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野いちごの場所で・36・“たんぽぽ”に風そよぐ

野いちごの場所で・36・“たんぽぽ”に風そよぐ

                           大 崎 博 澄

 Aさんは電話口でいつも、今、お客さんはいませんか、と聞いてくれる。今、お客さんがいます、こちらからかけるからね、と言うと、いつまでも待ってくれる。
ぼくの多忙と物忘れで、待たせて、待たせっ放しにしたことが一、二度ある。二度目には、これで終ったかな、と胸が痛んだが、翌朝お詫びの電話をしたら、なんのこだわりもなく許してくれた。
 Bさんは自分を深く傷付けた高名な偉い人との葛藤を、誰も分かってくれない口惜しさを繰り返しぶつけて来られる。高名な偉い人が本当はちっとも偉くない、人を平気で傷つけるひどい奴だということを、ぼくはようく分かっているからね。世の中の人、誰もかれもに分かってもらうことは難しいけれど、一人でも理解してくれる人がいれば、人は生きていけるよ。ぼくもそうだよ。断言してあげると、納得してくれる。
 Cさんは友達が欲しくて欲しくてたまらない。一緒に飲みに行きたいけれど誰も誘ってくれない。自分にひどいことを言った教師を首にしてしまいたい。親元を離れて独りで暮らしたい。もっともっと人と交わりたいけれど、何処へ行ってもうまくいかない。
自分で少しずつ準備する努力ができれば、どの問題も解決できる。自分で少しずつ、ということができないのが障害のつらさ。Cさんの訴えは、ぼくにはどうしてあげることもできない。未熟で愚かなカウンセラーは、おろおろ立ち往生。
 Dさんはお仕事の大変さ、到底解決できそうもない難題を抱えて遠くの町からやって来る。その悩みを一時間、二時間、一気に話し続ける。とびきり頭がいい人だから、話しているうちに、やるべきこと、進むべき道をご自分で探り当てる。ぼくの出番は無い。
手編みの温かい首巻をいただいた。寒い朝晩、それを首に巻くのがぼくの出番。
 Eさんはキャリアを積んだ立派な教育者、ぼくをはるかにしのぐご高齢だが、遠い道を自転車で来てくださる。最近、A4二十枚に余るレポートをまとめられた。読んで感想を聞かせて欲しいとのこと。老いを感じさせないその情熱がすごい。
レポートの内容はさらにすごかった。拝読して驚嘆、感動した。ぼく、不登校の鬼が永年追究してきた不登校を生み出さない学校づくり、イジメ、非行、学力、自己肯定感、現代の教育が直面している抜き差しならない問題を解決する道筋が、自らの実践を踏まえて、とつとつと、具体的に書きこまれている。ぼくが長い時間をかけて机上で夢想してきたことが、より高いレベルで、確かな実践で裏づけられている。
 正直に言えば、ぼくはいつも、ひそかに自分の老いを恥じていた。それこそ、恥ずべきことだったなー。このお歳で、こんな熱い志を持ち、シャープな頭脳を維持発展させている人がいる。しかもその思想が、現代の教育の行き詰まり、多くの苦しんでいる子ども達を救う力を持っている。Eさんとぼくの教育論の合作、これは他日を期して公にしたい。
 Fさんは自家製の野菜や果物、道々摘んだ野の花を抱えて訪ねてくださる。ぼくの書くものや、語る言葉を、その真価以上に高めて受け止めてくださるありがたい読者、聞き手。Fさんは、ぼくの詩集を読んで人生が変わったと言ってくださるが、人生を変えていただいたのは、どうやら、ぼくの方みたい。Fさんに会う度に、ぼくは自分の未熟さがよく分かるもの。もう一つ、二つ、いい詩を書きたいという希望が湧いてくるもの。
 Gさんはいつも、お友達を誘って“たんぽぽ”に花を生けに来てくださる。ぼくはお客様のお名前もお住まいも聞かないことを原則にしているので、Gさんのことも何も知らない。Gさんも寡黙な方で何も語られない。遠慮がちでやさしい笑顔で花を生けるだけ。もうずいぶん長い間、花を飾ってくださっている。近頃は我が子のためにも、小さなお花を別に用意してくださる。
先日、めずらしく心の余裕がある日があったので、コーヒーを飲んでいただいた。お連れの方が涙をほろほろ流しながらお話されるのに引き込まれて、ぼくもめずらしく、心のポケットの話をした。指を折ると、五十人、百人でもきかない数の素敵な人がぼくのここに入っていますよ。Gさんもそのお一人ですよ。そのおかげで孤独を恐れずに生きていけます。
 Hさんは“たんぽぽ”に来たことがある、向かい合ってお話をしたことがある、そんな気がするのだが、老いとは哀しいもの、記憶が定かでない。記憶違いかもしれない。しかし、この若者の印象はぼくにとって鮮烈。一ヶ月に一回、彼の書くものを読む機会がある。極限の情況に置かれた人が何を考え、どう生きるか、根源に触れる言葉にいつも触発される。
今の世に、ぼくよりすごいものを書く人がいるとすればHさんだなー、とてもかなわんなー、と思う。え、ぬけぬけとそんなことを、人をほめるついでにまたまた自画自賛を、と思われますか。誰もほめてくれんのでつい、これがぼくの地金です。
 Iさんは猛烈に忙しい方だが、時折、三リットル入りの美味しいワインを持って来てくださる。先日は「風の家プロジェクト」のお話をしてくれた。郊外の田園にカフェやホールを併設したグループホームを創る。高齢者も障害者も分け隔てなく入居できるホームになるだろう。ホールには音楽の好きな人が集まるだろう。ぼくはカフェのマスターに予定されている。これは死ぬまでに一度はやってみたかった仕事。ぼくは大乗り気である。白いシャツに黒い蝶ネクタイでカウンターに立ちたい。コーヒーをたてる腕を磨かねばならない。
 Jさんは美味しい和菓子をたずさえて、いつも遠慮がちに訪ねてくださる。コーヒーを飲みながら、この世知辛い世の中を生きる切なさを語り合う。お見送りする時、辛抱して頑張ろうね、ぼくは声にならない声を、Jさんの後姿にも自分にもかけている。
 Kさんは、ぼくの人生の夢を実現してくれた大恩人。この歳になっても、ぼくは生き方に迷うことがある。そんな時はKさんにメールする。直ちに、ぼくの想像をはるかに超える、峻烈で明快なアドバイスが返って来る。目が覚める。奮い立つ。
 Lさんは、ぼく達親子を支えてくれる、人生で一番大切な人。いつも大きな励ましをいただいている。Kさんにも、Lさんにも、恩返しする術が無いことが心残り。申し訳ない。
 “たんぽぽ”にはいつも、素敵な人が集い、さわやかな三月の風がそよいでいる。

