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学力と不登校発生率

<学力と不登校発生率>

 先日、知り合いのデータ分析にめっぽう強い先生が、ぼくが県教育委員会に在籍していた2000年当時から現在までの、年毎の不登校発生率の推移を克明にデータ化して送ってくださった。
過日の高知新聞でも、高知県の不登校発生率が全国一位と報道されていたが、その先生のデータでも、若干の浮き沈みはあるものの、一貫して増加傾向にあることが見て取れる。ちょっと哀しいデータを見つめているうちに、ぼくの心にある疑問が湧いた。
 文科省の全国学力調査によれば、高知県の得点順位は近年飛躍的に向上している。もしそれが高知県の子ども達の学力が向上しているからであるのなら、不登校発生率も共に上昇するのは、現象としては矛盾する。理屈に合わない。
 子ども達が活き活き楽しく通い、学べる学校であってこそ学力は高まる。活き活き楽しく通い、学べる学校であれば、不登校はなくなる。学力と不登校発生率は反比例の関係にあるのが本来の姿だ。
 とすると、全国学力調査の得点順位の飛躍的上昇は何を示しているのか。子ども達の幸せにつながる本物の学力向上を意味していないのではないか。学力調査で点数を取るトレーニングに励んでいるだけで、学校は子ども達にとって活き活き楽しく通い、学べる場所になっていないのではないか。
教育行政の中に長く居た経験から、ついついそんな哀しい想像をしてしまうくせがついた。ぼくの推理が間違いであればよいのだが・・・。

シュタイナーのクリーム・野いちごの場所で・34

野いちごの場所で・34・シュタイナーのクリーム

                       大 崎 博 澄

 まだ、ぼくの名前を覚えてくれている方がいて、今でもたまに講演のご依頼をいただく。
最近ようやく少し慣れてはきたが、ぼくは昔から人前で極端に緊張するタイプの人間なので、いつまでたっても講演は得意ではない。
 ただ、教育や子育てにしろ、不登校やひきこもりにしろ、少年達の心の闇の問題にしろ、人間の生き方にしろ、ぼくでなければ問題の核心に触れることは語れない、と確信しているので(なんという傲慢!)、講演のご依頼をいただくと素直に嬉しい。万難を排してどんな小さな集まり、どんな遠くでもお伺いする。
 もっとも、いつも成功するとは限らない。失敗することの方が多いかな。打率三割くらいかな。会場の皆さんの反応で成功か失敗か、おおよその見当がつく。
 ぼくとしては、時たま笑っていただけると嬉しい。それを期待してお話の中にユーモアはひそませている。しかし、「生きる力を育む子育て」とか、「子ども達の心の闇にどう向き合うか」とか、「子どもの人権を守る」とか、くそまじめな人間が、くそまじめを貫徹したお話をするので、笑いが取れることはまれ。
 そこで、講演が終った後、会場の皆様のお疲れ具合を見て、時間が残っていれば少し笑っていただこうと、ぼくの人生の収支決算を報告する。
 <支出の部・失ったもの>
 髪の毛。なんと眉毛も。なけなしの老後の蓄え。自分のために使う時間。テレビのチャンネル権。日曜日の午後五時三十分からの「笑点」をコップ酒を片手に見たいと思うが、それさえままならない。寅さんも、クリント・イーストウッドも、「釣りバカ日誌」も「必殺仕事人」も見られない。まじめ一方の話が急にくだけて戸惑っているお客様が、この辺で少し笑ってくれる。
 <収入の部・いただいたもの>
 顔のシミ。顔のシワ。お腹の脂肪。この辺で爆笑になるが、話は再びまじめになる。いただいたもの、多くの皆様の善意、たくさんの皆様の支え、取り返しのつかぬ不幸を背負った孤独な老人の不思議な幸せ。
 <差し引き・我が人生は若干の黒字>
 先日、“たんぽぽ教育研究所”がお世話になっている会社の新入社員さんと思われる方から、思いがけないお手紙をいただいた。ぼくの詩集「人生の扉は一つじゃない」のご感想。
 <○○町でマンションの清掃をしています。新人研修で社長さんより詩集を頂き、仕事の合間に読んでいます。2、3年前から詩集をポツポツ読んでいたのですが、ようやく冬の夕暮れのような、なつかしさやあたたかさを感じる詩集に出会えました。読んで泣く度に、私は新しく生まれかわり、そうして優しさがわいてくるようです。>
 昨年亡くなったぼくの好きな詩人長田弘は、大きな出版社からたくさんの立派な装丁の詩集やエッセイ集を出している。どれを読んでみても、明らかに彼の文学的、あるいは思想的力量はぼくより劣ると思うのだが、ぞうくそがわりいことに、ついつい彼の高価な本をぼくは買ってしまう。彼の持っている何かに、ぼくを惹きつけるものがあるのだろう。
 どの本の最終ページにも、臆面もなくこういう著者紹介が載っている。
 「詩人。早稲田大学第一文学部卒業。北米アイオワ大学国際創作プログラム客員詩人。毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞、講談社出版文化賞、詩歌文学館賞などを受賞。」
 ね、嫌味な奴でしょう?ぞうくそがわりいでしょう?こんなことを平気で載せることだけでも、長田弘の心根の卑しさが分かるでしょう?でも、なんとか文学賞というようなものを、一生に一度くらいはもらってみたいと、実はぼくも思っている。長田に負けず劣らず、ぼくも卑しい。
 さてしかし、この新入社員さんのお手紙、<冬の夕暮れのようなあたたかさ、読んで泣く度に生まれかわる>、これはなんとか文学賞をもらうよりも、もっと嬉しかった。無名の市民、正真正銘の現場で汗をかく人からいただいた言葉だもの。
 あまりに嬉しいので、お礼状に添えてぼくの最新エッセイ集「生きることの意味」をお送りした。そしたら今度は、封筒に入った小さな箱が送られて来た。何あらん、開いてみると、ドイツ製のクリーム。
 しかも、能書きを読むと、この製品はシュタイナーの人智学に基づいて作られています、とのこと。人智学のことは何も知らないが、シュタイナーは子どもの自然で自由な発育を大切にした偉大な教育者。さもありなん、送り主様の心に触れた思いがした。
 近頃、朝晩、生まれて初めてクリームというものを顔に塗っている。もう歳だから、顔はシワ、シミだらけだが、心なしか、若々しく、男前になった気がする。
 さて、人生もいよいよ秒読み、次の本が出せるかどうかは分からないが、構想を温めている。もし実現の機会があれば、ぼくはこういう著者紹介をしてみようと思う。
 「文学賞にはついぞ縁の無かった無名の詩人。山の畑も高齢で泣く泣く手離した中途半端な百姓。しかし、田中さんにいつも自家製野菜をいただく。河渕さんにいつも上等の湿布薬をいただく。新入社員さんに涙のファンレターとシュタイナーのクリームをいただく。人生で一番大切な人に愛をいただく。取り返しのつかぬ不幸を背負いながら、不思議な幸せを生きる老人」

