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読書と人生

読書と人生
                             大 崎 博 澄
                         (全国学校図書館職員学習交流集会記念講演)

 <私の生い立ちから>
 みなさん、こんにちは。お招きいただいてありがとうございます。こういう場でお話しするのは得意じゃないのですが、ほかならぬ、ぼくが一番お世話になった学校図書館職員の皆さんの交流会ということで、あつかましく出てまいりました。
 ご紹介をいただきました、高知県教育委員会の大崎と申します。よろしくお願いいたします。
今日は、格別のことはよう話しませんが、自分の育ち方と読書との、切っても切れぬ縁をお話します。
 ぼくの家はすさまじい山奥の、とても貧乏な農家でした。なぜかぼくは子どもの頃から本が好きでしたが、貧しい家には子どもが読めるような本は一冊もなく、年に二回、お彼岸に高知市から墓参りにやって来る親戚のおじさんがくれる、ぼくにとっては大金の百円の小遣いで漫画の雑誌、冒険王とか漫画王、おもしろブックといった付録に漫画の本がたくさん付いている雑誌を買い、繰り返し読みふけりました。
 ある日偶然に、ネズミの糞だらけの押入れの中で、ぼくの年の離れた兄か姉が読んだものであろうスチーブンスンの「宝島」を見つけました。物のない時代に作られたらしく、粗悪な紙に青いインクがにじんだ粗末な本でしたが、他に読むものがないので、少し難しい漢字の混じったこの本を繰り返し読みました。
今も、本の手触りや挿絵を覚えているほどです。これがぼくの最初の読書体験になるかと思います。このように、小学生時代のぼくは本に飢えていました。
 中学校に上がると、階段の踊り場のような場所に小さな図書室があり、ほぼ無人の状態で開放されていました。当時にしては蔵書の質は良く、比較的新しい大人の本ばかりが揃っていて、ぼくはそこに入り浸り、ほぼすべて読んでしまいました。濫読の時代です。
 貧乏で修学旅行にも行けませんでしたが、高校進学など夢のまた夢でしたので受験勉強に追われることもなく、好きな本に読みふけることができ、そういう意味ではとても幸せな中学校時代を過ごすことができたと思います。
 中学校を卒業したらすぐ都会に働きに出るつもりでした。苦労している母親に早く仕送りをして喜ばせたい一心でした。ところが、中学三年生の時、担任してくださった数学の先生に出会いました。貧乏で勉強もできない、ものも言わない、そういうこれまで置き去りにされてきた生徒達に、「やりゆうかえ」と土佐弁で初めて声をかけてくれた先生でした。
 先生が初めて自分に声をかけてくれた、これは感激でした。この出会いがぼくの人生の転機になりました。ぼくはこの先生に教わった一年間だけ、数学が得意科目になりました。そして、この先生のお世話で、家から十二、三キロ離れた、当時はめずらしい昼間定時制の仁淀高校に進学できることになりました。
 <いじめも競争もない平和な学校>
 この定時制高校には、僕の目にはとても立派な図書室がありました。蔵書がやや古いのが難ですが、ここにも番人がいなかったので、ほとんどぼくだけが入り浸って、心行くまで本を読むことができました。いじめもなければ競争もない、とても平和な学校でのんびりと本を読んで過ごすことができる幸せな高校生活でした。
 この学校は四年制なのですが、三年生終了時に試しに就職試験を受けたら合格したので、ためらいなく学校を退めて就職し、高知市に出ました。
当時の高知市民図書館や県立図書館は、まだ古い木造の建物でしたが、ぼくにとっては初めての本格的な立派な図書館で、休日には図書館に出かけて本の海をさまよいました。ぼくの本格的な読書の旅の始まりでした。
 相変わらずの濫読でしたが、この頃好んで読んだのは、芥川龍之介、宮沢賢治、河上肇などです。特に河上肇は、県立図書館にあった獄中書簡集を読み、すっかりファンになりました。この街の図書館が、貧乏でまともに大学に行けなかったぼくの大学だったかなと思います。
 <君は自由だ、選び給え>
 その後、高校卒業はしておきたいと思い、働きながら学べるということで、小津高校の通信制課程に編入させてもらいました。ところが、通信教育で勉強するには、強固な意思がいるのですね。意志薄弱で勉強嫌いのぼくには、なかなかの苦行です。その上、最初に提出したレポートで、こんな勉強の仕方ではダメ、とこっぴどく添削された先生に叱られ、あえなく挫折しました。
 そこで一年後に、高知商業高校の夜間部に入れてもらいました。仕事を終えてあわただしく学校に駆けつけるのは大変ですが、夜間なら、意志薄弱のぼくも否応なく通わざるを得ません。
そして、ここに、またしても運命の出会いが待っていました。熱心で若く美しい国語の先生がいたのです。
 ぼくは今でこそいっぱしの物書きのつもりですが、中学・高校を通じて文学少年を自認しながら、実は作文が苦手でした。作文には生活の真実を書かなければならない。貧乏で多くの劣等感を引きずっている思春期のぼくには、到底貧乏暮らしの真実は書けない。そのジレンマがあったからです。
 ところが、この若い国語の先生との間に知らず知らずの間に形作られた信頼関係が、この壁を乗り越えさせてくれたのです。ある日の作文に、ぼくはなんのためらいもなく、これまで書けなかった恥ずかしいこと、隠してきたこと、自分の劣等感をあらいざらい吐き出すことができたのです。