「少しずつ」

「少しずつ」

 Cさんは控えめでやさしい青年である。時々、切羽詰って”たんぽぽ”を訪ねてくださる。
 Cさんは友達が欲しくて欲しくてたまらない。一緒に飲みに行きたいけれど誰も誘ってくれない。自分にひどいことを言った先生を首にしてしまいたい。学校へねじ込んだが、取り合ってもらえない。親元を離れて独りで暮らしたい。施設を探しているが、希望を満たす施設が無い。外に出て、もっともっと人と交わりたい。けれど、何処へ行ってもなぜか、うまくいかない。発達障害に対する医療や支援の体制が高知県は遅れている。どうしてなのかと、詰め寄られる。
 Cさんの願いはどれも切実。なんとか、一つでも道筋を見つけてあげたいが、親身に対応してくれる窓口がなかなか見つからない。いくつかのチャンネルを押してみたが、どこも彼のフィーリングと合わない。トンネルの出口が見えない。
 さあ、困った。未熟で愚かなカウンセラーは、おろおろ、立ち往生している。
 どこへ行ってもうまくいかない、Cさんの直面している問題は、実は発達障害に特有の問題ではない。世の中の荒波をくぐって生きて行く人、誰にも共通する問題である。
 どうやって、自分自身をつくるか。
 答えは身近なところにもありそうに思う。ご飯を炊く。卵焼きを作る。菜っ葉をゆでる。そんな小さなことから、少しずつ準備する努力ができれば、どんな大きな問題もクリアできる自分ができる。この、少しずつ、ということがなかなかできないのが障害のつらさ。それは、人生と折り合いをつけるのに不器用な人のつらさでもある。
 Cさんから今日も電話があった。ぼくの焦りで、昨日のカウンセリングが彼にとっては不完全燃焼だったらしい。長いお話をお聴きして、何度も、ごめんね、と謝った。
 ぼくもカウンセラーとして、少しずつ、成長しなければならない。