ロシナンテの朝

<ロシナンテの朝>

 自動車を棄てて一ヶ月経った。お天気が気になる。気持のいい青空の見える朝は心楽しい。自転車は風を切って気持ちよく走る。騒音をたてない。排気ガスも出さない。場所もとらない。足腰の鍛錬になる。晴れた日にタンポポに通う朝は至福の時。自転車は人間の発明した文明の利器の中で唯一、自然の摂理に適うものではないかと思う。
もっとも、ぼくの住まいは近くにスーパーがなく、買い物が大変。土日は一週間分の買い物リストを用意して、万々のサニーマートへ、駅の向うのサンシャインへ、毎日屋愛宕店へ、COOP吉田へ、お菓子の材料のマルコへ、大汗かいて二往復、三往復。
 自転車に乗って分かることだが、街中の道にもかなりのアップダウンがある。急な登り坂にかかると、荒れた山道を三里、毎日自転車で往復した半世紀前の高校生時代が蘇る。まだまだオレは若い、なんだ坂こんな坂、気合が入る。
 さて、収支決算。雨の日の電車賃、タクシー代、カウンセラーの先生の所へ伺う時はレンタカーも使う。お金が飛んで行く。ガソリン代、駐車場の使用料、修理代、税金は要らなくなった。まあとんとんか。環境負荷が少なくなった分だけ、未来世代にお返しできていると考えよう。足腰の鍛錬は健康にプラスするだろう。
 想定外の難儀は、ぼくの古い自転車、今朝は一ヶ月で二度目のパンク。帰りに県庁前の修理屋さんまで押して行くしかない。そうだ。十年ほど前まで、南はりまや町で古書店、タンポポ書店を経営していた我が愛する詩人片岡千歳さんの愛車にあやかって、君をロシナンテと命名しよう。ロシナンテ、大事に乗るからね、あまり度々パンクしないでね。

打たれ弱く生きる

<打たれ弱く生きる>

 現役の頃、同僚や知人から「大崎さんは打たれ強い」とよく言われた。これはとんでもない美しい誤解。ぼくは、並外れて肝っ玉も小さい、権力には弱い、腕力は子どもの頃から、からっきしダメ。その結果、人生はほとんど打たれっ放し。ふらふら、ひょろひょろでも、生き延びざるを得なかったというだけのこと。
 ただ、ふらふら、ひょろひょろ生き延びるために、自然に身に付いた知恵、自分のための支えはみたいなものはいくつかある。これは、もしかしたら、人生の入り口で踏み迷う人達のお役に立つかもしれない。
 一つ、自分は自分、人の行く方には行かん、という偏屈な美学。劣等感のかたまりだけど、なぜかこの偏屈な美学にだけ根拠の無い自信がある。
 二つ、日陰の友を持つ。ぼくには数多くの友達はいない。敗れた時、疲れた時、嵐の荒野を独り歩く時、ぼくを忘れないでいてくれる友をほんの少し持っている。ぼくにはまだあの人が残っちょる、と思えると、独りでも生きていける。
 三つ、自分だけの、金のかからない趣味を持つ。円満橋の下のボラ、裁判所前の歩道のスミレ。市役所の前庭のネジバナ。低空飛行の人生でも、高い志を持ち続ける。ぼくの志は、困っている人を助けること、人の心の痛みに想いを寄せること。

正義のバトン

<正義のバトン>
 重要な任務の依頼が来た。根っからのまじめ人間であるぼくには、あまりに重い責任が伴う。ぼくもいい年なので、不要不急の職務はできるだけご辞退申し上げ、仕事の減量に努めているところ。ただ、今回の任務は、多数の子ども達の生活に直接関わる。責任を果たしきれないまでも、他の人にお任せするよりも、自分が務めることに意味がありそうには思う。
 さて、引き受けるべきか、引き受けざるべきか、自分の良心だけで答えを出しかねる事態に直面した。
 本当にありがたいことに、こういう時、ぼくには信頼して相談できる人がひとりだけいる。お忙しい方なので、メールでご相談した。すぐに明快な返信をいただいた。
 「こういう依頼は、体力の続く限り引き受けてください。限界が来たら、名誉職を求める人でなく、あなたの目に適う人に正義のバトンを渡してください。」
 正義のバトンを渡すために、そうか、そう考えればいいのか。財力も政治力も腕力も無いぼくにもできることがあるかもしれない。
 迷いが晴れた。ご依頼はお引き受けすることにした。またひとつ、人生を学んだ。

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