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共に育む学校づくり(「学校運営」8月号)

特集・「共に育む学校をつくる」(学校運営8月号)
視点-1 子どもの要求、保護者の願い、教師の希望
  ―― 一人ひとりの子どもの幸せを考えることから出発する学校づくり ――

 
                               たんぽぽ教育研究所  大 崎 博 澄
 中学校時代を不登校で過ごしたお子さんを持つお母さんから電話をいただいた。
「やっぱり、しんどくて、行けなくなりました。火曜日から休んでいます。」
 先週、志望する高校に合格でき、元気に登校しました、という喜びの電話があったばかり。長く苦しいこれまでの道のりの中でようやく見えかけたトンネルの出口が、また見えなくなるかも知れない不安が、言葉の端から痛いほど伝わる。
「しんどくても少し背中を押してやるのがいいのか、安心してゆっくり休ませてやるのがいいのか、結果は分かりませんが、ぼくには登校できない子どもを無理に学校に行かせることはできません。精一杯、美味しいものを作ってあげてください。人生は長い。時間も、生きる道も、いくらでもあります。親子の信頼関係さえあれば、大丈夫ですよ。」
私にはそんな、根拠の無い励ましを送ることしかできなかった。
今年の春も、この国のあちこちで似たような光景が繰り広げられているだろう。
大雑把に言えば、この国の小中学生の一割以上が、学校に行けないか、学校に行くことがつらくてたまらない情況に置かれている。
由々しい問題である。様々な「不登校対策」も講じられている。しかし、少なくともこの十年、この国の不登校問題に顕著な改善は見られない。
おそらく全国に例が無いことだと思うが、私は二千年四月から二千八年三月まで八年間、不登校に苦しむ子を持つ親という立場を公にして、高知県の教育行政の責任者を勤めた。子ども達を健やかに育む教育環境づくりに、まなじりを決して取り組んだという自負はある。しかし、事態を改善することはできなかった。
退任後すぐ、何もできなかった償いの意味もこめ、現職時代八年間続けた教育相談を継続しようと、多くの市民の皆さんのご支援をいただいて、たんぽぽ教育研究所を開設した。不登校やイジメなどの教育相談、ひきこもりや精神症害の若者達の居場所づくり、教育の在り方に関する現職教員や市民の皆さんとの共同研究、出版活動などに取組んでいる。いずれも、子どもの要求、保護者の願い、教師の希望に、直接応える活動である。
この国の教育をめぐる厳しい環境が改善する兆しは見えないが、不登校の我が子を見守って二十年、教育や子育ての支援の仕事に携わって十年、ようやく見えて来た自分なりの展望はある。
それは、奇しくも編集部が今回の特集のテーマとされた「共に育む学校をつくる」という言葉と重なる。あるいは語順を変えて、「共に学校を育む」でもよい。この場合、「誰と」共に育むのか、「どのような方法で」育むのか、が大切なポイントとなる。そのことを、与えられた視点を念頭に置きながら考えてみたい。

二十一世紀という時代を生きる子ども達の不幸
 子ども達には誠に申し訳ないけれど、二十一世紀という時代の未来はバラ色ではない。東日本大震災による収束不可能に近い原発事故が起こったから言うのではない。
 二十世紀、私達は経済的に豊かな国づくりを目指して経済成長路線を選んだ。その結果、この国は驚異的な経済的繁栄を勝ち得た。ただし、代償は大きかった。私達の世代はともかく、二十一世紀を生きる子ども達にとって、この代償はあまりにも過酷だ。
 まず、臨界点を超えてしまった自然環境の破壊がある。本気でそれを食い止めようとする政府は世界のどこにも無く、関心の高い市民はいるが少数派。大気も水も土も、原発事故以前にもう十分に汚染されている。
 環境破壊の後には、大規模な気候変動が控えている。文明がどんなに進んでも代替えできない農業生産が大きな打撃を受ける。世界人口の増加とあいまって、食糧危機、そして資源やエネルギーの枯渇が目前に迫っている。
 経済発展は大きな経済格差も生み出した。経済格差の広がりは、人々の心からやさしさや絆を奪う。代わりに妬みや憎悪が生まれる。人々の心のつながりが失われることで、一番大きな被害を受けるのは子ども達。
社会的動物である人間は、社会の中で育てられなければ社会を支える大人にはなれない。社会からドロップアウトし、社会に反逆する若者達の増加は、育ててくれなかった社会に対する、子ども達の当然の復讐である。
現代社会が抱える様々な教育問題の主要な原因は、地域社会の教育力の衰退という社会病理にある。
 経済格差の拡大は、子ども達の生活基盤にも深刻な影響を及ぼす。電気代や水道料が払えない、そういった困窮家庭に置かれている子ども達が急増している。
私が生まれた昭和二十年代のように、誰もがほぼ等しく貧しい時代には、貧困は必ずしも子ども達の成長に致命傷は与えなかった。地域社会の心のつながりが、セーフティネットになっていたからだ。
ところが現代社会では、人々の心のつながりは分断されている。困窮し、孤立した家庭や子ども達を支えるセーフティネットは存在しない。現代の貧困は、子ども達の心や体の発達に直接的な脅威となる。
 こうしてみると、二十一世紀は、子ども達が生きることが困難な時代だと言わざるを得ない。そのこと起こしをしたのは、未曾有の繁栄の道を追い求めた私達である。子ども達が健やかに育つ環境づくりに努める責任から、誰も逃れることはできない。