アマドコロの花言葉

野いちごの場所で・35・アマドコロの花言葉

 現役の頃、同僚や知人から「大崎さんは打たれ強いね」とよく言われた。
 これはとんでもない美しい誤解。あるいは万事に要領がわるいぼくに対する体裁のよい同情。
 ぼくは家庭も仕事も共に、打たれる、打ちのめされる場面が多い人生だった。子どもの時から晩年に至るまで、満遍なく痛い目に遭い通し。いじめられもしたし、よくお叱りを受ける破目にもなった。とりあえず今日はなんとかなっているが、明日はどうなるか分からない。現在もそんな薄氷を踏む生活が続いている。
 ぼくは、並外れて肝っ玉が小さい。権力に弱い。腕力は子どもの頃から、からっきしダメ。
 加えて、品のない強意の接頭語がつくほど真面目。自分で言うのもなんだが正直。愚直。
 その結果、人生はほとんど打たれっ放し。それでも死ぬ勇気も無いから、ふらふら、ひょろひょろでも、生き延びざるを得なかったということ。これは、打たれ強い、というのとはかなり意味合いが違うだろうと思う。
 ただ、ふらふら、ひょろひょろ生き延びるために、自然に身に付いた知恵、自分のための支えはみたいなものはいくつかある。これは、もしかしたら、人生の入り口で、要領のわるさ、不器用さゆえに踏み迷う人達のお役に少しは立つかもしれない。
 
 自分は自分、人の行く方には行かん、という自分の生き方の原則を持つ。
 家は極貧、着るものも食べるものも満足に無い。そのため、ぼくは子どもの頃から劣等感のかたまりだったけれど、なぜかこの生き方の原則にだけは根拠の無い自信を持っていた。世間に流されないで自分は自分の道を進む、という強い自負があった。
 そうだな、そんなに勇ましく、かっこいいものでもなかったけれど、そんな風にでも考えないと、悲惨な自分の境遇を受け容れて立つ瀬が無かったのだろうと思う。
 オレはいつか革命家になる、オレはいつかひとかどの詩人になる、オレは人と違う人生を生きるんだ、いつも自分にそう言い聞かせていた。

  晴れの日でなく、雨嵐の日の友を持つ。
 ぼくはいつも薄暗い家の中でひとりで遊んでいる子どもだった。誰かが誘ってくれれば友達と遊びに行く、ということもたまにはあったが、引っ込み思案で気が弱い。自分から友達を誘ったり、外に遊びに出かけて行くことはなかった。大人になってもこのスタイルは基本的には変わらない。
 ぼくには数多くの友達はいない。人間嫌いというわけではない。むしろ人間が好き。素敵な生き方をしている人をいつも捜し求めている。まれにはファンレターも書く。勇気を出してアタックすることもある。しかし、総じて交友には淡白。去る人を追わない。
闘いに敗れた時、人生に疲れた時、嵐の荒野を独り歩く時、ぼくを忘れないでいてくれる友達がほんの少しいれば、人生はそれで十分。ぼくにはまだあの人が残っちょる、と思えると、人は独りでも生きていける。

 低空飛行の人生でも、志だけは高く持つ。
 ぼくの志は、小さな弱い人を守ること、困っている人を助けること、人の心の痛みに想いを寄せること、人を分け隔てしないこと。
 人生のあらゆる場面で、そんな風に生きられるわけではない。ぼくは小さな弱い人を守れなかった後悔の方が大きい人生を過ごしている。“たんぽぽ”には困っている人がたくさん来られるが、ぼくが助けになるケースは多くはない。人の心の痛みに気付いてあげられないことも多い。人を分け隔てしないと言いながら、自分の心の奥にある差別性に慄然とすることもしばしば。
 それでも、困っている人を助ける、という気持で日々を生きていると、不思議なことに、困っている自分を助けてくれる人が必ず現われる。そんな奇跡が本当に起きる。思えば冷や汗が出るような綱渡りの人生だけれど、ぼくはいつも、そんな奇跡に救われている。