 この時から、ぼくは自分の真実を表現するために書く、弱い人間である自分を励ますために書く、ということを始めました。詩人大崎博澄の誕生です。これは本当に感謝すべき運命の出会いでした。
 夜間高校を卒業後、高知市にあった小さな夜間大学に入りました。ぼくは幸せな人間ですね。ここにも、運命の出会いが待っていました。うつむいて、ぼそぼそした小さな声で、へたくそだけど内容のある講義をしてくれる哲学の先生がいたのです。
 先生はある日の講義で、サルトルを紹介しながら、ぼくの運命の言葉「君は自由だ。選び給え」というエピソードを話してくれました。それはぼくにとって、大きな衝撃を伴う啓示でした。
 この頃のぼくには、苦労するために生まれてきたような母親を何とかして救い出したいという現実的な思いと、貧乏を生み出す不条理な社会を変えるために自分は闘わなければならないと言う理想がありました。
この二つの思いはぼくの中では両立せず、もし闘いに身を投ずれば母親を悲しませることになるかも知れないという不安がありました。稚拙な悩みですが、その頃のぼくにとっては、生きるか死ぬかに等しい悩みでした。
 この悩みに、サルトルは明快な答えをくれたのです。「君は自由だ。選び給え」、これは「実存主義はヒューマニズムである」という著作に出てくる言葉です。
 ぼくはこの言葉を、人間として十分に苦しんだ末に意思決定をくだすのなら、どの道を選んでも許される、そんな風に解釈しました。この言葉は、その後のぼくの人生の歩みに大きな支えとなりました。  
 <よき人生と読書の師に出会う>
 夜間大学を卒業して、県庁の職員になりました。最初の赴任地が旧中村市でした。ここでも、職場の先輩に立派な読書家がいて、大きな影響を受けました。時々先輩の下宿にお邪魔して、宗教や哲学の話をぽつりぽつりとお聴きする静かな時間を過ごすのが楽しみでした。
 この先輩は、給料のほとんどを本の購入に充てていました。先輩は、「大崎くん、本ちゅうものはのう、買うて置いとくもんじゃ」、つまり、いつか読むべき時が来るまで「つん読」でよいと言ってくれたのです。ぼくも先輩にならって「つん読」に熱中しました。
 中村市では、もう一つ、児童詩との出会いという人生のエポックがありました。詩人たらんとしていたぼくは、子ども達の書く詩から大きな影響を受けました。幡多作文の会という作文教育に情熱を傾けている先生方の組織があり、その協力をいただいて、子どもの詩集を編集発行するようになりました。この時、ぼくと教育との最初の接点ができました。
 ぼくは教室の中で何も言えない、何も書けない子どもでした。なればこそ、自分をしっかり表現する力を持った子どもを育てることが、彼らの幸せにつながるという確信がぼくの中に生まれました。これがぼくの教育観のバックボーンです。
 <何を読むか、いつ読むべきか>
 学校訪問をする時は、図書室を見せてもらうのが楽しみです。図書室を見ると、その学校が良い学校か、良くない学校かが、百パーセント分かります。良い図書室を備えた学校は、子ども達が大切にされている良い学校です。良い図書室は、必ずしもお金をかけなくても、工夫と愛情で作ることが可能です。そこがいいですね。そこに本の好きな人がいて、その人が子ども達のことも好きであれば、よい図書室はできます。
 子どもはそれぞれ違う個性を持っています。だから、大人の目で選んだ本を子どもに押し付けてはいけません。読書教育の鉄則です。子ども自身が本を選ぶ力を身に付けられるように援助することが、私達がして良いことの限界だと思います。
 ぼくは、読書は習慣だと思っているので、大切だけれど読みにくい本は、トイレに置いています。集中して読めるので理解できます。学校で取り組んでくださっている朝の読書も、子ども達に読書の習慣が付くのならば、良いことだと思います。
 一番良いのは寝る前の読書ですね。眠くなるまでの睡眠導入剤として、また、夜中に目が覚めて眠れない時は読書のチャンスだと思えばいいですね。
 こんな風にして、ぜひ子ども達を読書中毒にしてあげたい。読書の面白さはテレビゲームの比ではない。深く、広く、果てしない。子ども達をそこに導いてあげたいですね。東大へ行くことよりも、一冊の本と出会うことの方が大切です。一期一会が人を成長させるからです。そして、人間として成長し続けようという志を持つ時、人は自分が幸せだと感じることができるのです。
 <小さな弱い人を守る>
 今、ぼくの二人の子どもが心の病で苦しんでいて、その看病に疲れて家内もうつ病になっています。なかなか大変な人生のピンチです。ぼくは無神論者ですが、あまりに不幸が続くので、手製のお守りを持つようになりました。その中身をお見せしましょう。
ぼくの秘書席へ臨時職員として来てくださっていた方が退職される時にくれた小さな手紙です。
 「苦境の中にあっても、いつも朗らかな教育長を尊敬しています。小さくて弱い人達を守ってあげてください」
 自分のやろうとしていることの本質を、あまり話をしたこともない、ほんの短い期間一緒に仕事をしただけのこの方が、しっかり理解してくれていた、そのことが嬉しくて、自分の知らないところで、いろいろな人が自分を支えてくれている、そのことに感謝して、これをお守りにしています。
 皆様のお仕事が実り多いことをお祈りしています。
                           (2006.7.29)
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