どうやって教育課題を解決するか
 このような問題を現代社会が抱えているということを念頭に置きながら、私達は目の前にある様々な教育課題の現実的な解決策を考えなければならない。
 まず、共通認識しておきたいことは、イジメ、不登校、学級崩壊、暴力、学力問題などの教育課題は、別々の原因で起こる、別々の結果ではないということである。原因は一つ、従って解決する方法も一つである。
 不登校を例にとれば、相談窓口の設置、家庭訪問、スクールカウンセラーの配置など、「不登校対策」というものはある。しかし、「不登校対策」に懸命に取り組んだ私の経験から言えば、これらの「不登校対策」で不登校問題は解決できなかった。
 学校に行けなくなっている子ども達への支援という意味では、これらの対策は必要である。しかし、別の場所で、新たに発生している不登校には無力である。
不登校問題は、子どもを学校に適応できる状態に戻す、という考え方では根本的な解決はできない。不登校を生み出す要因である家庭・学校・地域社会が抱えている病気を治す、つまり社会環境を改善する、という視点に立たない限り、不登校問題の解決はあり得ない。
 学力問題も同様。高知県は全国学力調査で最低位にある。様々な「学力対策」を講じているが、一時的、局部的な成果はあがっても、根本的な解決は困難だろう。
学力問題も、子ども達が生活している社会環境を反映する社会問題だからである。子ども達の育ちにとってより良い方向に社会環境を改善するという観点に立たない限り、学力問題の根本的な解決はできない。
 すべての教育課題の発生する背景には、社会環境の問題がある。しかし、産業基盤や経済の枠組みを含む社会環境の改善は、あまりにも遠大なテーマである。
では、私達になす(・・)すべ(・・)は無いのか。
 人間はいつも、最善の環境の中で生活しているわけではない。与えられた条件、置かれた境遇の中で私達は生きて行かなければならない。教育課題の解決も同じ。現状を前提にして、なす(・・)すべ(・・)を考えなければならない。そして、なす(・・)すべ(・・)は無くはない。

教育の本質から教育課題の解決の方法を考える
 教育に限ったことではないが、何か問題が発生すると、「その問題」をどうやって解決するか、という個別の、問題対処型の発想に私達は陥りやすい。
 しかし、不登校問題にしても、学力問題にしても、教育課題の多くは、個別の問題ではない。子ども、保護者、教師達が共通して抱え、悩んでいる問題である。そこには当然、共通する原因と対策があるはずである。
 数多くの、解決が難しい教育相談に懸命に対応する中で私が学んだことは、行き詰ったら、教育の本質に立ち返って問題解決の方法を考える、ということだった。
 教育の本質に立ち返るとは、一人ひとりの子どもの幸せとは何か、ということを考えることである。教育の目的は、子ども達を幸せにすることにある。一人ひとりの子どもの幸せとは何か、その幸せを実現するにはどうしたらよいかを考える、そういう思考回路に立つと、法律や制度、慣例や常識にとらわれた発想から抜け出すことができる。
 学力問題を例に取れば、どういう学力を身につければ、二十一世紀という生きることが困難な時代を生きて行く知恵や力につながるか、ということを考えなければならないだろう。
 教育の本質は、一人ひとりの子どもが、どんな境遇に置かれても自分らしい幸せをつかむ力を育むことにある。学校は、そこから教育のあり方を考え、実践する場所でなければならない。