 ささやかなものを愛する。
 円満橋の下を流れる汚れた江の口川を懸命に遡上するボラ。裁判所前の歩道の隅で、からくも生き残っている野生のスミレ。幡多倉公園のクヌギや南京ハゼの木立から時折聞こえる甲高いヒヨの声。
 そんなものを振り向く人は誰もいないけれど、ぼくは振り向く。振り向けば、けなげに生きている小さな彼らが大きな勇気をくれる。

 大事な場面で、ぼくが打たれ弱いために大きな禍根を残し続けた人生だった。子どもにも家族にも、取り返しのつかない大きな心の傷を与えた。仕事の上の失敗でも、多くの人に迷惑をかけた。責任の取りようも無い。
 しかし、ぼくの場合はこうするほかなかった。そのゆえに分かる人様の心の痛みというものもある。打たれ弱く生きたおかげで、ぼくは“たんぽぽ”にたどり着くことができたとも言える。
 竜平くんからお手紙をいただいた。
 <アマドコロというユリ科の花があるそうです。見た目は、スズランのようです。その花言葉は“心の痛みのわかる人”だそうです。今日はそのことを、お知らせしたくて手紙を書きました>
 今日の“たんぽぽ”の空はなんという青さ。これ以上、何を求めることがあるだろう。

下田つきゆびの脳内観察日記2016年12月

下田つきゆびの脳内観察日記
(30ヶ月目)2016年12月
正論

「働かなきゃ生きていけないよ?仕事をしないでこの先どうするの?親が死んだあとどうするの?」
「職歴も無いまま、~~歳越えたら仕事なんてないよ?」
「辛くてもさ、学校へ行っとかないと後々大変だよ?」
うん、正論。どうしようもないほどに正論。
でもさ、子どもを傷つける正論なんて捨てちまえよ。
子どもの尊厳を、精神を命を削るような正論が必要ですか?子どもを追い詰めるための正論って必要ですか?
正論を捨てたってどうとでも生きていけるよ。正論なんて無くても笑えるよ、泣けるよ。正論なんて無くても真面目に生きて、真剣に人のために怒ることだって出来るよ。

そいでさ、一度でも正論を投げちゃうとさ、結局は自分で自分の正論を拾わなきゃいけない日がやってくるよ。
それは僕から見たら辛くて苦しくてとっても悲しいよ。

視点を変えて子ども目線から
「親なのに~~~してくれなかった。」
「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」
うん、分かるよその気持ち。その感覚。
でもさ、その思いは自分を幸せにするのかい?自分にとって無くてはならない大事なものなのかい?
自分を幸せにするものなら何も問題はないよ。自分にとって無視して生きることが出来ないのならそれはしょうがないよね。
でもさ、その思いを言葉にしちゃったら、結局は自分で自分の言葉を拾わなきゃいけない日がやってくるよ。
それは僕から見たら辛くて苦しくてとっても悲しいよ。


