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名も無く貧しい詩人のつつましい食卓の話

野いちごの場所で・38・名も無く貧しい詩人のつつましい食卓の話

                                                       大 崎 博 澄

 高知新聞に月一回掲載される黒笹幾慈さんの「なんちゃって総合研究所」を愛読している。先日の「贅沢よりも居心地のよさ・サーファー文化取り込め」は黒ちゃんの豊かな教養に裏打ちされた「思想」が出ていて格別に面白かった。いわく、シンプルの先にある贅沢、貧乏だけれど貧乏くさくない生き方。納得。ぼくの貧乏くさいが融通無碍の台所仕事、究極の簡素な食卓は、もしかしたらそれに近いかもしれない。名も無く貧しい老詩人が営む台所、心を病む我が子と囲むつつましい食卓の話をしてみようか。
 晩年を迎えつつある日、ぼくは突然主夫になった。それから六年になるか、七年になるか、それとも八年になるか、もう忘れたなー。
 元来が臆病で気の小さい、この上なく弱い人間だけれど、そのゆえに、こういう運命の転変、突然襲ってくる人生の辛酸を受け容れることには子どもの時から慣れている。加えて、高校生の頃おふくろが数年間、寝たきりになり、極貧の家庭の台所を切り盛りした得難い経験がある。この経験は、十八歳で田舎から街に出て自炊生活をすることになった時にもおおいに役立った。この度もそう。つまりぼくは生涯、お金も料理の腕も無いままに、なんとか工夫して簡素な食卓を整えるように運命付けられているみたい。
 耳。何を隠そう、一年ほど前から、耳がほんの少し遠くなった。先日、思い切って近所の耳鼻科で診てもらったら、年齢相応の聞こえです、治療の対象にはなりません、とのこと。その耳で、子どもが語る今日一日の物語を懸命に聞きながら、二つの弁当箱を洗う。
 酒。洗いながら、愛用の小さなグラスに日本酒でも焼酎でもワインでも、ありあわせの酒を注ぐ。とるものもとりあえず一杯。すきっ腹で飲む酒が一番。
 酒、と言えば思い出す光景がある。五十年前の中村市。ぼくはまだ紅顔の美少年。その頃、やさしいおばあさんが経営する「まつば」という清潔な食堂でいつも夕食を食べていた。仕事帰りの土方のおんちゃん達が入って来る。「焼酎を一杯くりや」。「くりや」は幡多言葉で高知で言うと「くれや」。おんちゃん達は、かぼちゃの煮たのなどをつつきながら、グラスに盛り上がるように注がれた透明の液体をそろそろと飲む。これぞシンプルの先にある最高の贅沢。焼酎がまだ民衆の酒であった頃の話。
ぼくは先立つものが無いので、酒は値段が安くて、そこそこ飲めるものに限られる。日本酒なら白鶴の「まる」、焼酎なら行きつけのスーパーのオリジナル商品の麦焼酎、ウィスキーなら「ブラックニッカ」。ワインが楽しめるのは、北村さんが時々持参してくださるチリ産三リットル入りの珍品がある時だけ。真の酒飲みは酒をりぐらない。
 仕込み。台所仕事の手始めは、明日の二人分のお弁当の仕込み。仕込みと言っても、ぼくの作る弁当はシンプルの極み。お金と時間をかけないこと、野菜と動物性たんぱく質のバランスだけを考慮する。だから、仕込みは、明日の朝炒める野菜を洗って刻んでおくだけ。野菜の量だけはたっぷり。
 素材は季節によって多少変わるが、好物はしびれるほど辛いシシトウ、ほろ苦さが売りのゴーヤ。シシトウは生育環境のストレスで辛くなるという。シシトウにも生物としての本能、五分の魂があるのだ。だから辛いシシトウが好き。そのほかピーマンやインゲンなどの繰り返し。朝は刻んでおいた材料を醤油と鰹節でざっと炒めるだけ。美味しいよ。
 動物性たんぱく質は、塩鮭、塩サバ、タラコ、焼き豚、ウィンナー。サバは最近取れなくなって高くなったので食べられなくなりつつある。サバ好きのぼくはちょっと悲しい。
 弁当は一年中この組み合わせ。よく飽きないと思われるかも知れないが、ぼくも子どもも、この弁当でおおいに満ち足りている。年に一、二度、外の会議などでかなり上等のお弁当をいただくことがある。そのまずさに驚く。世の人はこんなまずいものを美味いと思って食べているのか。ほんの少し優越感にひたる。
 「お父さん定食」。我が家の食事は今、ダイエットモード。朝昼しっかり食べて夜は軽く、これが基本の思想。ぼくにしては手をかける朝食は「お父さん定食」と称する。
 一品は納豆。ネギを刻むだけ。二品は味噌汁。お碗二杯の水を小さな鍋に入れる。出し昆布一枚を鋏で四つに切って入れる。汁の実は、ミョーガを最上とする。そのほか、ゴボウ、豆腐、ワカメなど。ぼくの故郷のような貧しい山村では、味噌汁が主菜であった。あらゆるものが汁の実になった。ぼくのおふくろの昔話。深山幽谷に炭焼きに入った時、山小屋で炊く汁の実に困って、蕗の葉を摘んで入れたそう。さぞや苦かったろう。これは貧乏話ではなく、現地調達という究極の贅沢の話。三品は野菜。小松菜や大根の抜き菜の炒め物、ツルムラサキのおひたし、ニラタマなど。安くて栄養価の高いニラはぼくの頼もしい味方。四品は動物性たんぱく質。たまに肉類の塩焼きをする以外は、ハムかソーセージエッグ。
 お父さん定食はこの四品のみ。これも美味しいよ。その他に常備采として酢タマネギとジャコ。食後にはもちろん、四万十町のコーヒー店「淳」のコーヒーを淹れる。
 夕食。お父さん定食の仕込みが終ると、ようやく夕食の準備。その頃はもうぼくは酔っている。お酒は小さなグラスにおおむね三杯、一合五勺が目安だが、その日の子どもの状態、ぼくのストレスの度合いによって増減する。胸の痛みが沁み通る時は、ええい、知るか、これが飲まずにおらりょうか。いさぎよく酔いしれる。
 「野菜炒め」。最近の夕食の定番は、生食用に作った野菜サラダのオリーブオイル炒め。レタス、水菜、タマネギのスライス、シメジやマイタケ、人参の細切りなどを塩胡椒で炒めるだけ。冷たい野菜サラダが温野菜になり、体にもよく量もこなせる。これにコレステロールを下げるという触れ込みの豆乳ヨーグルトを添える。
 融通無碍。子どもが、ありがとう、美味しかったと言ってくれるとすべての苦労が報われる。食べたくない、食欲が無い、突然そう告げられる時はどうするか。詩人としての想像力が問われる時。貧しい台所の、数少ない選択肢の中で、脳味噌をフル回転させる。幸い、ぼくの想像力で、これまで、乗り越えられなかった危機は無かった。どうやらぼくは、詩人としてまだ枯れてないらしい。シンプルの先に、究極のぼくの詩がある。
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