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たんぽぽの奇跡

 奇跡と言えば「季刊高知」49号に先に触れないといけない。自分も誌面を埋めさせて頂いていて言うのはおこがましいけれど、このレベルの記事のセンス、質とボリュームで続くタウン誌は全国にもそんなに無いのではないか。ひとえに野並編集長のご人徳と卓越した能力のおかげ、本誌に執筆の場を与えていただくことに感謝です。
 さて、たんぽぽ教育研究所は携帯電話一つで開設したのが2008年4月。自分の事務所を持ちたいと思ってはいたが、いよいよ困窮の度を強める家庭の事情もあるし、もともとが形にこだわらないアナーキーな人間なので、高知大学の正門脇の大きな栴檀の木の下や、図書館前の広場のベンチでお話をお聴きしたこともしばしば。
 そして、四国管財株式会社様のご厚意で研究所を現在地にオープンすることができたのが2010年4月、それからお隣にある幡多倉公園の桜の花を見ること4回目、現地で4年目の春を迎えた。
 四階の窓から、今年の桜を見ながらしみじみ思った。あれ、これはたんぽぽの奇跡じゃないか!
 2009年の秋、四国管財の中澤社長様から一通のメールを頂いた。「四階の部屋が空きました。たんぽぽで使ってください。必要なものは全部用意します」。生涯忘れることのできない、熱い心のこめられたメール。
 ほどなく、本社ビルの前にあった四国管財様のスチール製の大きな看板が、「たんぽぽ教育研究所」に書き換えられた。梨千春さんのイラストをあしらった素敵なデザイン。「大崎さん、あれはどうしたんですか?」看板を見かけた知り合いによく聞かれた。
 お言葉に甘え、必要なものを全部用意してもらって2010年4月1日に入居した。社員さん達が歓迎してくださった。田舎育ちで遠慮のかたまりのようなぼくが、安心して居候していられるのは気配りのかたまりのような社長さん、親切な社員の皆様のおかげ。これが奇跡の始まり。
 肩書きも、権力も、金も無い。カウンセラーとしての素養も無い。有るのはハートだけ。わずかばかりの教育相談の経験だけ。我が子と歩んだ哀しく孤独な道のりの体験だけ。
 それで門を叩いてくれる人がいるだろうか。人一倍心配性のぼくなのだが、その時はあんまり、そんなノーマルな心配をしなかった。やらねばならぬ。オレがやらいで誰がやる。なんか、おだっていたのだろうなー。
 実は引っ込み思案で、経営とか前を切るとかいうようなことには千万不向きな性格。それなのにお客様がたくさん来てくださる。講演や執筆など仕事のオファーも頂く。お花やお菓子や野菜や果物、貯金箱、夕食のおかずなど、様々な形でたんぽぽを支えてくださる人も続々と現れる。こんな悩み事相談所がはやることを、手放しで喜んではいけないけれど、それはあんまりいい世の中ではない証拠なのだけれど。
 「大崎さん、どうしてそんなに忙しいの?」とよく聞かれるが、次第に増えるお客様、電話や電子メールによるご相談、たんぽぽの維持と生活のためのいくつかのアルバイト、毎日息つく間もないほど忙しい。老いたりと言えど、仕事ができることには絶対の自信を持つぼくが、近頃、仕事にいつも追われている。
 たんぽぽは、ぼくが当初予期しなかった進化を遂げつつある。相談所も研究所も超えつつある。そう感じる。教育や子育てに限らず、子どもからお年寄りまで、様々な悩みを抱えた方々が来てくださる。その人達を支援する方々が集まってくださる。これは新しい形のコミュニティじゃないか。これが第二の奇跡。
 たんぽぽの支援活動は、すべての人を分け隔てなく受け容れる。すべての社会的な弱者に分け隔てなく関わる。完全なボランティアだから基本的に収入は無い。四国管財様が光熱水費、電話料、すべてみてくださるのでできることだが、それでも若干の維持費は必要。一年目は順風満帆の運営ができた。順風満帆の理由が後で分かった。必死で貯めたぼくのへそくりがすっかり空になっていた。
 さあ、頼るものが無くなった二年目をどうするか。未知さんが手作りケーキを通信販売するアイデアを出してくれた。不思議なことに、途絶えることなくご注文をいただく。手作りケーキが新しい人の絆を生む。
 絆と言えば、志磨村俊二先生の仲立ちで徳島県の人権教育に関わる先生方とのご縁をいただいた。講演に呼んでいただいた折、子どもの人権が侵される現実の前にあまりに無力な現在の人権教育の姿を痛烈に批判した。ぼくも相当のいごっそうだね。これで終わりかなーと思ったが、徳島の先生方は懐が深い。あたたかく受け止めてくださった。この年は徳島へ五回も講演に行き、思いがけないたくさんの謝礼をいただいた。おかげでたんぽぽは維持できた。ケーキの絆と徳島県の先生方の熱いご支援、これが第三の奇跡。
 三年目はどうするか。コニヤンのよく使っていた言葉を借れば、ぼくは実にノーテンキな計画を実行した。自分の詩集を作って売って儲ける。ノミの心臓しか持ってないぼくが60万円の借金をし、76万円かけて三千部の詩集を作った。ノーマルな人にはとても考えられない無謀な計画だが、無謀な計画は皆様のご支援のおかげで成功した。借金は返し、元が取れるくらいは売れた。さらに、多くの方から尊いご寄付をいただいた。
 先日、これまたボランティアでお世話くださっている廣光税理士さんが三回目の決算と税務署への申告をしてくださった。税金も無事納めた。たんぽぽ教育研究所は今のところ、資金繰りに窮してはいない。まだまだいけそう。第四の奇跡。
 毎朝、たんぽぽのドアを開けると、そこには不思議な幸せが満ちている。いつもくよくよしているぼくが、ノーテンキなぼくに変身する。お客様の哀しみをひたすらお聴きする。カウンセラーの領域を時々踏み越える。遠慮なく感情移入する。精一杯励ましてお見送りした後、励まして頂いたのは自分の方であることに気付く。大きな不幸を背負った老人に訪れる不思議な幸せの瞬間。これをたんぽぽの奇跡と言わずしてなんとしょう。
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