三つの経営改善
 現代社会は、他者責任の時代である。それが最も極端に現われる例が教育の場である。教育の責任は本来、家庭、学校、地域社会全体が等しく背負わなければならないもの、それぞれの教育力が噛み合ってこそ、子ども達は健全な成長を遂げることができる。
しかし、現実に様々な青少年の問題が生じると、世の中ではすぐに、学校の責任、教育システムの責任が声高に問われる。
 例えば、沖縄県や高知県の学力調査の結果が低位にあるのは、経済的な基盤の脆弱、それに伴う生活基盤、家庭や地域社会の教育力の弱さにあることは間違いない。
しかし、対策として真っ先に取られるのは、教育現場を叱咤激励し、テストの点数を上げる努力を求めることである。原因を放置して、問題対処だけを追究しても、おそらく芳しい成果は望めないだろう。
 そういう厳しい環境の中に学校は置かれているが、学校にできることが無いかと言えば、学校にできることはまだある。それを考える場合にも、教育の本質から考える、一人ひとりの子どもの幸せとは何かを考えることから出発することが大切である。
 教育行政にたずさわって十年、悪戦苦闘の末に私が辿り着いた学校教育の改善は、三つの経営改善に収斂される。
 第一は、教科経営の改善。
高知県が十年の歳月をかけて取り組んだ土佐の教育改革でも、全県的に授業の改善運動が展開された。生徒による授業評価をもとに授業の改善をやって行こうという画期的な試みであったが、少数の成功例はあるものの、実りは少なかった。
原因は、教育委員会と教育現場との信頼関係が築かれていなかったこと、生徒による授業評価に対する教師の拒絶反応など様々あるが、私の最大の反省点は、目指すべき良い授業とはどういう授業か、その共通認識を図ることが抜け落ちていたことである。
良い授業とはどういう授業だろうか。小学校から大学まで、数多くの授業を見せていただく中で私が辿り着いた結論は、授業の形式ではなく、生徒の主体的な学びの意欲を触発するものがある授業こそ、目指すべき良い授業であるということ。主体的な学びだけが、本物の学力、困難な時代を生き抜く力を子ども達に与えるからである。
具体的に言えば、教室にいる生徒達が安心できる、参加意識が持てる、生徒同士で助け合う場面がある、そういう授業が良い授業である。まさに、生徒同士、生徒と教師が「共に育む」授業である。
第二は、学級経営の改善。
「共に育む」ためには、学校は子ども達にとって楽しい場所、信頼できる仲間がいる場所、安心できる場所、自分の存在を確かめられる場所でなければならない。
学校をそういう場所にすることができれば、自尊感情の未発達、学ぶ意欲やコミュニケーション力の弱さに起因する学力問題やイジメ、不登校、暴力行為、学級崩壊など、私達が抱えている多くの教育課題は、自然に解決していくだろう。
カギは、学級経営にある。学級経営を左右するのは、教師の価値観である。
生活環境の厳しいAくん、心身に症害のあるBくん、学習がいつも遅れがちなCくんを、日常の教育活動の中でいつも心に懸けている教師がいれば、必ず子ども達はその影響を受ける。いつの間にか、子ども達もAくん、Bくん、Cくんを心に懸けるようになる。学級全体に仲間を大切にする雰囲気が生まれる。信頼できる仲間がいる学級の中で、子ども達は共に育み、それぞれの可能性を十分に伸ばすことができる。
第三は、学校経営の改善である。
土佐の教育改革では、開かれた学校づくりをスローガンに、すべての学校に「開かれた学校づくり推進委員会」を組織し、生徒、保護者、教師、地域住民が参画する学校経営の推進に取組んだが、これも望ましい成果はあげられなかった。
その背景には、教育の責任をすべて学校に転嫁する社会的風潮という外圧、学校が抜きがたく持っている閉鎖的な体質という内的な事情の両面がある。
「学校を開く」とは、子どもや保護者、教職員が抱えている願いや悩みを共有し、みんなでそれを実現し、解決する方法を考えることである。
今、学校は、家庭の教育力や地域社会の教育力の衰退の中で、教育の責任を一手に引き受けて悲鳴をあげている。なればこそ、教育の責任をみんなで分かち合うプロセス、学校を開く方向性が学校経営の柱にならなければならない。
学習について行けない子どもが一人で悩み、イジメに苦しむ子を持つ親が誰にも相談できず、毎日のように持ち込まれる苦情を独りで背負って教師が右往左往する、そういう教育の現状を、みんなで共通認識し、共に背負って行く学校経営を目指せば展望は開ける。
学校にはまだ、経営方針の立て方次第で、子ども、保護者、教職員に希望の灯をともす可能性がある。その可能性を信じて、共に育み、共に学校を育てようではないか。
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ありがとうございます。

大崎先生、いつもありがとうございます。

今回も分かりやすい文章に、共感し納得しています。

私も、賛同します。

不登校等様々な問題があり、様々な取り組みがされていますが、根本的な改善は容易ではないですね。

私はやはり、大崎先生の「あなたのやさしさが、あなたのゆく新しい道に、小さなカタバミの花を咲かせる」のお言葉に解決の鍵があると思います。

家庭も学校も地域社会も子どもも、みんながやさしさを持ち、立場が異なるひとりひとりの「自尊と夢を」みんなが認め応援する「やさしい心」が大切だと考えます。

マザーテレサの大海の一滴の精神で、自分ができることを精一杯行動いたします。

大崎先生、勇気と光のお言葉を感謝いたします。

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