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未熟で無力で愚かなぼくのカウンセリング

未熟で無力で愚かなぼくのカウンセリング

                           大 崎 博 澄


 ぼくは、たんぽぽ教育研究所という、主に不登校やイジメなどの教育相談をお受けする社会奉仕の場を主宰している。
最近は、そうした教育課題と深く関わることが多い発達障害や精神疾患、ひきこもり、そのほか様々な依存症やうつ病など、主として心の病と言われる傾向の問題で悩んでおられる当事者やそのご家族のご相談、そのほか、職場の人間関係、パワーハラスメント、DV、虐待など、対象者の年齢も性別もご相談の内容も広範囲に及ぶ、よろず悩み事相談所になって来ている。ぼくは“たんぽぽ”を、すべての人を無条件で受け容れるコミュニティ、と考えている。
 ぼくは、様々な事情でこのような道に踏み込んでしまったが、実は本格的なカウンセリングの勉強などまったくしていないので、人様の心の奥底にある悩みを解決する、というような大それたことをする自信はまったくない。
 ただ、ぼく自身が悩み多い人生を生き、晩年に至って解決不可能の大きな哀しみを抱える事態になったので、人様の悩みも我がこととして受け止めることができる。同じ哀しみを抱える者として共に哀しむことができる。自分が励ましを求めているのでどんな励ましを求めておられるかが少し分かる。それだけに徹してささやかな社会奉仕を続けている。
 相談をお受けするようになって早くも十数年が経つ。ぼくはユングもロジャーズもまるっきり知らない。カウンセリングのいろはを勉強していないから、オレは詐欺師のカウンセラーだと長年思ってきた。それを思うと、少し、心が痛んだ。
 ところが、この一年くらい前かなー、なんとなく、ある日突然、あれ、ぼくは本物のカウンセラーになった、と感じることがあった。それから、時々、そう感じることがあるようになった。
 ぼくの、どこかが変わった、とかいう自覚はない。何かを会得した、ということでもない。ただ、クライアントさんと向き合う時、何か以前と違うものを感じる。それは言葉にはできないのだけれど、とても大事なものだと思うので、ぼくのカウンセリング哲学、哲学とはオーバーだけど、自分の考え方を少し整理してみて、それが何かを探り当てられるのなら、探り当ててみたいと思う。探り当てられないかもしれないが。
 ぼくがクライアントさんと向き合う時、大事にしていることがいくつかある。
 一本の電話を取ることにいのちを懸けている。いのち、というと大げさだが、たんぽぽに電話するまでにあっただろうクライアントさんの心の葛藤が手に取るように分かるから、必死の思いでダイヤルした時、一瞬でも早く電話に出てあげたい。
 人を分け隔てしない。偏見を持たない。私達は知らず知らずの間に、服装や肩書きや見た目で人の見当を付けている。ぼくはそれを避けたいと思っている。クライアントさんだけではない。たんぽぽを訪れる、たんぽぽに関わりを持ってくださる方々すべてを、我が友と考えている。花を届けてくれるご高齢の方も、貯金箱を持って来てくれる奥さんも、清掃に来てくれる社員さんも、荷物を取りに来てくれる宅急便のお兄さんも、そんな気持ちでお迎えしている。
 聴くことに徹する。話がどんなに遠回りしても、脱線しても、質問や軌道修正をしない。元に戻るのを待つ。アドバイスを急がない。悲しみを共にすることを大事にしている。
 自分の価値観、世間の常識にとらわれない。自分の価値観、世間の常識を押し付けない。反社会的な言動も含めて、すべてを受け容れる。何を言われても驚かない。否定しない。ぼくも時には、人を恨みたくなる、殺したくなるのだもの。恨みや怒りを持つのは人間として普通のことではないか。
 当事者本人、相談者や家庭の責任を追及しない。不登校やひきこもりでは、しばしば本人や家庭の責任が問われる現状がある。それは違う。不登校やひこもりは個人の問題ではなく、社会の問題である。個人の責任を追及している限り、問題は永遠に解決しない。責任は社会全体で背負うべきもの、という立場にぼくは立つ。
 自分を開く。これは最後の手段だけれど、自分の恥ずかしいこと、隠しておきたいこと、自分の背負っている哀しみを、時に応じて語る。多くのクライアントが、不幸なのは自分だけではないと思えると安心してくれる。ぼくも安心できる。
 できることは何でもやる。カウンセラーの分を越えてでも、何か自分にできることがあればやる。ぼくもひどい貧乏をしているが、もっと貧しい人にはお金を貸すこともある。仕事の紹介をすることもある。これはうまくいったことがないけれど。恐ろしい人に手紙を書くこともある。これらはぼく特有のやり方なので、人様におすすめすることではないけれど。
 当然のことながら、いかなる報酬も求めない。無私、無償の行為であることが自分を支える力になる。励ましてお別れした後、あれ、励まされたのは自分の方だなー、と思うことがしばしばある。
 さて、探り当てたものが何かあるだろうか。一つだけある。ぼくは未熟なカウンセラーだが、カウンセリングがうまくいくことがごくたまにある。その時、幸せを感じる。生きることは、つらくて苦しいことばかりでもないと思える。つらくて苦しい人の荷物を少し一緒に背負えた、その幸せが、いよいよ追い込まれた、切羽詰った今のぼくを生かす力になっている。
 三方に開かれた明るい窓、本棚の上の植物達、静かな音楽、薫り高いコーヒーもあります。あなたも、人生に疲れたらたんぽぽを訪ねてください。
 須賀敦子さんが愛したウンベルト・サバの詩にこんな一節があります。<人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものはない>これ、深く考えると意味不明ですが、ぼくも好きな言葉です。
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