心の痛覚

こころの痛覚がおかしい。痛みに鈍感すぎたり敏感すぎたり。
人の痛みに勝手に便乗してみたり。痛みと素直に向き合えないことが最近の悩み。
痛みは悪く無いんだよな。そうなんだよな。痛みは避けられない。覚悟を決めて痛みと向き合う。覚悟を決めれば選択が出来る。耐えるのか、助けを求めるのか、心に麻酔をかけるのか、痛みから学びを得るのか。
痛みは学びを生む。痛みを大切にしたい。痛みを知りたい。自分と自分の大切な人のためにきちんと丁寧に痛みを取り扱いたいだけなんだけど痛みの取り扱い方はとっても難しい。
超絶に鈍感なときが特に厄介で、傷付けられてるということに長期に渡って気付かないものだから後々傷だらけの自分に気付いたときにはほぼ手遅れ。
傷付けられた相手に抗議をしても伝わらなかったり、そもそも時間が経ちすぎて相手と連絡が取れなくなっていたり。
そうなるともう、関係するもの全てを断ち切りたくなる。捨ててしまいたくなる。
というか、今までの人生においてそういうパターンを幾度か繰り返してきた。
そもそも自分の感覚に気づくことが苦手だから自身の感覚を相手にきちんと伝えることはとても難しいことだし、面倒くさかったりもするから伝える気にすらならなかったりもする。でも、それでいいとも思う。それでも寄り添ってくれる人はいるし。
相手の気持ちや考えを100%は汲み取れない。無理に汲み取ろうとしてお互いに消耗しあうことだってある。
とはいいつつも、やっぱり人は人に傷付けられ、人は人に癒やされるのだと思うし思いたいと考える自分もいる。だから僕は自分が大切にしていることを丁寧に相手に伝えること、それを大切に受け取ってもらえること。そんな人として当たり前なことを意識して丁寧に取り扱うようにしている。
その逆もまた然り。相手の話を真剣に聴いて受け止める。話じゃなくてもいい。態度や何気ない仕草を丁寧に受け取る。それは本当に特別なこと。
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」
何気ない挨拶に心を込める。何気ない挨拶に心を留める。丁寧なやり取りを意識する。
そういう毎日を淡々と重ねる。そういう毎日が自分を押し上げてくれる。そういう毎日が素敵な縁を生む。相手だけじゃない。自分に対しても丁寧に。自分の思いを自分で丁寧に受け止める、吐き出す、丁寧に尊重する。
自分で自分の思いや考えが分からなくても丁寧に認める。分からないものは分からないと素直に認める。
淡々と。そして粛々と。それでいて丁寧に。そういう毎日の積み重ねが未来の自分を形作る。

*「つきゆび倶楽部」12月号より筆者の許可を得て転載します。(おおさき)

I am OK

<IamOK>

 “たんぽぽ” へのご相談は、最近はひきこもり、発達障害や精神疾患が急速に増えていますが、それでも、昔も今も最も多いのは不登校に関わるものです。
 子どもは学校に行かなければならない、行くのが当たり前、という考え方が世の中全体に岩盤のように定着しています。だから、ある日突然、我が子が学校に行かない、行けないという事態になると、大抵のお父さんお母さんは周章狼狽されます。
 子ども達が自然な、バランスの取れた成長を遂げるために、同年代の子どもと一緒に遊び、一緒に勉強することは良いこと、その意味で、学校の存在意義はあります。
 ただ、我が子も含め、不登校問題に30年も関わっていると、学校は何が何でも行かなければならないもの、とは思わなくなりました。
学校は社会の一部、大人社会の縮図です。否応無く大人社会の姿を反映します。過酷な競争、格差、イジメの構造はそのまま、現在の学校の実情に反映されています。
カウンセラーとしては、どうやって学校へ行けるようにするか、という現実的な対策をご相談に来られた保護者と一緒に考えざるを得ませんが、ぼくが密かに願っていることは、子ども達がいつの日か、「IamOK」自分を肯定する人生観を獲得してくれることです。
 学校に行けなくても、勉強ができなくても、腕力が弱くても、走るのが遅くてもOK。そんなことは人生に何の影響も与えません。ありのままの自分を受け容れる、それが最強の生き方の出発点。人間として最高の価値であるやさしさの原点。
 やさしい心だけあれば、人間は生きて行けます。小さなものを愛する。人の痛みに想いを寄せる。そんな気持さえ持っていれば、人はどんな境遇に置かれても幸せをつかめます。
 ぼくに「IamOK」という考え方を教えてくれたのは国分康孝先生の小さなブックレットでした。この小さな本はかなり以前にどなたかにお貸しして、その後“たんぽぽ”の本棚には戻って来ません。まあ、お貸しした本の90%が戻って来ないのは先刻承知、どうということはありません。近頃、ぼくの物忘れは一層ひどくなりましたが、「IamOK」はしっかり憶えていますから。

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