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イジメ・この心の闇にどう向き合うか

<エッセイ>


イジメ、この心の闇にどう向き合うか

 近頃、子育てや教育について語る時、子どもの人権に触れることが多くなった。それには、わけがある。現代の子育てや教育が直面している問題を、どうやって解きほぐしていくかを教育の本質に添って考えて行くと、子どもの人権をどうやって守るか、ということに行き着く。その意味で子育てや教育の問題を考える時、人権の視点が欠かせない。
 子どもの人権は今、危機的な情況に置かれている。その象徴が不登校とイジメ。
 不登校は、全国の小中学生で統計上10万人以上、保健室登校や別室登校、断続的な不登校の繰り返しなど潜在的な不登校を含めると、おそらく数十万人の子ども達が学校に行きたいけれど行けないことで苦しんでいる。しかも、小中学生にとどまらず、高校生、大学生、社会人にも深く静かに浸透しつつある。とどまることを知らない社会病理。
 前回はこの不登校について書いた。あえて「不登校という希望」というタイトルを付けた。不登校の場合は、実態はそうでなくても、子ども達が主体的に学校へ行かないことを選んだ、社会に対する異議申し立てだとみなせる。だとすれば、それは希望と言える。
 今回はイジメについて書かなければならない。しかし、タイトルの付け方に窮した。「イジメという絶望」が現実を表すにはぴったりだが、被害者に対して不遜な響きがある。あまりにかなしい。
 大津市の事件をきっかけに、イジメをめぐる世論が沸騰している。人権を擁護する方向では本気で何もしたことがないこの国の政府まで、イジメ対策を言い始めた。ただし、今回の世論の沸騰も、過去の多くのイジメ被害者の悲惨な結末の時と同じで、間違いなく一過性で終わる。政府も国民も有識者も何もできない、何もしないと断言できる。
 イジメの現状、イジメの原因、イジメにどう対処すべきか、問題を整理して考える人がこの国には誰もいないからである。ぼくのような素人が、地方都市のタウン誌(季刊高知)の誌面をお借りしてこの問題を書かねばならない理由はそこにある。
 イジメは統計的な把握はできない。調査しても、子ども達は真実を答えないから。信頼して真実を語れるような大人がこの国にはいないから。
 ただ、把握は困難だが、全国のすべての学校、すべての教室、すべての町や村にイジメが蔓延していることは間違いない。表面化するケースはごく一部で、ほとんどは被害者の泣き寝入りで終る。イジメ被害の体験者の親として、数多くの教育現場を見、街角で数多くの子ども達の姿、行動様式を観察した結果として、確信を持ってそう言える。
 イジメの原因は何か。なぜこのようなことが社会現象となったのか。
 イジメは、起こるべくして起こった社会病理である。イジメを論評する有識者諸氏の誰もが、なぜかここには触れない。し方がないから、自他共に認める小心者のぼくがあえてタブーに触れる。
 この国は、昭和三十年代あたりから、所得倍増計画に代表される豊かさの追求、経済成長至上主義に舵を切った。その結果、それまでの基幹産業であった農業が滅び、二次、三次産業が栄えた。この産業構造の大きな変化は、豊かさと共に苛酷な競争社会を出現させた。平均的に貧しく平和な農業国は、経済的格差の拡大を無制限に許容する経済大国になった。
 人々がほぼ等しい程度に貧しい時代には、人は自然に助け合う。経済的な格差が広がると人々は妬み合い、憎み合うようになる。コミュニティの基盤であった人々の心の絆の崩壊は、子ども達を育てる上で一番大切な地域社会の教育力を崩壊させた。
 育つ場を失った子ども達の心の闇の広がりは、私達が得た豊かさの、あまりにも高価で無惨な代償である。イジメは起こるべくして起こった社会病理であり、その責任は私達が等しく背負わなければならない。大津市の事件の責任は、学校や教育委員会ではなく、私達自身が負わなければならないのである。
 では、私達はイジメにどう対処すべきか。
 根本的に解決するには、過酷な競争社会のあり方を変えなければならない。しかし、誰も、等しく貧しい時代に戻ることに同意してはくれまい。まどろこしいが、現実味のある対処の仕方を考えるほかない。
 親は、何ができるか。
 親子の信頼関係を築くことがすべてだと思う。親への信頼があれば、それは他者への信頼につながる。人間への信頼が根底にあれば、子どもはいつか必ず社会に巣立つことができる。
 教育関係者は、何ができるか。
 学校に戻すことが不登校問題の解決ではない。加害者を特定して説諭し、和解を演出することがイジメの解決ではない。発生してしまったイジメの解決は不可能である。教育関係者にできることは、事実を隠ぺいしないこと、当事者の心の闇に寄り添い、共感すること、「つらかったね」の一言をかけてやること。
 ただし、学校にできることはまったく無いかと言えば、無くはない。
 学校は三つの経営改善に努めることで、イジメの発生防止に展望を開くことができる。三つの経営改善とは、教科経営、学級経営、学校経営の改善である。誌面が無いのでこの詳細は別の機会に譲るほかないが、一言で言えば、教育の本質、一人ひとりの子どもの幸せを考えることから、教育課題の解決の仕方を考えること。
 地域社会は、何ができるか。
 温かい心の絆で結ばれた地域社会の再生こそ最大の課題である。しかし、産業構造の激変、農業農村の崩壊が人々の心の絆、コミュニティの崩壊をもたらした以上、その再生は論理的には不可能である。
 私達にできることは、一市民、一個人としてどう生きるか。せめて、目の前に困っている人がいたら手を差し伸べよう。人を分け隔てしない生き方を選ぼう。時代に流されないで、自分の哲学を堅持して生きて行こう。
 そうすると私達は貧しくても心豊かに生きることができる。子どもたちはそういう大人の背中を見て育つ。
 子ども達の心の闇はあまりにも深く暗い。私達はそれぞれの生き方を通じてこの心の闇に向き合うしかない。が、心豊かに生きていれば、前途にかすかな明かりは見える。
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