカンほど甘くはないが、お客様は文句を言わずに来てくださる。去年の春から我が家の住人になった子猫の十四郎が唸り声をあげているが、彼らは気にしない。
 ぼくの暮らしは経済的には豊かではない。貯金はほぼ無い。車は今乗っている中古の軽四が最終になりそう。靴もスーツもワイシャツも、この先買える見込みも無いが、必要もなさそう。今あるものを大事にすれば事は足る。昨年、清水へ講演に行った時、思いがけなく昔々のあこがれの人が来てくれて、趣味のいい上等のネクタイと靴下をくださった。ネクタイと靴下も、これで臨終まで間に合う。
 研究所には今日も明るい陽射しが溢れている。懸命に生きようとしている若者が訪ねてくれる。たくさんの緑と静かな音楽。仕事の予定もぎっしり。今年は前半に小西豊先生の本を作る。後半には、資金の工面はついてないが、ぼくの最後の詩集を作る予定。
先日、ぼくの講演を聴いてくださった方から長い温かいお便りをいただいた。そのお便りの中に、スノードロップのことを和名ではマツユキ草と言うと書いてあった。「マツユキ」は多分「松雪」ではなく、「待つ雪」だろうと思う。雪の舞う厳寒を待って咲く小さな花にふさわしい、いい名前。ぼくは寒がりだが、なぜかマツユキ草の咲く季節が一番好き。
小さなものを愛する好奇心、人の心の痛みに想いを寄せる想像力、真冬を暖かく、人生を心豊かに生きるのに必要なものはそれだけで十分だよ。
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